精神疾患患者への取材のあり方~北新地放火事件の取材を受けて感じたこと

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出典:Photo by Daniil Onischenko on Unsplash

昨年12月に起こった北新地放火事件。比較的最近まで通院していた私には、他人事とは思えませんでした。犠牲となったみなさまのためにせめて花を手向けたいと思い、現地に足を向けた私が目にしたものと、そこから気づき、考えたことを書き綴りました。メディア側の方々、精神疾患患者の方々、共にこのコラムをきっかけに何か思うところがあれば、話の種としていただければ幸いです。

プロローグ 献花現場へ

2021年12月某日の午前中、私は白い花で作られた花束と、それとは別に包まれた一輪の白い花を持ち、北新地へ早足で歩いていました。花束の制作を依頼した時、花屋の店長に「何にお使いですか?」とたずねられた私は「北新地の放火事件現場に献花したい」と伝えました。「最近までお世話になった病院で起きた悲劇を、他人事のように思えなかったので花を手向けたい」と。

花束を受け取る際、店長は「便乗するみたいなんだけど、これも一緒に供えてもらえたら……」と白い花を一輪そえて花束をくださいました。店長の気持ちを形にしたような花を託された私は、次第に早足になりました。

事件現場で起こる出来事を、その時の私はまだ知る由もありません。

出来事①黒山のマスコミと無言の撮影

事件現場に近づいていくと「こうして事件から数日がたちましたが……」と語る男性の沈痛な響きの声が聞こえてきました。不審に思いながらビル付近まで来た私が見たものは、異様な光景でした。

煤で黒ずんでしまった病院の看板。煤で汚れたビルの壁。一階には険しい表情で立ち並ぶ制服姿の警察官達。その前に複数張り巡らされた黄色と黒の非常線が、事件の重大さを物語っていました。

それよりも私が驚いたのは、報道でしか見たことがないマスコミによる大々的な囲み取材がおこなわれていたことです。その円の中心で、1人の男性リポーターにインタビューされ、俯きがちに答えている若い女性の姿が見えました。これは私の私見ですが、彼女は自身に向けられた多くのマイクに委縮しているようでした。しばしの間、雰囲気に飲まれていた私は、やっと本来の目的を思い出しました。

「献花しないと!花を手向けなければ!!」

周りを見回した私は、酷く戸惑いました。なぜなら報道で見たはずの献花スペースが私の立ち位置からは全く見えなかったのです。私の背後から来た花束を抱えた人も同様に困った様子で周りを見渡していましたが、直に黒山の円を迂回して走っていきました。ほとんど無意識にその人の後を追った私は、囲み取材の人混みの向こうに献花スペースらしきものが見えたので、ホッとしました。

歩道の半分を埋めつくして、整然と並べられている沢山の花束。煤けて汚れた現場と真っ白な花束の対比に、もの悲しさを感じました。お菓子などのお供え物も綺麗に並べられたスペースに腰を下ろし、店長から預かった花と花束を手向けて手を合わせました。次の瞬間「パシャ!」と乾いた音が大きく響き、私は反射的にそちらに顔を向けました。

視線の先には献花スペースに向かってレンズを向ける男性のカメラマンがいて、次々とそこに訪れる人が手を合わせる瞬間に、何の声掛けもせずシャッターを切っていたのです。せめて「撮影します」の一言くらいはあってもいいのでは?と思いながら、私は少し不快な気分になりながらも再び手を合わせました。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りして立ち上がりかけたとき「少しお話よろしいですか?」と斜め後方から女性の声で話しかけられました。「はい?」と振り返った瞬間、私は絶句しました。

出来事②終わりのない質問

いつの間にか私の背後には、10人ほどの記者らしき人々が、私を中心とした半円を描くように隙間なく立ち並んでいたのです。背後に気配を特に感じなかったので「いつから私の背後にいたのだろう」と不思議に思いました。そしてその次に、こちらに向けられた多くのマイクに、いい知れない圧迫感を感じたことを記憶しています。「これは、私に取材したいということ?」としか思えませんでした。

一瞬、記者たちの半円をかき分けてその場を離れることも考えました。しかし、私はそこに留まりました。事件の取材を受けた時、自分はどのような気分になるのか?そして取材内容がどう報道されるのか?その二つの疑問への強い好奇心が、このまま立ち去るのは惜しいと私の足を止めさせたのです。今考えてみると、好奇心と言うよりはADHD由来の「興味を持った事象について限界まで知りたがる」という特性がわざわいしたように思います。

「こちらに来られたのは、どのような理由からでしょうか?」という質問を皮切りに、私への取材が始まりました。しかし私を面食らわせたのは、記者の方々からの質問が、良く言えばテンポよく、悪く言えば矢継ぎ早に間を置かずどんどん飛んできたことです。

