双極性障害と歩んだ20年~再発、入院、休職、離職

双極性障害(躁うつ病)

出典:Photo by Laura Ockel on Unsplash

私は「双極性障害」という病気と20年あまり付き合ってきました。その間、自殺企図をはかり、5度の入退院を経験しました。

最後に退院してから現在で4年がたちます。まだ完全には自分の症状をコントールはできませんが、就労移行支援事業所に通えるまでになりました。

始まり

私は、双極性障害という病気と20年あまり付き合ってきました。社会人になって半年がたったころ、残業時間の急増により、精神的に疲弊し、気分の落ち込みがひどくなりました。精神科を受診し「うつ病」と診断されたのです。

その半年後、睡眠薬を大量服用し、自殺未遂を起こしました。3か月の入院をへて復職しました。

その後、約7年間は職場の理解、スキルにあった業務、社内でのメンタルヘルスサポートなどにより、問題なく就労できていたのです。

2度目の危機

そのころ、担当上司が変わり、その上司との間で軋轢が生じました。業務指示は全てメールでおこなわれ、分からないことがあっても明確には答えてもらえません。また、業務量が増え、しんどいと訴えても真剣にとりあってもらえませんでした。ひとつ仕事を片づけるとすぐに新しい仕事を指示され、アップアップの状態に。周囲に助けを求めるという考えが浮かばないほど、精神的に追い詰められていきました。

上司との軋轢だけでなく、職場が移転し、通勤時間がこれまでの約2倍になるという「環境変化」も加わりました。2つの要因が重いストレスとなってのしかかり、やがて病気が再発。

再び、休職しました。休職期間は約1年におよびました。

その後、職場の理解、スキルにあった業務、社内でのメンタルヘルスサポート、新たに導入された復職支援制度などにより、スムーズに復職しました。上司にも恵まれ、問題なく就労できていました。

初めて病名を知ったとき

復職して6年が過ぎたころ、大規模な組織改革により、業務内容が大きく変わりました。その直後、上司やチームリーダーの異動も重なり、新しい仕事について、十分な引継ぎがおこなわれないまま、チームリーダー的な役割も担うことになりました。精神的負担が増大していき、次第にうつ症状が現れて病気が再発、そして休職、入院してしまったのです。

このとき、初めて、自分の病気が「双極性障害」であることを知りました。初めて聞く病名で、少しショックを受けたことを覚えています。ただ、そのときは自分の病気についてもっと知ろうとする気持ちはなく「うつ病ではないんだなあ」ぐらいにしか受けとめませんでした。

離職

3か月の入院をへたのち、いったんは復職しました。しかし、度重なる上司の異動や社内変革の流れにうまく乗ることができず、短期間で再び休職となってしまいました。

その後、会社の復職プログラムを利用して休職期限内での復職を目指しましたが、体調が安定しないまま期限切れとなり、離職してしまいました。

病気と向き合う覚悟

離職後の1年間は入退院を3回繰り返し、およそ8か月間を病院で過ごしました。3回のうち、2回目の入院は、半年を越えました。このとき初めて、自分の病気についてもっと知りたいと思い、自分で調べたり、主治医に話を聞いたりして、知識を増やし、少しずつ理解を深めていきました。

病気や薬についての知識は、初めのころとくらべると確実に増えていきました。しかしながら、自分の「思考の癖」に気づいて認知を修正したり、自分の症状を理解して対処方法を考えていくなど、自分と向き合っていけるようになるのは、もっともっと先の話です。

最後に退院してから現在でちょうど4年です。その間も体調変動の波は何度も襲ってきました。デイケアへ通い始めた当初は、うつ症状の期間の方が長く、落ち込みの程度も大きかったのです。

デイケアへ通い、さまざまなプログラムを学ぶことで、少しずつ自分と向き合うことができるようになっていきました。そして先日、4年間過ごしたデイケアを卒業したのです。

デイケアへ通いながら、就労移行支援事業所にも通い始め、事業所への通所期間は1年5か月になります。移行支援事業所の利用期限終了まで残り7か月です。ひとつひとつの課題に真摯に向き合い、焦らず、自分のペースで自分らしく就労への道を切り拓いていきたいと思います。

ハナミズキ

ハナミズキ

一人暮らしをしています。ドラマを観たり、ラジオを聴いたりして気分転換します。育てているサマーキャンドルという植物が、今年もたくさんつぼみをつけています。初夏ごろ、花を咲かせるのを今から楽しみに毎日成長を見守っています。

双極性障害(躁うつ病)

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