グループでのつき合いに関して~対人恐怖症、被害妄想を経て

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出典:Photo by Akson on Unsplash

私は統合失調症を患っておりますが、病院での治療で対人恐怖症や被害妄想はかなり落ち着いています。しかし、他人と1対1で話すのはかなり楽になりましたが、グループでのつき合いは依然として苦手です。今回はそのことについて書いていきたいと思います。

「人は優しいもの」という感覚

昔から引っ込み思案で、よっぽどの親友とでないと心から笑って話せない性格でした。しかし、病気になり、統合失調症の治療を進めていくにつれて、誰とでもかなり親密に話せるようになりました。

会社勤めのころは、同僚や先輩たちに非常にめぐまれており、とても幸せな日々をすごしていました。周りの人が自分をかわいがってくれているのも実感していましたし、このころは多人数での集まりも積極的に参加できていました。

しかし、お薬の副作用かホルモンバランスの乱れか今でも分からないのですが、ある日私は非常にイライラして帰宅し「もうあんな会社いかない」と信じられない言葉を発したのです。

「明日から入院する」と親にいい、よく覚えていないのですが1週間ほど入院していました。

生理休暇を認めてもらえない会社だったので、生理時非常にしんどく、休むことが多々ありました。それが息苦しかったのが1番の原因だと思います。医師に生理休暇を認めてもらえるよう診断書を書いてもらいました。

しかし、退院後に職場に足を運ぶことはありませんでした。「自由」の心地よさに負けてしまったのです。

ここで道を踏み外した私を待っていたのは、病気への逆戻りでした。友達に会ってもプライドの高かった私は、本音を話すこともできず「何か思われていないだろうか」と妄想が頭をかけめぐったり、きちんと社会人をしている友達らの話についていけなくなったりしました。

あれほど体調のよかったころ実感していた「人は優しいもの」という感覚がまた無くなってしまったのです。

再入院

私は再び誰とでも話せる人間に戻りたくて、以前入院していた病院に再入院しました。入院してすぐに色々な人に話しかけました。ときには嫌がられるほど自分勝手な近寄り方もしました。それを見ていた他の患者さんが「嫌な人が入ってきた」と噂を流したのです。

私は当時、人の目も気にならないくらいになる、きついお薬を処方してもらっていました。私の主治医は「あなたにはもうこの薬は出せません」と禁忌扱いにしてしまいました。そのとたん、またすべてが怖くなりました。禁忌扱いにされたのは病院での行動と、私が何もいわずに外泊中、勝手に「もう退院する」と病院に戻らなかったからです。

だれかひとりにだけ悪くいわれたくらいでは、それほど怖くなかったでしょう。ですが、その病棟の女性グループのほぼ全員が私をよく思っていなかったのです。

当然、反省する点は多々ありました。しかし若かったころ、バイト先で「女性のグループ」の陰口が多く、それも対人恐怖になった原因だったことを思い出しました。そして再び怖くなってしまったのです。

あまりにも勝手なことをした私ですので、転院させられてもおかしくないくらいの状況でしたが、なんとか通院を続けることは許されました。

気づき

この後の事は他のコラム「統合失調症でも生きていく」という作品の中で色々と書きましたが、結婚をして家族を築いた私は今現在も娘の小学校のママ友や、夫の親族などと、人間関係は避けて通ることはできません。

そんな中で今はわりと上手くやっていけているほうだと思います。しかし、気軽に話せる人とそうでない人というのはやはりいます。心の底から「ずっと話していたい」と思うママ友もいれば、あいさつくらいで済ませるママ友もいます。

私が「ずっと話していたい」と思う友達は、昔から誰とでも話せ色んな人から好かれている人が多いです。一番仲のいいママ友もそのひとりです。家が近く、おたがいの子供が親友なので、親子で家を行き来することも多いです。

しかし、小学校の催しごとがある時など、彼女はグループに誘われます。私とは毛色の違うタイプの人たちですし、私自身もそのグループに入りたいとも思いませんので、私は他のママ友と話をしています。私は1対1のほうが話がしやすい性格ですので、主にそういった人に声をかけます。