この病院の患者なのか、いつまで通院していたか、転院したのはなぜか、院長の印象はどんなものか、リワークプログラムについて知っているか、などが主な質問の内容だったと記憶しています。

次々に飛んでくる質問の中、私は記者達のリアクションに無意識に注目していました。例えば私が院長に関する質問に答え始めると、記者全員が熱心にメモを取り出します。また、私が犠牲者の方々をいたむ発言をすると全員が同時に眉をひそめ、ある記者は共感しているといわんばかりに頷いたり、別の記者はとても悲し気な表情になります。「とても熱意を感じる、真剣に対応したい」とこちらの答えにも熱が入ります。

しかし時間が経過するにつれ、私は次第に「この質問の嵐から、いつ開放してもらえるのだろう」という不安感を覚え、不安感は次第に苛立ちへ変化しました。相変わらず早いペースで飛んでくる質問は止む気配がなく、常に顔近くにまで近づけられたマイクから受ける威圧感は、無くなるどころか増す一方です。

しかし、心の中でイライラしていただけではどうにもなりません。体力的に限界だと思った瞬間、私は無意識に「午後から用事がありますので、これでお開きにしていただけませんでしょうか?」と口走っていました。その場は解散となりましたが、これで終わりではなかったのです。

出来事③無理は厳禁のはず

次の目的地へむかおうとその場を離れようとしたとき「すみません!」と背後から男性の声が聞こえました。自分に声を掛けられているとは思わず歩き続けると、バタバタという足音とともに「さっき取材を受けていらした方ですね」と声が近づいてきたので、私は思わず立ち止まりました。振り返るとそこには腕章をつけた男性が、息を切らして立っていました。男性は夕方に放映されている有名な情報バラエティ番組のスタッフだと名乗り「3分だけでも時間をいただけないか」と暗に取材を依頼してきたのです。

このとき、私の体調は不安定な状態だったので、あまり無理をできないことはわかっていました。体調を維持するためには、この取材は断った方がいいこともわかっていました。しかし、「有名なテレビ番組のスタッフに取材を申し込まれる」という非日常的なシチュエーションに私の心は浮足立ってしまい、首を縦に振ってしまったのです。

結論からいうと取材は3分では終わらず、私は疲労のために朦朧(もうろう)としていて、何を質問され何を答えたのかほとど記憶にありません。取材が終わるとすぐに立ち去ろうとしましたが、またしても「すみません!」という声が追いかけてきます。もう取材はごめんだとさらに足を速めると、声の主は先ほどの番組スタッフでした。「確認し忘れていましたが、声は加工しますか?」という質問に「そんな大事な事、取材の始めに確認すべきではないのですか」という言葉が出かかり、こらえるのに苦労しました。

気付き~「断わ『れ』ない

グループホームに帰り、取材で疲れた身体をベッドに横たえて十分休めてから、私はメールで「北新地の放火現場に献花しに行ったらマスコミに囲まれて取材された!写真は勝手に撮られるし、記者から延々質問されてウンザリ!社名も名乗ってくれないところばっかり!」と大袈裟に、しかし取材については積極的に断ることをせず、好奇心から受けてしまったことが何となく気恥ずかしく、そこは伏せてしまいました。するとすぐに、うつ病を患う友人から返信がありました。

≪色々質問されて疲れてない?大丈夫?辛い思いをしていないか心配です≫

辛い?と私は疑問を感じました。私は私の好奇心のおもむくまま取材を受けただけですし、仮にこれで体調を崩しても自己責任だと感じていたので「マイクを突きつけられて似たような質問ばかり受けてたら、辛いを通り越して腹が立ってきた」と返信しました。この返信に対する友人のコメントに、わたしははっとさせられたのです。

≪献花に来る人たちはほとんどが精神疾患を抱えていたり、寛解したばかりの人なんだろうな。私やあなたみたいに心が弱っている人にマイクを突きつけるなんてひどい。心が強い人には精神疾患を抱えている私達の気持ちなんてわからないんだろうな≫

ひどい?私が受けた取材はひどいことだったの?と私は思わず考えこみました。そのとき、ふと現在ともにグループホームで生活をしている、ある利用者のことが頭をよぎりました。

彼女はその優しさからか、つねに「他の利用者に迷惑をかけまい」と考えて生活していました。例えばダウン症の利用者と彼女が同時にトイレを使おうとしたときには「ダウン症の方を我慢させてはいけない、この間失禁して大変そうだったから」と、彼女は先を譲ります。そのようにして他者を常に優先した結果「今洗面所や浴室を使いたいけれど、もしかしたら他の利用者が使うかも知れない」と設備を使わなくなりました。もちろん私をふくむ他の利用者は、当たり前に使っています。彼女はその当たり前のことに、次第に後ろめたさを感じるようになったのです。

