身体より気持ちを優先してしまった私の場合~適応障害からうつ病へ
うつ病 その他の障害・病気突如として現れた環境の変化
社会人3年目になった途端に高波のようにいろんな出来事が私を襲いました。
憧れていた上司が次々とやめてしまい、自分には味方がいないと焦っていた最中、私に人事異動と昇進の話が告げられたのです。正直その時点で「突如として慣れない環境に飛ばされるてうまくやっていけるのか」とプレッシャーと不安がかかって仕方ありませんでした。
その不安が的中したかのように朝から晩まで、いろんなことが今までとは変わってしまいました。渋滞につかまり2時間かかる通勤、慣れない仕事と毎日起こるイレギュラーな業務、移動先の上司と全く合わないストレス、部下の教育、ほぼ病院通いで消えていく休日(この時点で精神的に参ってたのかもしれません)仕事外でもかかってくる連絡……自分はいつ休んでいるのか本当に分からない状態。
でも、そんな状態でも「しんどいことをやっている人はもっといる。ここで弱音を吐いては駄目だ」と思いこんで何も疑いませんでした。
身体の限界
それでも心身の限界がいつか来ます。ある日を境にドライブが大好きだったはずの私が、車を運転しようものなら30分に一度過呼吸になったり、起きなきゃいけないのにベッドから一歩も動けない状態になってしまいました。
その時点で流石の私も「どうしようもなくなってしまった」と思い、当時心の拠り所であった友人に泣きつきました。そして友人のアドバイスもあって心療内科に通い始めました。心療内科では「適応障害」と診断され医師に休むように診断書を一筆書かれてしまったのです。
しかし、そこで私はプチパニックを起こします。なぜなら当時働いてた職場はその時が繁盛期だったのです。この件をどう上司に話すべきだろうと思いつつも、なんとか上司との話し合いの機会をつくり「休職させて下さい」と頼みこみました。おかげで繁盛期が過ぎてからですが半年の休職を得ることができました。
休んでいない休職
休職していた時は傷病手当金があるとはいえ、経済的に厳しいので実家に帰省していました。実家では家事を行ったり、復帰できないときの場合を考え転職活動をしていました。しかし「家にいるだけなら長距離の運転をしてくれ」などと両親の突然のパシリにも使われていたので、今思えば本当に休職しているのかと考え込んでしまいそうになるくらいに良く動いていました。
半年の期間を経て元の職場に復帰しましたが、戻ってきた私に浴びせられたのは「お前のわがままのせいでこっちにどんなに負担がかかったと思ってんだ」とか「何でニートになった人が戻ってくるの」といった罵声と陰口でした。そういった、嫌がらせを受けたことに耐えられずに辞めてしまいました。そのせいか、心療内科では「うつ病」も併発していると診断されてしまいました。
初めて得た気付き
仕事を辞めてからは、両親の無言の重圧を毎日かけられながらも自力で仕事を探していました。しかし休職期間で体調も整えられていない私を、受け入れてくれる職が見つかるわけもなく、すぐに途方に暮れてしまいました。そんなときにハローワークから「就労移行支援」の話を持ちかけてもらい、現在は就労移行支援事業所に通い体調を整えるとこから始めています。
就労移行支援に通い、まず最初に気付いたことは、私は無意識に体調よりも気持ちを優先してしまい「良くわからないけどとてもしんどい……」と潰れていたことが日常茶飯事だったということです。それに気づいて以降、体調を最優先にして行動することを心がけています。(時々忘れてしまうので未だ訓練中です)
最後に
適応障害の治療には薬物療法はもちろん、ストレス要因を取り除くことが必要といわれています。休職したときの私は実家に帰って落ち着くことも無ければ、転職活動で動き回ってストレス要因のオンパレードでした。その結果、適応障害からうつ病とさらに悪化していったのかもしれません。
適応障害からうつ病になるパターンはよく聞く話ですが、私の場合は適応障害だけで抑え込むことが出来たのではないかと、今これを書いていて後悔しています。ただそこで終わっていたら、自分が気持ちを優先しすぎて体調を蔑ろにしていたことに気付かなかったと思います。また私は、いまだにどんな人なのかどんな対応をすればいいのか自分のことなのに全く分からないといった人です。遠回りしつつも自分を知るいい機会だったかもしれません。
これから、まずは今まで蔑ろにしていた分体調に気を遣い、自分の得意不得意どんな人間なのかを見つめて新しい職場に就けたらと思っています。
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