私が就労移行支援に通うまで~体験談 Part.3「激闘!孤独のデザイナー編」

仕事 うつ病

出典:Photo by Drew Beamer on Unsplash

これは私が就労移行支援事業所に通所を開始するまでの実際の体験談です。うつ病の発症からクローズ就労を経て、就労移行支援訓練に通い始めるまでの約10年間の話になります。全4回。今回は「3.激闘!孤独のデザイナー編」です。

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28歳、デザイナーです

私が担当したのはインターネット通販のホームページのデザインでした。

……それだけのはずでした。

しかし、実際に勤務してみると担当者は私以外に1人もおらず、前任者もいない。あったのは、フリーランスの方が数年前にデザインしたホームページのみ。店舗も何もなく、完全に新規の事業をインターネット通販のみでやっていくとのこと。要するに「構想だけで実態が全くない状態」だったわけです。

社員は私と社長のみ。

そして、社長はインターネットの知識が全くありませんでした。

逆に商魂たくましい方だったので、ビジネス知識や商品知識は豊富にお持ちでした。

インターネット通販で売れば売れるだろう。

それだけの算段で会社を立ち上げたそうです。ありえない。

行動力はすごいと思いますが、マネしたいとは決して思わない行動力です。結果、私はホームページの作成から公開するまでの一連の作業を1人で行わなければいけなくなりました。

知識がないというのは非常に恐ろしいことです。何も知らないのに無茶難題を何回も言われたことがあります。おまけに恐ろしい行動力に伴った突拍子もない発想力。これらを地位のある人間が思い通りに振るうとどういったことになるか。

「思いつきを他人にやらせる人間」になります。

はい、周りに迷惑を振りまく人間の完成です。そして、その被害者は私です。

それでも入社してから半年後にはホームページのデザインを完成させ、公開し、1年で売り上げを確保するまでに至りました。黒字にこそなりませんでしたが、実際に商品が売れるようになったというのは大きな進歩だと私は今でも思っています。

が。

厄介ごとを持ってくる人はいつまででも厄介なものです。

インターネット通販のホームページというのは、自動販売機みたいなものです。ホームページを作って公開さえしておけば、あとは自動で商品を売ってくれます。売れたら商品をお客様にお送りするだけです。なので、私の業務が大幅に減りました。

そこで、社長さんは新しいビジネスを始めることにしたのです。私はまたホームページのデザインをすることになりました。しかも1つではなく3つくらいまとめて仕事を持ってきました。

完全に業務過多になり、私は朝9時に仕事が始まるにも関わらず、家に帰るのが夜23時近くになる日々を送ることになりました。

この時、私30歳。

年齢も年齢なので、転職し続けるのもそろそろ考えなければなりません。できれば定年まで。辛いのは今だけで業績が安定すれば楽になれる。そんなことを夢見てました。

……うつ病が悪化してるとは知らずに。

30歳、予期せぬ悪化

ある日、会社に行こうとすると頭がぼーっとして、熱っぽい感じがしました。熱を測ると37.5度を上回ってます。仕方がなく、その日は休んで内科の病院に行きました。

次の日も熱。

その次の日も熱。

休んでばかりもいられないので、無理をして出社しようとしました。歩いて駅に行き、改札を抜けて、駅のホームに降りようとした時でした。

急に強烈な吐き気が襲ってきました。

慌ててトイレに駆け込み、思いっきり朝食べたものを吐き出しました。本当に突然のことでした。

その日も会社を休み、病院に行って診察を受けると「胃腸炎」ではないか診断されました。風邪薬と胃腸薬と解熱剤を処方してもらって、家に帰りました。その後、1週間経っても症状が回復せず、胃カメラを飲むことになりました。

この時、私は不思議と「会社に行かないと意思を決めると吐き気が治まる」ことに気がついていました。

……嫌な予感はしていました。

目が覚めた時に見せてもらった胃カメラの写真に写っていたのは、医師も太鼓判を押すほどのきれいな胃腸でした。医師もそれを見て何も異常はないとの診断結果でした。その診断結果は私にとって最悪の結果でした。

無意識下の職場ストレスによる拒絶反応。

医師から診断書を貰って、私はそのまま心療内科に向かいました。診断書を見せると直ちに私は就労禁止となりました。

そして、就労禁止となったその月の終わりにそのまま解雇となりました。

30歳、ようやくちょっと立ち止まって考えてみた

私は仕事を辞めてから「どうして何度も転職を繰り返すのだろうか」と考えました。

体調を崩すような職場に就職するから、何度も入退職を繰り返すのだと気づくのにそう時間はかかりませんでした。

しかし、例え理想的な職場で働けたとしても、このままクローズで働き続けていたら入退職を繰り返し続けるのではないかという心配がありました。この時、初めて自分が障害を持つ者であるということを自覚しました。私は意を決して心療内科の医師と相談し、障害者手帳を取得することを決意しました。

決め手は「今回は自覚症状がなかった」ということです。

これまではストレスや疲労が溜まっているという自覚がありました。しかし、今回は自覚が無く、身体から拒絶反応が出るまで気がつかなかった。気がつかなかったというショックが非常に大きかったです。

また、過去から今にかけて体調を悪くするような、うつ病になりやす職場環境で働いていたということも問題視しました。

自分だけが頑張れば解決する。

自分さえ我慢すればうまくいく。

そう考えていました。

だけど、それももう限界があると思いました。

大切なのは周囲の理解を得ること。

周囲にも自分に障害があると分かってもらって、長く働ける職場で働きたい。

その一念から障害者手帳を取得するに至りました。

つづく……

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ムギチャ

ムギチャ

32歳、うつ病で精神障害3級の手帳持ちです。
現在、就労移行支援訓練に通っています。
趣味はガンプラ!

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