障害を持って生きるということ~理解を得ることの難しさ

発達障害

出典:Photo by Startaê Team on Unsplash

みなさんは、障害を持っていることで辛い思いをしたことはありますか?私はあります。 私はLD(学習障害)と診断されています。LDは「読み、書き、計算など」を苦手とする障害です。そんな私が健常者に抱く、不信感の原因を探ると2つの出来事に行きつきます。

辛かった東京

親が転勤族だったので小学校1年生から小学校5年生まで東京に住んでいました。当時通っていた小学校では支援学級に所属していたのですが、その学校では支援学級と通常学級の「交流学習」がありました。交流学習では週に2~3回、一緒に給食を食べたり、月1回の合同授業がありました。しかし、そこで私は居心地の悪さをいつも感じていたのです。

通常学級の生徒たちは、支援学級がどういったところか知らされていなかったがようで戸惑っている印象でした。さらに先生は、私が「常に困っている」という先入観で話をするため、私は「交流学習」そのものがとてもストレスに感じていました。

秋田で過ごした時間

小学校5年生の夏に親の転勤で秋田に引っ越をすることになりました。秋田では、東京での「交流学習」がトラウマとなり、人に拒まれることが怖くて周りに壁を作ってしまい、人との距離が縮まらず疎外感が拭えませんでした。

その後支援学校の高等部に進学し、卒業後は一般企業を目指して就活していましたが卒業するまでに就職出来ませんでした。その後、就労支援B型に通所しながら就活を続け2年半後にスーパーに就職しました。

スーパーでは主に野菜の袋詰めや、品出しをしていました。作業の中で2つ苦手だったことがありました。1つ目は選別の作業です。良いものと悪いものの区別が付けづらくどうしていいかわからなくなりましました。2つ目は品出しです。品出しの業務で売り場に出ると、お客さんと話さなければいけないこと多くそれがとてもストレスでした。その他には、臨機応変な対応を求められてもうまく対処できなかったこともあります。

一緒に働いている同僚には障害のことを伝えていませんでした。上司は障害のことを理解する努力をしているようには感じられませんでした。このスーパーは半年で退職しました。一昨年の夏、秋田での就活に行き詰まり感じていた私は大阪への転勤が決まった親と一緒に引っ越すことを決断しました。

おわりに

私は今、障害者枠での就職を目指して就労移行支援で訓練しています。自分が長く働くことが出来る仕事を探している途中です。みなさんいかがでしたか?つたない文章で読みづらかったかもしれませんが最後まで読んでいただきありがとうございました。

紅月

紅月

二十代 女性
好きなこと:読書 アニメ鑑賞

学習障害(LD)

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