好きがなくなるうつ病~きっかけなんてないんだよ
暮らし うつ病出典:Photo by Microsoft Edge on Unsplash
あなたには趣味がありますか?大好きなものはありますか?
もしそれが楽しめなくなったら、愛情を持てなくなったら……その時を想像したことはありますか。
「うつ病」になりそれらができなくなった私の経験をここに書かせていただきます。
私にとってのうつ病
私のうつ病に対するイメージは、心の風邪という呼び方でした。うつ病になるとネガティブでお風呂には入れなくなり、部屋も清潔ではなく目の下には隈がびっしり……。
実際にうつ病になってわかったことは、そんなネガティブなイメージの半分は本当で、半分は偏見なんだなということです。私は不眠症も患っていたので目の下の隈には今でも悩まされていますが、部屋はごみ屋敷になるなんてことはなく、むしろ日に日に荷物が減っていく生活を送っていました。
うつ病の転機が訪れる
私がうつ病だと診断されたのは、コロナ禍の初めの方でした。
ステイホームが広がり、家から出られない生活が続いたころ、寝ることができない日々が私を襲いました。寝不足からか友人との関係も上手くいかないことが増え、気晴らしにしていたゲームも手に取ることがめっきり減りました。家事も億劫になり、暇で外出もできないから眠ろうとすると、また眠れない負の連鎖が続きます。
誰とも会話せず、テレビも見ない。大好きだったはずのゲームや映画も面白くない。もしかして、これってメンタルがやられているのかな。そんなことを思いながら天井を何時間も眺める日々を送っていたころ、ようやく転機が訪れました。
「心療内科にいった」というつぶやきを、友人のSNSで見たことが私を変えるにいたったきっかけでした。
「精神科、心療内科って案外普通な感じだったよ」
その言葉を見た瞬間、重い身体に鞭を打って外へ出ました。不要不急の外出を控えていたことも、気力がなかったこともあり、1駅ほど離れたその病院へいくだけでも新鮮な気持ちでした。
そこで1時間ほど生い立ちから最近の自分の状態について話し、私は「うつ病」だと診断されました。
すとんと、重荷が減ったような肩が軽くなったような感覚が確かにありました。自分のこれは甘えであり、怠慢なのだと数年自分を責め続けてきたことに病名がついたのです。
それと同時に、心のどこかで「うつ病になるようなきっかけなんて無いはずなのに」という思いがありました。
私の思う、うつ病になるきっかけというのは人間関係であったり、職場でのストレスなど思い当たる節が必ずあるはずなのです。けれど私には、それがありませんでした。その時期の悩みと言えば、友人とプレイしているゲームで私だけが上達しないことくらいで、医師に聞かれた時も同じことを回答し、首をかしげられました。
つまり私には、うつ病になるきっかけなどなかったのです。
それからは、今でも鮮明には思い出せません。うたた寝している間に見た夢のような、不明瞭な記憶しか無く、この数年はほとんど空っぽのまま生きてきました。
私は友人と一緒に暮らしていたのですが、友人にうつ病だと話した時はわけもわからず、ふたりで泣きました。友人は自分に非があるのだと主張していましたが、まったくそんなことはないのです。とても優しくて寛大で私にとってなくてはならない存在です。そんな子につらい思いをさせてしまったことが悔しかったです。
それからは、なるべくそう思わせないように行動しようと決めました。
趣味が楽しめなくなる
その他にも、思わぬ弊害が判明しました。
私の趣味は、いわゆるオタクと呼ばれるアニメや漫画などを毎日繰り返し見たり、空いた時間があれば携帯片手にゲームを何個もプレイするなどなかなかにハードなものでした。それがうつ病になってからめっきり楽しめなくなってしまったのです。
それをぼんやりと自覚したのは、うつ病だと判断される前にいったとあるライブ会場でした。
熱狂的なファンであるとある友人に誘われて何度かライブに足を運んだこともあり、会場の空気感や他のファンの人と同じ場所にいるだけで楽しかったのです。けれど、胸が熱くなって楽しくて、時間を忘れてしまうようなライブ独特の感覚が、その時にはありませんでした。
体調不良かな、気のせいかなと自分を誤魔化していたのですが、次第にそのコンテンツに触れることを怖がるようになってしまいました。
今思うと、それは無意識に自分の心の変化やうつ病かも知れないと気づくことを躊躇っていたのかもしれません。そうして生活や人生を豊かにしてくれていた大好きなものたちから距離を置くようになり、ますます私の心は落ちこむことが増えていったのです。
今は友人の献身的なサポートや通院のおかげで日中に出歩くことも、夜に眠ることもできるようになりました。新しくライブに参加する予定も久しぶりに決まりました。
おわりに
元気なころに比べると、半分にもおよばない私の精一杯ですが、それでも友人たちは「えらいね」「頑張ったね」と声をかけてくれます。私も以前ほど自分自身を傷つけるような行動は無くなりました。
今でもうつ病になったきっかけはわかりません。もしかすると、私は私の思うずっと以前からうつ病だったのかもしれません。その時には、悩みがあってそれがきっかけだったのかもしれません。
それでも、結果的にはきっかけがなくても私はうつ病だと判断されたのです。
このコラムを目にしている方で、もし思い当たる節が無くてもつらいと悩んでいる方がいらっしゃるならば、どうか肩の力を抜いてください。きっかけ探しをやめてみてもいいかもしれません。
「きっかけなんてないんだよ」
私はこの言葉をつぶやくと、心が軽くなります。うつ病に対する偏見やネガティブなイメージが払拭され、もっと当事者の方が気軽に病院に通える社会になることを、祈っています。
うつ病