残暑の中、学校における体育系行事(特に組体操)を想う
暮らしさてこの話、運動の出来ない生徒だった人間による呪詛と切り捨てるのは別に構いませんが、体育系の行事は文化祭や合唱コンクールに比べると人の醜さが格段に表出しているなという思いは拭いきれません。体育系の行事に対して“思う所”に、理解や共感の出来る方へ向けたコラムといえるでしょう。そうでない方には不快な内容かもしれませんが、体育系の行事を楽しんできた“強い人間”でしたら、不平を垂れないであろうと信じています。
毎年9月、まだ残暑の厳しい折にいつも想い起されるのは、中学時代の「体育祭」です。甚だ苦痛でした。残暑による灼熱の中、組体操や応援合戦の練習に明け暮れ、しかも熱中症にならないギリギリを上手く攻めるせいで正当な離脱も出来ず、体育教師や体育を好む生徒たちの「思い出作り」にひたすら付き合わされたものです。
「もっと声出せ!」「暑いのはみんな一緒!」根性論しか吐かない2学年上の、先輩と呼ぶことすら躊躇われるナニカにずっと急き立てられていた記憶もあります。実は大学時代にも、同じような声出し練習をしている運動部集団を見かけたことがありますが、あちらは「うるさい」「軍隊のようで怖い」などとクレームが殺到し、程なく目立たない所へ追いやられていました。中学に比べてだいぶ意識が進んでいるなと思った次第です。
教師と来賓と一部生徒が一時の感動を得る為だけに、灼熱と砂利と集団意識で無駄に身体を苛め抜く、この“伝統”の異常性は幾つになっても忘れられません。体育を主軸にしているのも上手い構造で、声が大きく強圧的な体育教師と運動を苦にしない高スクールカーストで場を支配することで、有事の際に責任を有耶無耶にしたり立場の弱い生徒をスケープゴートにして済ませたり出来ます。つまり、学校側へ異議を申し立てられず、生徒間で憎悪を消費し合うしかなくなる訳ですね。
体育系の行事でずっと“中心”“花形”“目玉行事”となってきたのが「組体操」です。“最大の悪”と捉えてもいいでしょう。何故ならば、教育指導要領にも存在しないくせに必須行事のように君臨し、少なからず死者や重い後遺症を出してきた、学校行事でも五本の指に入る危険行為だからです。
“誇示”するための大型化
私の時は中学時代かつ男子だけで、タワーは3段、ピラミッドは4段だったと思います。後述する大型ピラミッドほどではないにしろ、やはり負担や荷重は物凄いです。下の砂と上の生徒が万力となっている中、観客席から聞こえる拍手と歓声に、「これで喜ぶなんて、狂ってる」と思いましたね。
組体操の練習は炎天下でやるため、疲労と熱中症のダブルリスクがあります。練習を続ければどこかでバテますし、一人がバテれば事故に直結します。これに対し教師側が出来ることは、こまめに休憩時間を刻むか、周囲に立って救助ポーズをとるか、有事の際に言い逃れするか、いずれにせよ姑息な悪知恵だけです。そもそも、組体操の事故を防ぐ根本的な方法は“最初からやらないこと”だけなのですが。
また、一部の学校では8段や10段クラスの大型ピラミッドに児童生徒を巻き込んでいました。当然、大人数が必要となりますので、男女混合となるでしょう。すると、体格や体力の差はより広がり、危険度は何倍にも膨れ上がります。10段ピラミッドの最上段は、高さでいえば一般的な集合住宅の3階に相当し、そこに安全器具皆無の丸腰で位置するとなればその危険性は誰でも理解できるでしょう。加えて、下段にかかる荷重も最大200kgと尋常ではなく、土台は甚だ不安定です。
教育者として狂気の沙汰としか言いようのない企画をなぜ遂行するのでしょうか。ズバリ“誇示する”ためです。「何もないわが校にも誇れるものを…」で行き着くのが、安全性を度外視した巨大なピラミッドやタワーを披露することです。それに、地域や来賓も過激な組体操に感動し褒め称えてきます。承認欲求だけは立派な大人たちが、子どもをオモチャにして盛り上がっているのが、組体操の実態です。
そんな有様なので、過去に様々な事故が起こってきました。1969年から2014年の間で、組体操関連で9人が死亡し92人に後遺症として障害を負ったというデータが存在します。組体操の事故によって運動部を続けられなくなった事例さえあり、もはやスポーツ教育の妨げにすらなっています。
