障害者として生きる自分

暮らし

出典:Photo by Adeolu Eletu on Unsplash

私は発達障害の一種である、自閉症スペクトラム障害(以下ASD)という障害をもっています。

一概にASDといっても、障害特性は人それぞれです。

私は、コミュニケーションやスピード作業が苦手であったり、暗黙のルールが理解しづらいなどの特性があります。

そんな私が体験した、診断を受けるまでと、それからのことをお話していきます。

中学校卒業まで

保育園のころは比較的、他の子たちと積極的に話せていた方でした。しかし、小学校入学後は周りの子たちと馴染めず、自分から話しかけることはほぼありませんでした。

そんな私は4年生の途中までいじめを受けていました。4年生のとき、担任がいじめを見つけ、いじめていた子たちに事情を聞いたところ、そのうちの1人が「嫌といわなかったから」と答えました。このとき私はすでに、気付かぬうちに自分がいじめ受けていることにさえ、何とも思わなくなってしまっていたのです。

担任が注意してからはいじめはなくなりましたが、小学生時代は私にとって暗黒の時代でした。

中学校に入ってからも、2年生まではクラスメイトとうまくつき合えず、ちょっかいを出されたり、嫌なことをいわれたりしました。しかし1年生、2年生と2度にわたる担任の注意により改善し、3年生のときは嫌な思いをすることは無くなりました。

社会人として生きようとするも……

高校、大学ではいじめられることはなく、ある程度人間関係を築けるようになっていました。学生生活もそれなりに楽しむことができました。

しかし、大学を卒業してからはまた苦しい時代を味わうことになります。

なんと、就職しては離職してを何度も繰り返していたのです。離職の原因はミスマッチや自分の努力不足がほとんどですが、パワハラに耐えられず離職したこともありました。

そんな中、前職の上司から「作業が遅い」「キョロキョロし過ぎている」などといわれました。作業スピードについては自覚していましたが、落ち着きの無さを指摘されるとは思ってもいませんでした。

この時、私は過去にも似たような症状があったことや、違う職場で私の意図せぬ失言により上司を怒らせてしまったこと、相手の意図を読むのが苦手であるなどの理由から、初めて自分が「発達障害」ではないかと思い始めました。

そして意を決し、精神科のクリニックを受診したところ「発達障害の疑いがある」と告げられました。その後、紹介先の大学病院で発達障害に関する検査を受けた結果、正式にASDの診断が下ったのです。

診断を受けて~自分の気持ちと理解の壁

自分自身がASDなどの発達障害の診断を受けた方、みなさんはどのように感じましたか? 素直に受け入れられた方もいれば、今でも受け入れられないという方も、中にはいらっしゃるかもしれません。

私の場合「やっぱりな」とすんなり感じ、この時点では特にショックを受けることはありませんでした。100%自分が悪いわけではなかったことが証明され、ホッとしました。その反面、私自身も障害者の仲間入りとなったことに「これでいいのか?」と思ったりもしたのです。

一方で、父が「お前みたいな人なんかいっぱいいるのに」と、この診断に両親は共に納得できない様子でした。診察室を出てから陰で主治医に対し、文句をいっていたこともありました。私は、両親が私のような症状は障害ではないと思っている事を知り、ここで初めて少しショックを受けたのです。

というのも、私にはある障害をもつ兄がいるのですが、兄の方が障害が重いため、兄に比べれば私の障害特性は大した症状ではないと思われてしまっているのです。

日常でも、私が嫌だと思うことを時々いってくるのです。例えば「いつまで就活してるの?」とか「あんたがやる気を出さないから」などと、私がなかなか職が安定しないことを指摘してきます。その度に私は聞き流したり、その場を立ち去ったりしてしまいます。

さらには「自分から障害者になりに行った」といわれたこともあります。

確かに、この障害は精神科で検査を受けなければわからないものです。ですが私は、自分でおかしいと感じたので検査を受けたのであって、なろうと思って障害者になった訳ではありません。

ましてや、好んで障害者になりたいと思う人なんていないでしょう。それを私が自ら好んで障害者になったような言い方をされるのは、私にとって心外です。そしてこの障害に限らず、全ての障害を持つ方に対し失礼だと思います。

私の障害を100%理解してほしいわけではありませんが、今の時代にまだこのような考え方を持つ人がいることに、私は怒りを通り越して呆れてしまいました。

診断を受けて~両親の配慮

障害についての考え方が私と全然違う両親ですが、だからといって両親は私の障害を全く認めていないわけではありません。診断を受けてからは、両親も自分の障害特性を見てある程度妥協したように思える所があります。

具体例として、以前の父は、私が指示された作業を手際よくできなかったり、間違えたりすると怒り口調で注意してくることが度々ありました。しかし、現在は比較的落ち着いた口調でアドバイスすることが多くなりました。母も私が作業中はテレビの音量を小さくし、なるべく私が集中できるよう配慮するようになったのです。

今してもらえている配慮は少ないですが、それでも私として何かしらの配慮をしてもらえるだけでも嬉しく思っています。

ただ欲をいえば、もっと配慮してくれたら、もっと自分の障害を理解してくれたらと思います。しかし私は怒られることを恐れ、両親に対し強い発言がなかなかできません。仮に自分の障害について話し合えたとしても、私と両親だけでは互いの理解が深まるとはとても思えません。かといって、今の私には他に行く当てなどありません。いく当てが無い以上、両親のいる実家で暮らし続けるしかないのです。

このように、診断後に家族など、周りの理解が得られず苦しむ経験をされた方もいらっしゃるかもしれません。後に理解が進んだ方はいいのですが、私の場合、現在もあまり両親の理解が進んでいません。

しかし、そんな両親に対し、私は最近「そういう考えなんだ」と捉える様になりました。自分の障害の受け入れてほしいと願うのではなく、両親の考えを自分が受け入れる。そういったことも、ときには必要なのかもしれません。

終わりに

両親が私のことを心配してうるさくいってきていることも、私にはある程度わかっています。その中で、自分がどのような人生を目指すのかを模索し、自分らしい人生を築けるよう、これからも頑張っていきます。

私はわけあって、診断後もしばらく前職で働いていましたが、後に退職し、現在は就労移行支援所で自分に合った、もしくは本気でやりたいと思える職業を探しています。

発達障害者も同じ人間です。差別や偏見ではなく、障害があろうと無かろうと、たがいいを認め合い、協力し合える。いつかそれらが当たり前の世の中になってほしい。それが今の私の願いです。

最後に、こんな私がいうのもなんですが、大事なのは「自分らしく」です。みなさんにとって「これが自分だ」と思える人生となるよう、願っています。

ネッコのひなたぼっこ

ネッコのひなたぼっこ

就労移行支援事業所に通いながら、自分の生き様を探している。

関連記事

人気記事

施設検索履歴を開く

最近見た施設

閲覧履歴がありません。

TOP

しばらくお待ちください