彼女がこの状況について相談できないまま経過した時間は、何と2か月弱。その間、支援者は誰も彼女が設備を使用することに後ろめたさを感じていることや、彼女が友人宅などで浴室を借りたり、自室で充分とはいえない歯磨きをしていることに気がつきませんでした。そして何よりも「自分が住んでいるホームの浴室を使いたい」という当然の要望でさえ、自分からいい出せない人もいる、と言うことを私はそのときに知りました。

彼女は精神疾患を患っていますが、精神疾患を患っている患者が全員、他者に対して過度に遠慮深いわけではありません。しかし、私が以前通所していた就労移行支援事業所の発達障害を持つ利用者には、上司に確認したいことがあっても、上司が忙しそうにしていると「邪魔をして迷惑を掛けたくない」と確認できず、そのまま放置してトラブルに発展したという経験を持つ人が何人かいました。これに関しては障害特性に加えて「相手に迷惑を掛けたくない」という他者優先からくる遠慮が感じられるような気がしますが、私の思い過ごしでしょうか。

その他、二次障害としてうつ病などを発症している方のケースとして、体調が悪い時に苦手な仕事や残業を依頼されると、仕事や残業を受けないことに罪悪感を感じてすぐに断れなかったり、体調の悪さのあまり判断能力が低下してしまい「相手の要望に従わなければ」とそのまま受けて、やはりトラブルに発展してしまった話も聞きました。ちなみに、私にも体調の悪さから判断能力が低下した状態で仕事をした結果、職場に多大な迷惑をかけ、担当業務を全て引き上げられた経験があります。

このように病気の特性や体調の悪さから、依頼されたことを断るのが難しくなっている人、自分から「こうして欲しい」といい出すのが苦手な人がいるということもまた確かです。この状態は、友人の言葉≪心が弱っている≫に通じるものがあります。

それではもしも≪心が弱っている人≫が私が受けたような取材を受けたとしたら?いや、むしろあのときの私が他者優先のあまり「取材にきちんと協力出来なければ迷惑をかけてしまう」という強い思い込みを持って、あるいは体調の悪さのあまり判断能力が無い状態で取材を受けていたとしたら、どうなっていたのでしょうか。

実際に想像をしてみることで、私は初めて、友人の≪心が弱っている人にマイクを向けるなんてひどい≫という言葉の意味を思い知りました。

「もしも」の想像を踏まえた上での提言

私が他者優先の強い思い込みを持ち、延々と続く質問を「取材を中断したら迷惑になる」と、途中で切り上げることができなかったとします。恐らく私は延々と取材を受け続け、取材がいつ終わるのかと不安に思っても「充分な取材が出来なくて、記者の方が困ることになってはいけない」と切り上げることができず、最終的には不安感情の強さのあまり泣きだすか、不安が苛立ちに変わって「もうしんどいんで、いい加減に終わらせてもらえませんか」ときつい口調で質問を遮ることを制御できなかったかも知れません。

そして「いい年をして人前で泣くなんて、私はなんて弱い人間だ」「人前であんないい方をして、これが放映されて精神疾患の人間はみんなこうなのか、と思われたら私のせいだ」と自分を追い詰めてしまい、そこから体調悪化に繋がった可能性があります。

あるいは、取材を受けたときの私の体調が、取材を受けることが自分にとってどのような影響をおよぼすか、判断ができないほど悪かったとしたら、どうだったでしょう。体調が比較的よくても威圧感を感じたマイクに、過剰に不安を感じたかも知れません。取材を受けている途中に身体の倦怠感が悪化して、その場に倒れたかもしれません。最悪の場合、取り乱して号泣してしまうなどの精神的症状が現れてしまい、公衆の面前で醜態を晒すということもありえます。

その後は最初のケースと同じく「記者の方々のお役に立てなかった上に、記者の方の前であんな恥をさらすなんて。もう死にたい」と自分を責めてしまい、希死念慮に苛まれて何日も寝込んだり、希死念慮がおさまらない場合はそのまま自死してしまう可能性さえあったのです。

精神疾患は、うつ病であれば強い希死念慮に耐えられず自死してしまう。統合失調症であれば幻覚、幻聴、妄想の恐怖に怯える。というよく知られた精神的症状を無視することはできません。しかし、そうした症状が起こった後、起き上がれないほどの倦怠感や、不眠や過眠、食欲不振が続くなどの身体的症状が発生することは、それほど知られていないように思います。そして、精神的症状よりも身体的症状がより患者を苦しめることもまた、知られていません。

たとえば、うつ病であれば倦怠感や不眠などの他に「吐き気」「胃の不快感」「口が乾く」「めまい」「体の痛み」「息苦しさ」などの身体的症状が出るとされています。なお、これはあくまでも身体的症状の一例です。