ただ、45年間で取り返しのつかない事故が全国で100件程度という数は、どう見られるでしょうか。実際のところ、「うちには関係ない」「わが校は上手くやるから大丈夫」でスルーされる数字に過ぎません。次は我が身と意識するほどの件数ではないのです。ちなみに、2人技でも「倒立」や「サボテン」は事故が多く、数でいえばピラミッドに匹敵するそうです。
突然のブレイクスルー
ところが、2014年から2015年にかけて突然のブレイクスルーが起こりました。第一に、組体操の危険性について長年研究し訴え続けてきた内田良教授の働きが挙げられます。内田教授が様々なメディアを通して残した記事は、2010年代半ばに集中しており、組体操の危険性が本格的に意識され始めたのもこの辺りです。
第二に、事故報道です。2014年ごろから組体操関連の事故が報道されるようになり、多くの人に知れ渡るようになりました。いきなり組体操を拾うようになったメディアの気まぐれといえばそれまでですが、組体操の是非を問うきっかけにはなったことでしょう。
特に、2015年に大阪府八尾市で起こった10段ピラミッドの事故は映像としても残されており、今でも動画サイトで閲覧できる(=誰も削除の申し立てをしていないor通っていない)状態です。八尾市のケースでは、前年も同じ事故を起こしていたことも明らかとなっており、学校側の学習能力の乏しさも窺えます。
第三に、子ども自身の声が国へ届いたことです。2016年、馳文科相(当時)宛に送られた小6女児からの手紙は、まさに当事者を代表しての組体操への抗議でした。その女児は手紙の中で、組体操の練習中に事故が起こったこと、後遺症によって卒業まで何の行事にも参加できなかったこと、行事どころか日々の生活すらままならないこと、そして教師たちは絆だの伝統だのと取り合わなかったことを熱く訴えました。
これらのブレイクスルーにより、学校の組体操に「自重」の流れが生まれました。2015年に大阪市教委は、全国に先駆けて「ピラミッドは5段まで、タワーは3段まで」と制限を設け、半年後には全面廃止を掲げます。これに他の自治体も続き、いつしか「安全に魅せられる技」が追求される時代へと移りました。今は安全かつ見栄えのいい「扇」なんかが人気らしいです。
旧式に固執する学校もある
ただ、各自治体の要請に強制力はなく、未だに旧来の危険な組体操を続ける学校もあるにはあるようで、組体操は「二極化」したのが実際の所です。旧派閥はお題目のように「ちょっと危険ってだけですぐ廃止は間違ってる!これでは子どもたちは軟弱になる!」と唱えていますが、その「危険」が洒落にならないから廃止を求められていることに気が付かないのでしょうか。
旧式から変わらない学校の思惑は何でしょうか。今まで事故が無かったから今年も大丈夫だという根拠のない自信、公務員なので国賠法に基づき法的責任は負わないという悪知恵、とにかく我が校の凄さを誇示したいという承認欲求、単に前々から続けてきた方式を変えたくない怠惰、或いは「運動音痴を自然淘汰する」という考えすらあるのかもしれません。兎に角、組体操を続けたくてたまらない“依存症者”が存在する訳です。
ある母親の投稿です。「保護者だよりでは『児童たちの希望により、メイン種目は組体操に決定』と書いてあったが、実際どうだったか娘に聞いてみると『組体操に手を上げたのは数人程度だった。それでもゴリ押しで組体操に決まった』とのことで食い違っていた」
旧式の組体操に固執する学校の特徴はもう一つありまして、とにかく子どもを盾にしたがります。「生徒たちは巨大ピラミッドに憧れている」「段数を下げると告げた時、子ども達は悔しそうにしていた」などと、本当は自分たち大人がやりたかったのを、児童生徒が求めていたことにしがちです。なぜ息を吐くように責任転嫁をするのでしょうか。よしんば組体操に賛成する子どもが居たとしても、それは教師にいい顔をしたいだけの少数派に過ぎませんよね。
大縄跳びやソーラン節でもトラウマを抱える人は出るでしょうが、あれは教師や生徒の態度や指導方法といった点の問題であって、種目そのものが悪い訳ではありません。しかし旧式の危険な組体操は、小手先の指導や対策でどうにかなるものではなく、種目として生まれたこと自体が間違いというべき代物です。
参考サイト
一般災害に学ぶ① 学校における組体操事故
https://osh-management.com
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