「合理的配慮ではなく、合理的調整と呼ぶべき」芥川賞受賞作「ハンチバック」著者、市川沙央さんインタビュー

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(c)撮影:深野未季(文藝春秋)


側弯症の女性が主人公の芥川賞受賞作「ハンチバック」。その作者で自身も側弯症である市川沙央さんに「ハンチバック」の作品に込めた思いなどを尋ねました。作品についての質問から、世間の障害者観についての質問まで、幅広くお答えいただきました。特に、障害者の権利やヘイト言説についての質問には、とても気持ちのこもった痛快な回答でした。

あれでも相手役だった「田中さん」


(c)撮影:深野未季(文藝春秋)

──様々な固有名詞や専門用語などが実名で登場していますが、そこに意図はおありでしょうか。
「医療用語、医療機器名に関してはリアリティとともに、日常感を示すためです。特別なものではないということですね。WEB小説用語もそうですね。いや、『ナーロッパ』とかは、単純に『ナーロッパ』というワードを純文学の文芸誌に載せたかった、WEB小説界からそのように殴り込みをかけたら面白いじゃんと思って書いていたかもしれません。各種の界隈用語をフラットに散りばめたことで生まれた効果や意味はあると思いますが、書き上がったらそうなっていた感じです」

──「田中さん」はどのような存在としてデザインされたのですか。
「私は長らくロマンス小説寄りのライトノベルを書いてきましたので、そのジャンルの型で言えば田中さんはヒーロー(女性主人公の相手役という意味のジャンル用語です)のポジションに当たります。『釈華』なんていうキラキラネームというか神ネームに対して『田中』という平凡なところから始めて、ぬぅっと裏の顔を現してくるのがおもしろいのでは……と書き進めていった気がします」

──発達障害者を揶揄する意味も含まれた「弱者男性」ですが、どのような意図でこの言葉を使ったのでしょうか。
「『弱者男性』という言葉が直接に発達障害者とつながるとは思いませんが(発達障害者が『弱者男性』とみなされる境遇に陥りやすい構造はもちろんあります)、ネット言論の中でも特に擦(ス)れた界隈で使われる、扱いに注意の必要な言葉ですね。そんなコアなネット用語の世界に浸かった釈華の前で、田中さんが挑発的に『弱者』というキーワードを口にした時点で、同じ言葉を話す者としての正体をあらわす、という意味と効果を持つのだと思います。また当然釈華は、弱者のいわゆる『可哀想ランキング』において目に見える障害である身体障害者(の自分)が最上位にあることを自覚していますね……」

──「自身の境遇を悲観しネットでくだを巻くだけの人間」と「自分なりに前を向いて自分の人生を歩もうとする人間」、主人公はどちら側にあたるのでしょう。
「釈華は悲観主義を嫌っていると思いますね。隣室の女性や、家庭に恵まれなかった子どもたちなどを視野に置いて、作中で何度も言及があるように彼女は自分が恵まれていることに自覚的であり、知識に基づいた歴史感覚(作中で読んでいる本が『身体の歴史』ですし)もあるので視野狭窄的な悲観に陥ることはないんだと思います。だからと言って前向きかというと、前の向き方がだいぶ明後日の方向に行っているようですが」

──地の文で頻繁に側弯症の身体を動かす描写が入っていますが、ご自身の体験や日常を参考にされたのですか。
「はい。身体描写、医療描写は自分の経験が元になっています。逆に言いますと他はほとんどフィクションです。私自身はグループホームで暮らしたことはありませんので」

「生きる」とは何か、聞くものではない


(c)撮影:深野未季(文藝春秋)

──最終的には離職し、小切手にも手を出さなかった「田中さん」ですが、逆に図太く勤務し続けた未来もあったのでしょうか。
「ありました。ここだけの話ですが二人が緊張感を維持しながらも計画を進める展開は全然可能なんです。ただし、そうすると文学作品としての結構が失われ、また終わりどころもなくなるので、神である作者が田中さんに『逃げろ』と命じました。上手くいったバージョンを二次創作してカクヨムかムーンライトノベルズにこっそり投稿するつもりだったのですが、もうそんな暇はなくなったので幻です!」

──主人公が書いた小説は、オープニングは男視点で、エピローグは女視点となっていますが、どのような意図でこの演出にしたのですか。
「意図と言えるほどでもないですが、オープニングで4人いるのにコタツ記事のタイトルには3人でプレイする意味の言葉が書いてあり、一人あぶれるはずなのですよね。Sちゃんがあぶれて、一人の女(Yちゃん)に男二人が群がる様子をぼんやり見ている……作者の脳内実写ディレクターズカット版では、このSちゃんの顔を映しながらオープニングを閉じます。このときクローズアップしたSちゃんの意識を引き継いだのがエピローグです。(余談ですが作者の脳内実写では聖書の引用シーンは海の波がザッバーン!している映像の上に引用文の白文字がダーっと流れています)」

──エピローグで主人公が書いた小説は「田中さん」の要素が盛り込まれた代わりに、オープニングのそれとは違い世に出すためのhtmlタグがついていません。この違いこそが「中絶」のメタファーなのですか。
「読者の解釈を限定しないために作者による説明を控えてきた箇所ですが、一年経つのでもういいでしょうか。エピローグにタグがないのは、主要な小説投稿サイト(小説家になろう、カクヨム等々)の入力画面ではHTMLタグが不要だからです」