その他、統合失調症であれば、前兆期には「不眠」「音に敏感になる」消耗期には「身体の倦怠感」「眠気が強い」といった身体的症状が出るとされています。その他、認知機能障害と呼ばれる「記憶力の低下」「集中力の低下」「判断力の低下」が出ることもあるようです。

実は、身体的症状が悪化したまま改善しない状態が続くと「こんな辛い状態がいつまで続くのだろう」と精神状態にも影響し、さらに精神的症状が強く出てしまうという負の連鎖が生まれるということが、精神疾患には往々にして起こります。

そのような悪循環からのがれるためには、精神状態と身体状態のバランスをいかに上手く取っていくか、そしてどうすれば上手くバランスを取れるのか、精神疾患の患者は常に考えなければなりません。多くは規則正しい生活をおこなうことで改善していきますが、その過程で体調のよし悪しがうまれることは、精神疾患の10年選手である私を見ても、一目瞭然でしょう。

「体調」と言う名の細い綱の上で常にバランスを取り続け、それをいつまで続ければいいのか先が見えにくい……。これこそが精神疾患の真の恐ろしさだと私は考えています。

さて『終わりのない質問』の章にも記載しましたが取材を始める際、記者の方々は私に対してこの病院の患者であるか質問しました。質問に対し私は「最近までこちらに通院していて双極性障害とADHDの診断を受けたが、事情があり転院して治療を続けている」と答えました。それはいいかえると「私は現在も他の心療内科に通院している、精神疾患の患者である」ということです。

つまり、あの時記者の方々は「被取材者は精神疾患である」という事を認識したうえで、終わりの見えない取材を続けたのです。

私が献花しにいく前にも「現在この病院に通院中」という方々が取材されている報道をたびたび目にしました。その方々が取材についてどのように感じていたかは解りませんが、事件のショックと取材のストレスで気分や体調が悪くなった方も、もしかするといらっしゃったかも知れません。

では、ここで再び「もしも」の話になりますが、例えば記者の方々が取材途中に「被取材者が精神疾患の患者である」と気がついた際「精神疾患の患者が取材に対して強いストレスを感じた場合、精神的症状を発症する可能性や、精神的症状からくる体調悪化を起こす可能性がある」ということを知識として持ち合わせていたとしたら、どうだったでしょうか。

仮に、私が上記の条件で取材をするとしたら

1、まず被取材者が精神疾患の患者と解った時点で、今取材しても問題ない体調や精神状態であるか、取材時間のおおよその目安を伝えて対応が可能かの2点の確認を行います。

2、2点とも問題ないと確認できれば取材します。取材の最初に、途中で気分が悪くなった場合は、そのむねをすぐに教えて欲しいこと、取材後にもし体調を崩した場合はすぐに主治医に相談して欲しいと2点の要望を伝えます。

3、質問については矢継ぎ早にせず、相手の様子を見ながら話のペースを調整して取材をおこないます。

この3つの要素を押さえることで、取材する側は一定の配慮ができますし、取材される側も安心して対応することが可能になるのではないかと考えます。メディアの方々には、この機会に上記の配慮内容について、ぜひご一考いただければと思います。

しかし、メディア側だけに配慮を求めるのは少しいき過ぎだと私は考えます。ですので患者側もまた、体調が悪い時はきっぱりと「断る」ことが後々自分を守ることになると、認識しておく方がいいでしょう。

そのためには、日頃から「これをすることで自分の精神状態は、あるいは自分の体調はどうなってしまうだろう」「今の自分の体調で、相手の要望に応えることができるだろうか」と常に自問自答する事が必要になってくると思います。自問自答した結果、体調か精神のどちらか、もしくは両方に悪影響を及ぼす可能性あり、と判断したのであれば、要望にそえない理由を明確にして「断る」経験を積むことができるのです。

取材をする側とされる側、双方が配慮や気遣いをできれば、取材を受ける側だけに過剰に負担がかからなくなるのでは?と、私は考えます。

最後に、少なくとも私が受けたテレビ取材に関してはその後放映された形跡が無く、どうやらお蔵入りになったらしいことをお話して、締めくくりたいと思います。

【体の不調はうつ病でも現れます。】
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp

【統合失調症ABC 統合失調症の症状や治療について、わかりやすく解説します】
https://www.smilenavigator.jp/tougou

オランプ

オランプ

長年にわたってうつ病で苦しみながらも病気を隠して働き続け、40歳になる前にやっと病気をオープンにして就労したものの生きることのしんどさや職場でのトラブルは軽減されず。実はうつ病の裏に隠れていたものはADHDであり、更に気が付けばうつ病も病名が双極性障害に変化。これだけ色々発覚したので、そろそろ一周回って面白い才能の1つでも発見されないかなーと思っているお気楽なアラフォー。
実は自分自身をモデルにして小説を書いてみたいけど勇気がない。

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