私が就労移行支援に通うまで~体験談 Part.1「発症から悪化させた原因まで」

うつ病 仕事

出典:Photo by Adam Jaime on Unsplash

これは私が就労移行支援事業所に通所を開始するまでの実際の体験談です。うつ病の発症からクローズ就労を経て、就労移行支援訓練に通い始めるまでの約10年間の話になります。全4回。今回は「1.うつ病の発症から悪化させた原因まで」です。

24歳、うつ病になりました

私は24歳のときにうつ病と診断されました。当時、私はフランチャイズのコンビニで正社員として働いていました。入社1年目。社会の事なんて右も左も分からずにがむしゃらに働いていた時期です。

大学は21歳の時に中退しました。入社するまでの間は様々なアルバイトをしていました。フリーターというやつです。コンビニでは正社員とはいってもアルバイトとあまりやることは変わらず、得たのは正社員という地位と責任。失ったものは時間と心身の健康です。給与は時間給で算出するとアルバイトよりも安い賃金でした。

コンビニでの勤務時間は夜22時から翌朝9時まで。毎日残業で昼12時まで働きます。実質14時間労働で月の休みが6日で固定。夜間勤務手当は出ず、おまけに残業代も出ません。

当時、就職氷河期の最中。就職できただけでもありがたいと思わないといけないと「周囲から思わされていた」時代でした。

自分がうつ病じゃないかと気が付いたのはひょんなことからでした。出勤時に「家に帰りたい」と思うようになったのです。

それまでも出勤時に「仕事が嫌だな」と感じることは多々ありました。ですが、それは一般的なサラリーマンが愚痴をこぼすような、そんな些細な気持ちでしかありませんでした。仮に仕事を辞めたとして、「その後はどうするのか」、「転職先はあるのだろうか」、「社会人になってからこんな短期間で仕事を辞めて将来のキャリア形成に影響がでるんじゃないか」などを視野に入れることができ、仕事が嫌だと感じたときでもため息ひとつで流せていました。それがいつからか私は本当に心の底から「家に帰りたい」と考えるようになっていました。

単なる平社員とはいえ、アルバイトの方のシフトを取り扱ったり、売り場で指示をしたりする管理職のような立場。一緒に働くアルバイトの方の中には問題行動を起こす方も少なからずおり、その原因を探るためにインターネットや本で勉強したこともありました。なので私は「家に帰りたい」という気持ちの原因に心当たりがありました。

「うつ病」です。

私はうつ病の具体的な内容をすぐさまインターネットで調べました。「うつ病」で検索すると、出てくるのは様々なうつ病に関する記事でした。内容としては「うつ病はどんな病気なのか」「不安に感じたらどうしたらいいか」等です。中には「うつ病なんて気のせいだ」「うつ病なんて甘えだ」「うつ病の社員を辞めさせる方法」等、心ない記事もちらほらと見受けられました。

私は病院が運営しているホームページで簡易的な「うつ病チェック」を見つけ試しにやってみました。ひとつだけではなく、いくつかのホームページで同じようにうつ病チェックを行い、その結果、自分は軽いうつ傾向にあることがわかりました。

すぐに結果をプリントアウトして心療内科を受診しました。医師の診断結果はやはり「うつ病」。しかし、疲労とストレスからくる軽度なもので薬物治療で十分対処が出来る程度と診断されました。その日から、今日まで続く私のうつ病との長い付き合いが始まりました。

処方されたのは抗うつ薬と抗不安薬。最初は薬を飲むことに抵抗がありましたが、1週間もすると抵抗はなくなりました。後から考えてみると、恐らく薬が効きすぎていたんだと思います。あの時の私はものすごくハイテンションでした。すごく明るく、ものすごく活発でした。そして、半年ほど薬を飲み続けてると、ある錯覚を起こしました。

「自分はうつ病を克服したんじゃないか」

仕事も忙しくなり、病院に行くのも次第に億劫になり、私は病院に行くことを止めてしまいました。

実際はうつ病の原因となっている仕事を辞めてないので症状が回復するわけがありません。しばらくは良かったのですが、1年、2年と経過するにつれて身体は怠く、憂鬱な気分のまま日々を過ごすことが多くなりました。

結局、コンビニは正社員3年目、うつ病と診断されてから2年後にうつ病とは全く別の理由で退職しました。

26歳、初めての退職

コンビニを辞めてしばらくは、夜間勤務で崩れた体調と体内時計を元に戻すために規則正しい生活をしていました。しかし、働かなければ当然収入はありません。いくら失業保険があるからといって無職で居続けるわけにはいかず、次の職に就くために「公共職業訓練」を受講しました。

私が受講したのは簡単なWeb知識を教えてくれる講座です。元々、パソコンの操作には若干の自信がありました。私はそのまま公共職業訓練で1番の成績で訓練を修了しました。公共職業訓練を修了してから、毎日企業にお邪魔しては面接を受け続けました。ですが、IT業界は知識がものを言う世界です。

結果はどこもダメでした。

公共職業訓練を受講しただけでは戦力にならないからというのが理由のひとつ。もうひとつは「うつ病を発症したことがある」ということでした。

この時、私はまだ「障害者手帳を持っていなかった」のです。

自分は他の人と同じように働ける。

障害者じゃない。

保護される対象じゃない。

当時はそんなことを考えていたと思います。単純に見得ですね。企業としては「一度発症した人間をリスクがあるのに雇用したくない」というのは当然でしょう。それがわかっていませんでした。

26歳、本当にしなきゃいけなかったこと

恐らく、1番最初に発症したときにきちんと休み、治療をしておけば、今のように苦しむことはなかったと思います。うつ病が悪化することも無かっただろうし、仕事も長く続けられていたのではないかと、今となっては後悔しています。

苦しんでいるのは周囲ではなく、自分。

そのことが自分はわかっていませんでした。

26歳、働かなければ!

当然のことながら、働かなければ給与を頂くことはできません。

仕方がなく私はアルバイトでしばらく食い繋ぐことにしました。アルバイトの面接では自分がうつ病であるということを伏せました。いわゆるクローズ就労です。

これまでの経験からうつ病であるということを言うと落とされるということ、正社員として雇用してくれる就職先が見つかるまでの繋ぎであるということで「言わなくても大丈夫だろう」という単純な考えでクローズ就労を選択しました。

その考えは間違いだったと後から後悔することになりました。

仕事の内容は「某アミューズメントパークでのショーアシスタント」。そこで私はさらにうつ病を悪化させてしまいました。

つづく……

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ムギチャ

ムギチャ

32歳、うつ病で精神障害3級の手帳持ちです。
現在、就労移行支援訓練に通っています。
趣味はガンプラ!

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