再登場で即炎上した「保毛尾田保毛男」とは何なのか
暮らしPhoto by Daniele Levis Pelusi on Unsplash
「保毛尾田保毛男」。一発で変換させてあげようという気遣いが微塵も感じられない名前ですが、それもそのはず、1989年の終わりに生み出されたキャラクターなのです。「ほもおだ・ほもお」と読むそうですが、初見でそう読める人間は現代だと少ないと思います。
この保毛尾田というキャラクターはとても間の悪いタイミングで再登場したことでちょっとした炎上となりました。ただ、私は世代ではなかったのでこの騒ぎはおろか保毛尾田自体知ったのがつい最近です。これは風化に任せるのがいいのか、或いは、似た騒ぎが起きたときのため何らかの形で伝えた方がいいのか、どちらでしょうね。
コント番組から誕生
保毛尾田保毛男は、往年の人気番組「とんねるずのみなさんのおかげです」で石橋貴明さんが演じたキャラクターのひとつで、同番組のコント「保毛尾田家の人々」から誕生しました。「人々」の初回は1989年11月2日で、ギリギリ80年代末期のキャラクターといえます。
「人々」自体は年を跨いだ1990年3月29日を最終回としていますが、他にも桃太郎侍やバットマンのパロディコントにも登場しており、息の長いキャラクターだったそうです。「おかげです」としての最終回である1997年3月27日にも登場していました。
保毛尾田は七三分けに青ひげという顔立ちで、父譲りの黒い扇子を愛用し、「(ゲイというのは)あくまでも噂で…」とはぐらかす持ちネタがあったそうです。「ほもおだ・ほもお」という名前もあって、当時の代表的なゲイシンボルだったように思われます。登場年から推測すると、現在40代周辺のアラフォー世代にとって馴染みの深いキャラクターだったのではないでしょうか。
コントの内容は現在のところ、「マリモを育てている」「昔スカートを馬鹿にされた」「(時代劇コントでは)敵からオカマと罵られ、最後はそいつを斬る」などが断片的に語られています。一方で、「姉からの愛情を受けて上品かつオシャレに生きていた」とも評されています。
とにかく保毛尾田の人気は凄まじく、当時の学校現場では(実際にゲイかどうかは別にして)少しでもナヨっとした男子を、保毛尾田になぞらえてイジる風潮さえあったと言われています。そうなると、保毛尾田を憎んで大人になった人が居ても、別段不思議ではないでしょう。この書き方だと体育嫌いと被りそうですが。
再登場で即炎上
最後の登場から20年経った2017年、後継番組「おかげでした」で行われた記念スペシャル回で保毛尾田は再登場を果たしたわけですが、20年も経てば世間の感性は変わっています。特に、「ホモ」がゲイの侮蔑語として忌避されるようになったのは大きな変化でした。保毛尾田の再登場は、ゲイの当事者や支援団体などがフジテレビへ猛抗議する事態を招きます。
企業の重役や社長、自治体の首長までも名を連ねるほどの激しい抗議がなされ、スポンサーを降りる企業まで現れたそうです。フジテレビは堪らず、社長が前面に出て謝罪する羽目になりました。それでも収まらないのか、ゲイ活動家などが騒動についての記事などを次々と出稿します。これらは放送からわずか数日間の出来事でした。
一方で、「懐かしの保毛尾田が見られて良かった」などのポジティブな意見や、「怒りをぶつけるだけでは何も変わらない」「保毛尾田で傷ついた人はいるだろうが、それがゲイの総意とは限らない」といった炎上そのものを疑問視する声もありました。
ゲイ活動家の松岡宗嗣さんは、自身のブログで保毛尾田を「負の遺産」「全く面白くない」と断罪しました。また、東洋経済オンラインに寄稿した記事では、「笑いに転化するなどしてサバイブできた当事者もおり、それ自体は良い事だ。だからといって黙るべき理由にはならないし、自己責任で片付けるのはしんどい」「『怒りをぶつけて叩き合うよりも…』には一理あるが、マイノリティ側にそう我慢させること自体が差別なのだ」としています。
