「現代の座敷牢」寝屋川監禁死事件を振り返る①~求刑通りの決め手とは

その他の障害・病気 統合失調症
Photo by Aron Van de Pol on Unsplash

2018年12月、いにしえの風習とばかり思われていた「座敷牢」が現代に至ってなお愛用されていると世間に知らしめた、寝屋川の監禁死事件。死亡した長女(享年33歳)は15年ほど座敷牢に入れられており、発見時の体重は19キロしかなくBMIも9と異様に低い値が出ていました。死因は栄養失調による凍死です。

やまゆり園裁判の判決が下る少し前の2020年3月12日、大阪地裁は父親の柿元泰孝被告と母親の柿元由加里被告に求刑通りの懲役13年を言い渡しました。被告と弁護側の主張が全面的に退けられる決め手となったのは一体何なのでしょう。

それはひとえに両被告の「幼稚さ」が招いた判決といえます。裁判の中で明らかになっていったのは親として自分たちなりに尽力したことではなく、何かあったらすぐ諦めて投げ出してしまう両被告の軟弱な人物像でした。

精神疾患のある長女

弁護側によれば、死亡した長女には昔から自閉スペクトラムの傾向があり17歳で統合失調症と診断されたことになっています。報道によっては精神保健福祉手帳を受給していないとも障害年金を貰っていたとも言われています。

両被告の供述では、「昔から食事への執着が強く、衣服を嫌がった」「狭い所が好きだった」と幼少期のホームビデオも交えて必死に訴えられています。また、精神疾患の原因を「小6でいじめに遭い不登校になったから」と述べており、中学に上がってからは幻聴や幻覚も出始めたそうで、17歳の誕生日を間近に控えた2001年10月に地元寝屋川のクリニックを受診します。

寝屋川の医師は統合失調症を疑ったものの、未成年の症例について詳しくなかったために診断を避け、往診を提案しました。しかし長女の入院を望む両被告が渋ったため、入院治療に向いた大阪市立総合医療センターを紹介します。

センター医師は正式に統合失調症と自閉症の診断を下し、入院するかどうかの話になりました。両被告は「小さい頃から憎たらしい」「一緒にいられない」と話しており入院を希望していましたが、長女本人が「家族と離れたくない」と断ったのです。結局、「自宅の中で囲われたスペースを作り、落ち着ける環境を作ってください」と両被告に勧めるに留まりました。

長女本人が最後に受診したのは2002年2月で、以後2006年7月までは両被告だけが薬を取りに来ていました。センター医師は「娘さんはもう21です。入院させるかどうか、次の来院時までに決めておいてください」と告げますが、それ以降両被告は来なくなりました。

座敷牢への変遷

泰孝被告は最初から座敷牢を作った訳ではなく、その前に幾つかの段階がありました。最初は長女が10歳の頃、一人部屋として建てたプレハブ小屋です。音に敏感な長女を気遣って建てたと供述していますが、取り調べでは「あいつが居ると息が詰まる」と吐いているため、そちらが本心でしょう。

次は15歳の頃、お気に入りの乗り台を中心に囲いを作り個人スペースとしました。ところが、全裸で飛び出すなど危険な行動ばかりとっていたとして、17歳の時にコンクリートパネルで囲った「コンパネ部屋」へ移します。

コンパネ部屋はポータブルトイレとトイレットペーパーの他、飲み物・着替え・毛布が置かれており、生活がその中で完結するようにしていたようです。その頃は帰宅した泰孝被告へ元気に呼びかけるなど、親子間の交流も皆無ではありませんでした。しかし「危ないことをするから」と部屋に置くものは減らされていきました。

数か月後、最初のプレハブ小屋を改造して最終形の座敷牢が完成しました。座敷牢に窓はなく、内側から鍵の開かない二重扉で厳重に締め切られています。部屋には簡易トイレの他、24時間クラシック音楽を流すためのスピーカー、飲み水の入った大型ペットボトルへ繋がるチューブ、センサー式のハロゲンヒーター、そして監視カメラが備わっていました。

「衣服を嫌がるから」と年中裸で過ごさせ、「一緒を好むから」と残飯を1つの器にまとめ1日1回与えるという、およそ人間相手と思えない待遇が長年続きました。残飯をあてがう時ですら会話はなく、室内の掃除や身体の洗浄は好意的に見ても2週間に1度です。両被告と弁護側はこれを「療養」と言い張っていました。