昔、ネットで対人恐怖症を治す方法についての記事を読んだときに「加わりたくない集まりに無理していかないことも大切」だと書いてありました。

若かったころの私は、誰からも好かれて楽しい集まりにも参加したいと思っていましたが、今はそうは思いません。毛色の違う人たちと話すのは私には少ししんどいですし、そんなことをしている暇があれば、違うことをしていたいと思うようになれました。

親友は少なくていいと思います。その分、家族との時間を充実させていいと思います。親友はとても大切ですが、家族には勝てません。今振り返ると結婚をする前も、母親と出かけたり、父親や兄と話をすることがとても楽しかったです。病気にさいなまれ、未来に希望などあるのだろうかと絶望のふちにいたときも、今思うともっともっと家族といられる幸せに気づいておくべきだったと思います。

本当に大切なこと

私は今とても充実しています。娘が幼稚園のころなど、私もグループに属していた時期がありました。しかし、私が親友だと思っていたグループのひとりが裏で私の悪口をいっていたと聞いて、非常にショックを受けたことがありました。

そんなグループでお茶やランチをしているくらいなら、家で家事をがんばって「帰りたいと思う家庭」を作り上げることのほうが大切だと思っています。

私は料理が好きです。家族がおいしいといってくれるととても嬉しいからです。雑用も好きです。皆が散らかした部屋を片づける時間も専業主婦の幸せな時間のひとつだと思います。布団やシーツを洗ってみたりなど、気がついたときにやってみるのも達成感があります。

これも昔ネットで見た精神疾患が治った人の意見ですが「健常者は常に雑用をしている」というのがありました。「常に」がどの程度かは不明ですが「精神疾患の人は治った自分の人生」が「とても輝かしいもの」ととらえていると書いてありました。私もそう思っていたひとりでした。しかし、実際症状が落ち着くと、待っていたのは「ごく普通のたんたんとした穏やかな人生」でした。

毎日朝起きて食事をし、家族を見送った後はしばらくゆっくりとニュースやドラマなどを見ます。朝風呂に入り、頭をすっきりさせたところで家事を始めます。昼食は自分の好きなものを食べ、その後はコラムの案を練ったり、雑用は果てしなくあるのでできる範囲で雑用をこなし、毎日の買い物にスーパーへいくことも、とても楽しいものです。

そうこうしているうちに娘が帰ってくるので、駅までお迎えにいきます。帰りは2人で今日あったことなどを話しながら楽しく帰ります。「ママ、お腹すいた」といわれたらドーナッツ屋さんやお菓子屋さん、ケーキ屋さんに寄って、夫の分も夕食後のおやつにと買って帰ります。その後は家族が食べたいであろう夕食のメニューを考え、支度をします。今では、一番の親友は娘です。

夫は6時ころ帰ってきます。特に寄り道や飲みにいったりせず、まっすぐに帰ってきてくれます。このことが私は一番嬉しいです。こんなたんたんとした毎日ですが「そんな幸せな何も問題のない家族、なかなか無いのよ」と母はいってくれました。

おわりに

私は小学校6年間、親友と他ふたりの友達とでグループを作っていました。しかし、親友以外のふたりとはどうもうまが合わなくて、いつも「親友とふたりがいいなあ」と思っていました。

その私がいつの間にか「グループに属してうまくやらなければ」と思い込むようになってしまっていたのです。

最近でこそ、お薬の効果で頭であれこれ考えなくて済むようになりましたが、以前はグループに属しているとき「あんなこといったけどみんなに何か思われただろうか」「今日はほとんど何もしゃべれなかったな」と後でうじうじと考えてしまっていました。

そんなことで貴重な時間を使うくらいなら「ひとりでやりたいことをやって、家族のためにもいろいろとできることがあるだろう」と思えるようになりました。ですから「グループが苦手な私でもいいのだ」と思えるようになったのです。

たまに高校時代の友人が「みんなで再会しよう」といってくれるのですが、今でも少し気おくれします。ですので「グループ内で自分は空気」と思えるくらいでいられれば、それでいいと思っています。

macaron

macaron

統合失調症、その他の精神病をわずっている主婦です。
犬猫が好きで癒されています。

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