戦争化していくポリコレと生きづらさの源泉

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マイノリティや社会的弱者が権利保障のため声を上げる機会は以前よりも増えてきました。バリアフリーや合理的配慮にも繋がってくる大事な訴えもなされてきましたが、この意識変革は手放しで喜べないものになってきているのも事実です。

こうした「ポリコレ」的な動きは確かに生きづらさの軽減へ貢献してきました。しかし便利な道具のように扱い過ぎたためか衝突も増え、さながら戦争状態となって新たな生きづらさを産んでもいます。文明の進歩に悪用のリスクはつきものと言えるかもしれません。

ポリコレとは

「ポリコレ」とは、ポリティカル・コレクトネス(Political Correctness)の略でPCともいわれます。これは「政治的正しさ」としばしば訳されていますが、要は自力で変えられない属性に対する差別を認めない考え方です。

ポリコレにはリベラリズムの理念が色濃く出ています。その理念とは「全ての人が自分らしく生きられる」ことで「自由に生きる権利が欲しければ、他人のそれを保証せよ」という相互性や普遍性を持った概念です。もちろん「多様性を認めない多様性」などといった妄言は「他人の尊厳を害する権利など保証されるわけがない」のカウンター1発で沈みます。

時に固有名詞すら変えるほどの影響力が現在のポリコレには備わっており「ポリコレ棒」「ポリコレカードバトル」などと揶揄されることも少なくありません。とはいえ、そう揶揄されても仕方ないほど濫用されてきた前歴はあります。

ポリコレの運用や解釈に関しても、当人の主観が極めて強く出ています。「自力で変えられない」というのに努力や自己責任などを持ち出して「変えられるのに変えてこなかった」と言い換えたり、自分の感情や願望を押し通すために「差別的表現」としてこき下ろしたりされています。だからこそ「ポリコレ棒」などと叩く道具として呼ばれるのでしょう。

また、ポリコレには「保護対象外」があり、遠慮なくどこまでも悪しざまに言われます。そして、その基準もまた極めて主観的です。或いは抗議の声が黙殺されうるほど弱いのかもしれません。こうなると「全ての人が自分らしく生きられる」世の中へ貢献できているのかどうかは怪しい気がしてきます。

キャンセルカルチャーの隆盛

ポリコレの影響力増大にともない盛んになったのが「キャンセルカルチャー」です。キャンセルカルチャーとは、過去の発言や行動などを槍玉にあげてキャンセル(辞任)を求める社会活動のことで、日本でもキャンセルカルチャーによってライトノベルのアニメ化が白紙にされる出来事がありました。

キャンセルカルチャーやリベラル化について著書も出している作家の橘玲(あきら)さんは、どれだけ過去であろうと例え謝罪や和解がなされようと決して許されず攻撃に遭うという特徴を指摘しています。アメリカで実際に起こったケースでは、雑誌編集長に就任予定だった黒人女性が、学生時代にツイートしたアジア系への差別発言を蒸し返されたことでポストを外されています。

女性はツイートについて過去に謝罪していましたが、謝罪など無かったかのように炎上したそうです。雑誌側も最初は反論していましたが、スポンサーがボイコットを恐れて次々と離れたため折れざるをえませんでした。キャンセルまで執拗かつ無慈悲に攻め続ける様を見ると「ポリコレカードバトル」と揶揄されるのもいたし方ない感じがします。

橘さんは「永遠に残るデジタルタトゥー」「感情を共有しやすいSNS」「脳の報酬回路」が相互に作用しあってキャンセルカルチャーを過激化させていくと説きます。幾らでも過去を掘り起こせてエコーチェンバー現象(閉鎖的な交流で特定の信念が強化される現象)も起きやすい環境で、さらに「正義中毒」まで加わればもはや「火薬庫」と呼んで差し支えない状態でしょう。

ポリコレの浸透はマイノリティの権利向上に貢献した反面、誰もが気軽に「正義の鉄槌」を振るえるようにもなりました。武器があれば暴力への心理ハードルは下がり、丸腰では出来なかった攻撃も簡単に出来てしまいます。今はむしろ「殴り合い」「戦争状態」に突入しているのではないでしょうか。

橘さんは2016年ごろに流行った「自国ファースト」の流れを挙げ「リベラル化という『光』が強いほど、『影』もまた強くなっていく」「リベラル層が目を背けてきた『影』の産物は、もはや認めざるを得ない状態である」と述べています。

結局は生きづらさの質を変えただけ

「ポリコレカードバトル」などと揶揄されている通り、ポジショントークやクレームのぶつけ合いも目立ってきました。さながら「戦争状態」とも形容できる現況は、結局のところ別の生きづらさに覆いつくされてしまっただけにも思えます。

「日経COMEMO」に投稿されたコラムでは「変えようのない過去を掘り返して現代の基準で断罪するばかりでは、いずれ社会がアップデートされなくなる」と警告されています。

コラム投稿者の意見はこうです。「過去の罪を何でも水に流せという訳ではなく、寧ろ償われるべき。しかし、社会の価値観が変わっていく以上、今当たり前のことが将来『許されざること』に変わるのは十分あり得る」「繰り返すが、罪を有耶無耶にせよということではない。ただ、責任を個人に負わせて終わりではなく、どう社会をアップデートさせていくか皆で考えることが大切なのだ」「それなのに過去をいつまでも責められ続けるようでは、社会の価値観を変えていく意欲など生まれてこない」

いずれ「戦争」の尻拭いをさせられるのは、マイノリティのほうかもしれません。かといって、未だに差別表現へ固執した発信も残っておりますので「声を上げるな」というのも違います。ポリコレが新たな戦争状態を作っていくさなか、何ができるというのでしょうか。

参考サイト

小山田氏辞任で考える「現在の価値観で過去を断罪する」是非
https://www.news-postseven.com

過去の言動で立場を追われる「キャンセルカルチャー」から身を守る方法
https://www.news-postseven.com

「キャンセルカルチャー」がカルチャーを殺す日~「内ゲバ」としてのキャンセルカルチャー
https://comemo.nikkei.com

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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