元来、ネット言論に合理的配慮は無かった。だがそれで良かった。

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Photo by Zongnan Bao on Unsplash

ゼロ年代からネットに親しみ、かつて“デジタルネイティブ”と呼ばれた世代があります。しかし、彼らの語ることはもはや“昔話”の域に達しています。それでもなお語らずにはいられないことがあります。

私は「ネット上の性別は、男とネカマだけだと思え」という言説が忘れられません。元々はネットがきっかけの出会いを期待するなという戒め程度だったのでしょうけれども、果たしてその域に留まっていたでしょうか。「ネットは男とネカマだけ」とは、「ネット言論で“女”を出して配慮を求めるな」という意味もあったのではないかと今でも思うのです。

私は、ネット言論の世界に合理的配慮は存在しないし、してはならないとさえ思っています。診断書も障害者手帳もヘルプマークも、ネット言論においては何の意味も持ちません。ですが、それで良かったのです。自分の属性を盾に意見を通そうとして、ポジショントークが横行する方が不健全だと思っているからです。

勘違いしないで頂きたいのですが、“当事者として”の発信を咎めている訳ではありません。寧ろ、当事者としての発信を通じて“生きた証”を刻んでいくことは、これを封殺しようとする横暴な潮流への抵抗として奨励されるべきです。しかし、ポジショントークによって「搾取する側」に立とうとしたり「利権」を貪ろうとしたりする運動を野放しには出来ません。

生きることを邪魔される謂れはありませんが、迫害をやり返す正当性もまた存在しません。その境界は曖昧なまま定まらないのでしょうけれども、曖昧なままで置いておくこともまた“配慮”であり“調整”なのだと思います。曖昧を曖昧のままにすることは特にASD者にとって苦しい事ですが、これも必要な合理的配慮なのだと少なくとも私は思っています。

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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