──「妊娠するだけして中絶する」という願望を主人公が抱いた経緯や意味について教えてください。
「テーマとしてではなく主人公がどういう考えで、ということなら、うーん、普通の人でも出産のリミットを考え詰める年代というのはあると思うので、経緯はそれとあまり変わらないのではと思います。釈華にとっては生殖(妊娠)機能は自身の身体において数少ない標準的な(筋疾患の影響を受けない)部分であるため、器官の正常な働きを証明することへのこだわりがあるのかもしれません」

──寝たきりの隣人がヘルパーを呼ぶ音にこそ、人間の尊厳と本当の涅槃がある…という場面があります。主人公にとって「生きる」とは結局何なのでしょうか。
「それはむしろ問うべきではないんです。障害者だからといって(健常者が同じように問われないなら)ことさら『生きる』ことの意味を問われるべきではない。生きたいとか死にたくないとかそういうことでもなくて、これは作者の私の持論ですが、べつに例えばコロナとか病気・事故であえなく死ぬのは仕方がないけど、とにかく人為的・恣意的に云々されたくないし価値判断されたくないんですよね。人が考える政策で命を左右されたくないという思いがあり、寝たきりの生活への偏見、先入観をなくしていきたいとも思います」

人権もバリアフリーも、気を抜けばすぐ後退する

──最近、SNS上で優生思想を力説してファンまで獲得しているアカウントや、知的障害者からの被害報告で傷を舐め合う動きなどが目立っているように感じますが、この辺りはどうお考えでしょうか。
「見かけ次第通報しています。ヘッダーやアイコンにアニメキャラを使用して著作権侵害がなされているものについては著作権管理団体に通報しています。差別のイメージを付けられるキャラクターが可哀想ですからね。ネットの治安を守るため通報しましょう。
知的障害者や、トランスジェンダーといったマイノリティ属性を攻撃対象にした憎悪扇動が最近とみに目立ちます。どちらもマジョリティによるマイノリティ差別・排斥の歴史をそのまま単純になぞっており、愚劣としか言いようがありません。個別の被害体験をもとに恣意的な属性で括って対象を悪魔化する愚かさが許されるなら何だって言えちゃうじゃないですか。私なんて小学校のとき、一人でよろよろと下校していたら見知らぬ「健常児二人」から石を投げられて踝に当てられて転倒したこともありますけど、だから健常者は凶暴だと言っていいんでしょうか?
障害者が暴れたところでたかが知れてるけど、健常者が集団的な被害妄想に陥ると障害者を20万人殺害してみせた歴史がありますから、健常者は判断力の危うさを持っているうえ凄まじく凶暴ですね……」

──「障害者を産みたくない女性団体と殺されたくない障害者団体」が戦う構図は、旧優生保護法だけでなく、青い芝の会が減刑嘆願へ更に抗議したことも参考にされたのですか。また、運動で権利を勝ち取った時代から対話で権利が保障される時代へと移ってきましたが、これについて思うところがあれば、お聞かせください
「青い芝の会(横塚晃一さん)の『母よ!殺すな』という思想もリスペクトしています。家族を含めた支援者は強力な味方であると同時に、その庇護の中で障害当事者は透明化されやすい構造があります。障害者はどんな状態にあろうとも一個の個人です。『子どもより一日でも長く生きたい』という親の言葉は否定されるべきです。
国のバリアフリー・ユニバーサルデザイン推進要綱により当事者の意見を汲む仕組みづくりが推奨されている現在ですが、運動の必要があることにはまったく変わりがないと思っています。進んでいるように見えて、強く声を上げ続けなければあっというまに後退するまであるのがバリアフリーの現実です。無人化、タッチパネル化によって視覚障害者のバリアは増えています。こうした記事を読むたび、障害者団体・当事者団体はいったい何をやっているのか、と失礼ながら(本当に失礼ながら!)私などは思ってしまいますが……。
また、ヤフコメやSNSで繰り返される『昔とは時代が違う』『運動で主張を通す時代ではない』『活動家が分断をもたらしている』などの合唱は、マジョリティによるマイノリティ抑圧の常套手段ですから、無視してよろしいと思います。昔も今も、マイノリティが声を上げたときのマジョリティの反発の大きさに違いなどありません」

──令和6年4月から障害者差別解消法が改正され、合理的配慮の提供が民間事業者にも義務化されましたが、日本の「障害者差別解消法」に対して思うところがあれば、お聞かせください
「作家としてここは『言葉』について語ります。『合理的配慮』という訳はほとんど誤訳と言ってよく、今からでも『合理的調整』とするべきだと考えています。例えば『rights』は『権利』ではなく『権理(権理通義)』(by福沢諭吉)と訳すべきだった、つまり『利』という字のネガティブな印象のせいで人権を理解できない国民になってしまったという話もあるように、こうした言葉の誤選択は国民の精神性に悪影響を及ぼし尾を引いたりするので、私は意地でも『合理的調整』と書いていこうと思います」


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障害者ドットコムニュース編集部

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