障害ってなんなんだろう?~ある日、障害者になりました

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出典:Photo by Anna Kolosyuk on Unsplash

私は幼少期から何不自由なく学校に行って、成長してきました。当時は障害という言葉にもほとんど触れることなく、一生縁のないものだと思っていたのです。

そんな普通の私がなぜ注意欠陥多動性障害(ADHD)と診断をされたのか、そもそもどうして診断を受けたのか、いったいどこからが「障害」なのか、私の人生を振り返りながらお話したいと思います。

うつ病が気づきの始まり

事の気づきは高校生のころでした。いつも通りに登校し授業を受けていた私は、ふと違和感を感じました。ここに居ることが辛い、みんなと一緒に学校にいることがしんどい。何気ない日常の一コマが、酷く窮屈で苦しいものに思えてきたのです。違和感は次第に登校拒否という形にまで膨れていきました。

親の言葉も、祖父母の説得も跳ね除け、自分の部屋に閉じこもる私は、完全に「うつ病」と呼ばれるものでした。考えがまとまらず、嫌なことばかりが頭の中をぐるぐる回り、厳しい家庭だったせいもあり、誰かに頼ることも考えられず、未遂に終わりましたがついには家出まで実行しようとする始末でした。

今の私は普通じゃない。何の変哲もないモブキャラのような人生だと思っていた私が、この時初めて自分の取っている行動の異常さに気づきました。それでもこの苦しさの中、学校に戻ることなんて出来ませんでした。

その後、うつ病となんとか戦いながら高校に復帰、卒業し、大学へと進学しました。その間、特に仲良くしてくれていた友達Aについて何度も頭に浮かんでは消えていきました。そう、それは「障害」です。私が初めて障害という言葉を真面目に考え、そして強く意識した時間でした。

誰も障害を持っていることに気づけない?

時間は流れ、大学でも上手くいかないまま、不登校気味になっていた私はついに大学中退を決心。似たような症状に苦しみ、理解を示してくれた友達Aの元に転がり込み、厳しかった実家からも離れ、新しい世界でしばらく社会から離れて休むことにしました。

そうして、苦しいながらも穏やかに過ごしていたある日のこと。ふと友達Aが私に「君って理解していても何回も同じミスをするよね」といったのです。これは正に友達Aがいくつか持っていた障害特性の1つとそっくり同じなのだと、その時に気づきました。もしかすると、私もただのうつ病じゃなくて、障害から来るものなのかもしれない。そう思うようになった私はすぐに親に連絡を取り、検査のために精神科に連れて行って欲しいとお願いしました。

結果は注意欠陥多動性障害(ADHD)と呼ばれる障害でした。しかも、幼少期から今までのことを担当医に話すと、小学生の頃から既に傾向があったと言われてしまったのです。私は障害という言葉について今までは、補助が無いと生きにくい、通院して常に経過を見守らないといけない、そんなイメージでした。しかし私は苦しい事こそあれど、それは高校生以降の話、特に小学生の頃なんて宿題しなさいって怒られながら友達とゲームしたり騒いだりする、一般家庭の普通の子供だった思い出しかないのです。

今まで私と関わってきた全ての人が私の障害に気づかないまま、誰にも指摘されずに大人になっていたのです。友達Aのあの一言がなければ、私は今でも自身に障害があることに気づかずに、うつ病と戦い続けていたでしょう。ではなぜ、きちんとした名前がついているほどの障害に、自分を含め周りの誰も気づかなかったのか、私は不思議に思いました。

誰もが持つ障害の可能性

じゃあADHDとはなんなのか、これを担当医に聞いてみると、主な症状は注意欠陥(不注意が多い、集中を持続出来ない、物を失くしやすい)や多動(じっとしていられない、意味もなく走ったり高所に登ったりする)だと教えてくれました。ではここで少し考えてみてください。これは誰もが経験したことのある「普通のこと」ではないでしょうか。

誰にだってミスをしたり、物を失くしたり、落ち着かなかったり、走り出したくなったりする経験があるのではないでしょうか。つまり、普通の失敗を何度も繰り返し、なおかつそれを直すことが極度に難しい、これが「障害」と呼ばれる物なのです。

私は誰もが通るあたりまえで普通な失敗を、周りより少し多く積み重ねてきました。少しポンコツに映った時もあるかもしれません、でもドジな奴だなで笑って終わっていました。たったそれだけでは自身も周りも私の障害になんて気づきようがなかったのです。だって私は周りより少しドジで忘れっぽいだけの、ただそれだけの人だったのですから。

この時初めて私は障害と呼ばれるものの怖さと、仲間の多さを知りました。私は偶然機会があって自分についてを知ることが出来ましたが、中には一生知ることもなく、一般の人の中で生きづらさを抱えながら頑張り通す人もいるかもしれないのです。

障害は怖くない!

私は先の文で「障害と呼ばれるものの怖さ」と書きましたが、これは自分が障害者であるということが怖いと思ったのではなく、障害者だと気づけないことがあるということが怖いと思いました。

ですが、理解さえしてしまえばもう何も怖くありません。学校に行けば勉強を教えてくれる先生が居てくれるように、病院に行けば障害について優しく教えてくれる医者が居ます。私が今通っている就労移行支援と呼ばれる施設には、社会復帰を目指して共に歩いて行ける先輩たちも居ます。気づいてしまえば、受け入れてしまえば、もう独りではないのです。

もちろん個々の障害の重さはあります。私のように気づけないような人から、誰の目から見てもわかりやすい人まで様々です。でもそこに差はありません。障害を持っていてもいなくても、誰もがそれぞれの問題、それぞれの生きづらさと向き合い、理解して未来へと歩いていくのは変わらないのです。

たったそれだけの、あたりまえの普通のこと。そう思ってしまうことが本当の怖いことです。障害と呼ばれるものは、きっとみんなが思っているより身近にあります。もしかしてに自分で気づけた時、誰かに対して気づいてあげられた時、抱えている辛さや苦しさを乗り越えて先に進めるチャンスかもしれません。少なくとも私は、あの辛く苦しい日々よりは今の方が前を向けているのですから。

最後に、このコラムがあなたが目指す明るい未来の手助けになれればいいなと思います。

白色絵具

白色絵具

就労移行支援施設で頑張るゲーム大好きさんです。ゲームと夢で息してます。

注意欠陥多動性障害(ADHD)

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