空調は夏26度・冬15度となるよう調節していたようですが、事件前はなぜか設定温度を10度にまで下げており、凍死の一因になっています。監視カメラも死なない程度に様子を見るためだったのでしょうが、動作が緩慢になっても何かと理由をつけては放置し、死に至らしめました。

由加里被告はカメを飼っており、飼育日誌をつけていました。そこにはカメに餌をあげた時間や水槽の状況、そして長女へ食事を与えた時間も記されていました。もはやペット以下の扱いであったことは明白でしょう。遺体発見時、長女の歯はボロボロで何本か抜け落ちていたそうです。

三日坊主の両親

両被告は長女のことを邪魔に思いながらも、現状を変えるためのアクション自体は幾つも起こしていました。しかし、いずれも些細な挫折ですぐに諦めており一つとして長続きしませんでした。

長女が低学年の頃、既に担任から「親の愛情を受けていない」と見抜かれていました。そこで児童相談所が指導に入り、長女への接し方を変えるよう促します。由加里被告が自分なりに長女を受け容れる姿勢をとると、長女は赤ちゃん返りを始めました。今まで与えてこなかった愛情の負債を返すチャンスでしたが、由加里被告はこれを気味悪がったのか続かなかったようです。

次の諦めは長女が中学2年の頃でした。次女の提案で交換日記を始め、最初は皆ポジティブな文言を並べていたのですが、長女の筆跡は段々と元気がなくなっていきます。たった1か月後、長女が捻挫したのを契機に由加里被告が「山あり谷あり」とだけ書いて交換日記は途絶えました。

第三の諦めは長女が中学3年の頃です。不登校に気を揉んでいた由加里被告が声掛けをしていたのですが、「頑張れと言われるのが鬱陶しい。家族とはうまくいかないから諦めてほしい」と一度言われただけで長女から距離をとってしまいます。

最後の諦めは長女が31歳になったときです。由加里被告は久々に大阪市立総合医療センターへ足を運び、「自分が先に死んだら、娘が餓死したらどうしよう」と相談を持ち掛けました。あまりに期間が開いていたため医師も代わっており、「本人を見ないことには何も言えない。保健所などに相談してはどうか」と至極当然な返答を受けます。この一回の通院で由加里被告は「新しい医者は話にならん」と投げ出します。

少し頑張ってすぐ投げ出す三日坊主の繰り返しでした。楽な方へ楽な方へと流された両被告は、唯一長年続けていた座敷牢の管理すらも投げ出してしまいます。

逆に愛された次女

生まれた時から手のかかる長女は両被告から疎んじられていましたが、それに対して次女は従順で素直な「いい子」で、由加里被告にとって理想的な子どもでした。由加里被告は露骨に姉妹の待遇を分け、元クラスメイトからも明らかに分かるほどだったといいます。

公判では幼い頃の次女を映したホームビデオも流されました。そこには由加里被告が「お前は映してない。向こうへ行け」「いちいちこっちを向くな!」と長女へ邪険に接する様子が克明に記録されています。なお、次女も「姉は家でじっと無口でいて、話しかけても困った顔をする。姉妹という感じはなかった」と、両被告や弁護側に寄った証言をしています。

由加里被告が残していたメモには「妹は親の喜びを、姉は親の痛みを教えてくれた」という本心と、「姉は憎たらしく滑稽なので差別はしたが、大切に思う気持ちは変わらない」という自己弁護が記録されていました。

長女の異常性と座敷牢の正当性を必死に訴える家族と弁護側ですが、検察・医師・元級友・被告の親きょうだいからの鋭い追及が彼らの言い訳をことごとく崩壊させていくのです。

▶次の記事:「現代の座敷牢」寝屋川監禁死事件を振り返る②~鬼母へ全方位からの攻撃

参考サイト

寝屋川監禁死事件公判の記録(1)|47NEWS
https://this.kiji.is

寝屋川監禁死事件公判の記録(2)|47NEWS
https://this.kiji.is

寝屋川監禁死事件公判の記録(3)|47NEWS
https://this.kiji.is

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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