逃れられない希死念慮

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出典:Photo by Nick Fewings on Unsplash

わたしのように精神障害を抱えている人であれば、自身や友人・知人などから「希死念慮」という言葉には馴染みがあるのではないでしょうか?

しかし、この障害者ドットコムのコラムのように、色んなタイプの障害を抱えた方が集まる場合は「希死念慮って一体?」と思われるかもしれません。

そんな「希死念慮」というものについて、自分の経験や今も抱える悩みについて書いていこうと思います。

希死念慮とは?

希死念慮とは、自殺念慮とほぼ同一の思考内容をさしています。

違いとしては「自殺念慮」の場合、強い感情を伴った自殺に対する思考あるいは観念が精神生活全体を支配し、それが長期にわたって持続します。

それに対し「希死念慮」では、思考あるいは観念として散発的に出現する場合を指します。「消えてなくなりたい」「楽になりたい」などが希死念慮の具体的な例です。

一般的によく使われる言葉では「自殺願望」というものが近しいと思います。

わたしと希死念慮

わたしはかれこれ15年ほど希死念慮を抱えたまま、なんとか生きています。何度も自殺未遂をしましたし、ずっとぼんやりと「もう生きるのがしんどいなあ」と頭に浮かびながら生活しています。

ハッキリと「死にたい」と思うわけではないのですが、死んだ方がマシなのかなあとか、このまま苦しみながら生きるのは嫌だなあといった感じです。

わたしの場合はこれにも少し波があるのですが、ここ最近は寒暖差の影響もあるのか、それが結構強く出てしまっていて少し困っています。

「死にたい」と強く願っていたころと比べると、生きているのが少しは楽しくなった気もしますが、それでもなお「生きたい」とは思えないまま生きています。これは本当にわかりにくい表現なので申し訳ないのですが「死にたいのではなく、生きたくない」という感情なのです。

それでも生きている

消えてなくなってしまいたいと思うことはほぼ毎日のことです。

パニック障害を抱えているので、少し電車で外出して精神的な負担が大きかったときなどは、もうその場から消えてしまいたいと思っています。双極性障害の鬱の時期が重なると特にそれが強くなります。

ただ、自分なりの希死念慮との付き合い方も、この15年の間に見つけました。

それは「いつか死ぬのだから、死ぬために生きよう」というネガティブかポジティブかわからない発想です。これを自分の中では「後ろ向きに前に進んでいく」と呼んで、なんとか人生の歩みを進めています。

生きるのがつらく、苦しく、消えたくなりますが、それでもこうしてコラムを書いたりしながら、時々でも笑うことができる今の生き方は、まだ希死念慮に負けていないと思います。

いつかこのモヤモヤした感情をやっつけられるときがきて、生きたいと思えたら、それはとても嬉しいことでしょうね。


出展:希死念慮:用語解説 - こころの耳 https://kokoro.mhlw.go.jp/glossaries/word-1534/


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新井 一生

新井 一生

社会人になってからパニック障害、統合失調症などを患った精神障害者。
精神病になってからも沢山の失敗を経験しながら、なんとか生きている。
好きなものはゲーム。

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