僕が双極性障害にいたるまで~自身の過去の振り返り(後編)

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出典:Photo by Marc-Olivier Jodoin on Unsplash

◀過去の記事:僕が双極性障害にいたるまで~自身の過去の振り返り(前編)

前回、幼いころから「うつ」になるまでを紹介しました。ここからは「適応障害」から「双極性障害II型」の診断にいたる、現在までを紹介します。

適応障害と診断されるまで

バイトを辞めた後、母に心療内科に行っていることが知られました。母は、僕に「しばらくゆっくりしときなさい」と言ってくれました。半年ほどニート生活をしていましたが、無力な自分に苛立ち自己嫌悪に陥り、お酒を飲んでは、自傷行為を繰り返していました。一度だけ、主治医に自傷行為をしていることを話しましたが、「ここではどうすることもできない」「酷いようなら、入院してもらわなければいけない」と言われ、それきり主治医には話さず、また自傷行為を繰り返す日々を送っていました。

今となっては、後悔しかないですが、このときは先のことなど、どうでもよかったのです。それでも、なんとしなきゃと思い、通院も続け、ハローワークに行き始めました。僕は相変わらず、何がしたいのかわからなっかたので、職業適性検査を受けました。結果は、クリエイティブな職種と、人と関わる職種に向いているようでした。僕はこのとき、認知症を患っていた祖父を亡くしたばかりで、父親がいなっかった僕は、おじいちゃん子だったなのにもかかわらず、認知症を患ってから亡くなる3日前まで祖父に会っていませんでした。このことから罪悪感があり、祖父にできなかったことを他の人にしたいと思い、介護の世界に進むことにしました。資格を取るため、職業訓練学校に行き、無事に資格を取り、すぐに特別養護老人ホームで働くことになりました。

老人ホームでの仕事は、思っていたより楽しく、やりがいもありました。ですが、いつ、誰が、どこで、転倒して怪我をするかわからないし、食べ物を喉に詰まらせる人もいたりで、かなり神経を使う仕事です。同寮の陰口が耳に入ってくることもありまた、入居者に対して態度が悪い職員もいました。そんな中、夜勤のシフトも始まりストレスが溜まっていきました。夜勤は、1人で就寝中の入居者20人の見守りをする業務です。何か起きても、ほとんど1人で対処しなければいけない状態で、18時~翌朝10時までの勤務を行っていました。

仮眠休憩が2時間ありましたが、僕はこの時、服薬しないと眠れない状態で、全く仮眠を取れませんでした。そして、シフト制なのもあって、中々友人と遊べず、ストレスがさらに溜まっていきました。

ある日、僕は自分の不注意で、配薬ミスをしてしまいました。当然、上司から怒られましたが、先輩に「俺も昔よくミスしたことがあったよ」と言われ励ましていもらいました。それでも、僕は責任を感じ、自己嫌悪に陥てしまいました。

働き始めて3ヶ月経ったある日、僕は不規則な勤務体制によるストレスや、中々友人と遊べないストレス、そして配薬ミスをした責任などで、何も考えたくなくなり、薬を過剰摂取し、お酒を飲みました。気づいた時には、病院のベッドの上でした。その後、僕は精神科病棟に入院することになり、職場には事情を話し、休職扱いにしてもらいました。

入院生活は、とにかく退屈で苦痛でした。二度と入院したくないと思うほどでした。許可がなければ、外に出ることも出来ず、毎日廊下を歩いたりして、時間を潰してました。ただ、ここで規則正しい生活を送ったことが回復に繋がりました。主治医にはストレスのコップが溢れるまで、ストレスを溜め込む傾向があると言われました。確かにその通りだと、僕は思いました。

ここまでを読んでくだされば、わかると思いますが、僕は今まで様々なストレスを抱えて生きてきました。でも、当時の僕はそれに、ほとんど気づいていませんでした。さらに、子供のころから、独りで過ごす時間が多かったため、人に頼ることができませんでした。僕は早く退院したい一心で、大人しく入院生活を送り、2ヶ月ほどで退院しました。この病院で「適応障害」と診断されたのです。

そして双極性障害に

退院後は、通院先を変えて、自宅療養をしていました。休職の期間が終わるまでに、復職をしようと思っていたのですが、主治医から許可が下りず、退職することになりました。そして、自宅療養と通院を続けながら、1年半近く過ごし、昼夜逆転の生活を送っていました。幸いにも、仲良くしてくれる友人が居たので、遊びに行くこともありました。さらに、幸運なことに、大叔母がハワイに住んでおり、僕の現状を知って、ハワイに招いてくれました。僕は3ヶ月、ハワイで日光を浴びながら、様々な経験をすることが、出来ました。ハワイに友人がおらず、退屈に感じることもありましたが、今思えば、自然と触れ合い、日光を浴び、癒されていたと思います。

帰国後は、また昼夜逆転の生活を送っていました。ですが、さすがに就職活動しなければいけないと思い、就労移行支援事業所に通所することにしました。通所するにあたって、主治医に意見書を書いてもらったのですが、そこには「うつ病」と書かれていました。通所することによって規則正しい生活に戻り、体調も安定。ここで様々なプログラムを受け、自己理解の大切さや、ストレスマネジメントなど学びました。もちろん就職活動に必要なスキルも。定期的にスタッフさんと面談もしました。

それでも気分が沈むこともありました。通所し始めたものの、どんな仕事に就けばいいかわからず悩んでいたのです。今までなら、ここでまたストレスを抱え込んでいましたが、このときには相談に乗ってくれるスタッフさんが居ました。そして人に頼る事を覚えました。これを期に、僕は友人と話す機会を増やし、悩みを相談できるようになったのです。

通所して自己理解を深めるうちに、自分は月末に近くなると気分が沈む傾向があることや、何か作業をすると、過集中になることに気がつきました。そして僕は、障害者手帳を作るため、主治医に診断書を書いてもらいました。そのときに初めて「双極性障害II型」と診断されたのです。僕はそれを受け、いろいろ腑に落ちた気がしました。

無理して遠い所まで行き、バンド活動を行ったり、当時の彼女に酷いことを言ったり、些細なことで親友と縁を切ったり、自傷行為を繰り返したり、何かの作業に対して、過集中になっていた時は「軽躁」状態だったのかもしれません。月末に近くなると気分が沈む傾向も、僕の双極性障害の特性なのではないかと思います。ただ、これだけ過去を振り返り、書き出しても、いつ発症したのか正確には、わかりません。でも、今まで様々なストレスを、独りで抱え込んできたのはわかります。なので、これからは、独りで抱え込まず、身近な人達に頼り、相談していこうと思いました。

おわりに

これを読むと、今までの、僕の人生は、辛い過去ばかりに見えるかもしれません。それはあくまで、辛い過去のことしか、書いてないだけであって、辛い過去の中にも、楽しいことは、たくさんありました。また、縁を切ってしまった親友は、共通の友達を介して、和解し、僕の障害を伝え、理解してもらい、今では心の支えになってくれています。今現在も僕は、就労移行支援事業所に通所しており、就職活動に励んでいます。この辛かった経験を無駄にせず、活かして、自分のような人の役に立てる、仕事に就きたいと思ってます。

このコラムが、読んでくださった皆さんの参考になると、幸いです。そして、僕のように、人に頼ることが苦手な人が居たら、手を差し伸べてあげてください。

セブ

セブ

映画と海外ドラマとROCKと猫を愛する28歳の男です。
双極性障害Ⅱ型で就労移行支援事業所に通所しております。

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