また、同記事で松岡さんは「批判を受けて同性愛者を腫れ物扱いにするのも違う。必要なのは、対話を重ねてより良い表現物を増やしていくことだ。現に、近年のドラマでは同性愛者のキャラクターが自然と出ている。こうした登場人物が当たり前となれば、次第に偏見は減っていくだろう」と結んでいます。
蓋をするだけでは意味がない
タレントのミッツ・マングローブさんは、週刊朝日に「保毛尾田保毛男を狩る、分別できない人たち」という記事を寄稿しました。記事の冒頭は「表面的な配慮をしてくれる世間に恩義を感じながら、当事者同士も『裏切り者』にならないよう気遣い合う。なかなか窮屈な世の中になってきました」と始まります。
ミッツさんはタイトルにも書いた「分別」について、「無数のグラデーションの中で、その都度その都度『判断』をすること」とし、それが道徳であり秩序であると説きます。すなわち、自分なりに考えて判断し続ける苦難の道です。そして、蓋をして逃げるのは無意味であると断言します。
「何はともあれ、『差別的なものに蓋をする』だけでは、何の意味もないことにそろそろ気付かないと。『多様性への理解と配慮』なんて聞き分けの良さそうな言葉を軽々しく口にするのなら、『普通じゃない人が隣にいる違和感』を、自分なりに分別し咀嚼する感性をもっと尊重し、磨かないと」
自分なりに考えようとしたところで、答えは出ないかもしれません。モヤモヤが残ることも少なくないでしょう。しかし、「蓋」だの「狩り」だのに甘えるよりは建設的ではないでしょうか。世の中、決まった答えが出てくれることの方が少ない筈です。記事の2年後、別の取材でミッツさんはこう答えています。「世の中ってそんなに割り切れるものでしょうか? 何だか、『もやもやしている』ということが、許されない時代になっているような気がしますね」
ちなみに、ミッツさんにとっての保毛尾田保毛男は「アイドル的存在」でした。中学時代のミッツさんは、からかわれても正面切って立ち向かう事を是としており、保毛尾田から「『あくまでも噂でございます』と返せるほどの優雅さ」を見出したのだそうです。
もうひとつの「シンボル」
なんだかんだ当時のゲイシンボルとして名を馳せていた保毛尾田ですが、ほぼ同時期に「シンボル」を確立させた人間がいます。宮崎勤報道の余勢を駆るように登場し、確固たる「おたく像」を大衆に植え付けた男、宅八郎(2020年死去)です。彼が登場したのも1990年のことでした。
ダサくて気持ち悪くて弱そうなメガネの男といういでたちは、「オタクファッション」として大衆に強く印象付けられており、令和の今でも「オタクと言えばこれだ!」という共通したイメージとして通用します。なんせ「いらすとや」にも同様のイラストが存在し、多くの人が使っていますからね。
本来の宅さんはファッションやブランドに詳しく、とてもオシャレな人間だったそうです。オシャレに詳しいということは、逆にとことんダサい着こなしも自由に選べることでもあり、宅さんは“戯画的に”ダサいオタクの身なりを演出していました。
宅さんはよく拘り調べる人間で、韓国語や料理や音楽などの才能を発揮した反面、ライバルのライターと頻繁に衝突したそうです。オタクについてもとことん計算して拘りぬいた「演出」でした。その演出によって作られたシンボルは、今もなお「原風景」としての存在感を放ち続けています。時代にそぐわなくなった保毛尾田とは対照的といえるでしょう。両者を分けたのは、果たして何だったのでしょうか。
参考サイト
ミッツ・マングローブ「保毛尾田保毛男を狩る、分別できない人たち」
https://dot.asahi.com
「保毛尾田保毛男」を全否定できますか?ミッツ・マングローブの問い
https://withnews.jp
急逝した「おたく評論家」宅八郎さんの実弟が明かす兄の知られざる素の姿、晩年の様子
https://encount.press
保毛尾田ネタ炎上、鎮火しても残る「違和感」賛否両論で見えてきた「問題の現在位置」
https://toyokeizai.net