女装はじめました

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出典:Photo by freestocks on Unsplash

私が女装をはじめる以前

私は、精神障害者地域支援センターに通所していたのですが、そこでのイベント事がある度にちょいちょい「女装をして何かしたい」と、提案し、何回か女装の経験をしていました。 その際、なんか自分が自分でなような、生まれ変わったような感覚と言いますか、何かから解放されたような感覚がありました。

私には歳の離れた2人の姉がいてます。

幼少期から、口紅を塗られたり、イヤリングを付けられたり、女の子物の服装をさせられたり、と、色々と姉のおもちゃになっていたので、女装に関して全く抵抗感はなく、男性が女性の姿をすることは「アリ」な環境だったのだと思います。

同性への接し方も、一般的な距離感ではなく、普通に「好き」という言葉も使っていたので、かなり異質と認識されていたかと思います。 なので、同性愛者ではないか?と、伝えられたこともありましたが、私自身では肉体的な性別で好き嫌いを分けている感じがあまりなく、どちらかというとパンセクシャルなのか、それとも、Xジェンダーなのか、正直なところ未だわからない状態です。
ただ、メイク、女性の服装をすることは好きです。

また、労働面においては、23歳より訪問介護のヘルパーを始め運良く定着出来た(間、数回転職しましたがここでは割愛します)のですが、その事業所の方針が、羞恥心の観点から利用者の裸体が見える状況において、原則として同性介助を徹底していました。

初めの頃は何も感じなかったのですが、時間が過ぎ慣れてくると、次第にそれが正解なのかがわからなくなっていました。 そこで、私が同性愛者ではないか?との周りの疑念を利用し、上司に思い切って「例えば、ヘルパーの僕が同性愛者だとして、同性介助という当事業所の理念は成り立つのでしょうか?」と、疑問をぶつけたことがあります。

それもあってかは図りかねますが、今では、同性介助から性に合わせた介助に、書き換えられました。

女装はじめました

前書きが長くなりましたが、私が本格的に女装を始めたのが2019年11月。

その前に、8月頃大阪の中心部にあるミックスバーを訪れ、女装を始めるために、先ず、何から始めればいいのか、を、そのバーのママや常連の方に根掘り葉掘り質問をし、出た結果が、初めはプロの方にメイクや服装のコーデをしてもらうこと、でした。
それで、その場所を紹介してもらい、予約をしてお店に伺ったのですが、入った時のドキドキ感、プロの方にメイクを施してもらっている間のワクワク感は、今でも忘れられません。

また、本格的に女装をしよう!と、思ったのが、6/29に府内某所で上映された、『私はワタシ』を鑑賞したことがキッカケです。

劇中では、華やかで楽しそうなレインボープライドのパレードと、非常に前向きな言葉でインタビューに受け答えをする、その当事者の方々。
内容には、とても感動と胸が躍るようなワクワク感がありました。が、鑑賞から時間が経つに連れ、次第に"真実はどうなのか?"と、いった、モヤモヤが膨れ上がっていました。
上映後のトークイベントでも、一方で不安に思われている方々もおられる事にも触れられていましたし。

それで、自身の元々の女性の姿をしたいとの思いと、肉体的な性別は無理でも、精神的な性別の壁を取り払ってみたいという私の感情と併せて、私から輪の中に入り溶け込み、モヤがかかった心を私自身で晴らそう、と、思い切って行動を起こしました。
それを、「今後この様にして行こうと考えてます」と、地元(枚方市)の近しい方々に話すと「気持ちワルッ」と、地方ならではなのかは私自身わかりませんが、当然な反応が見られましたけども。

まあ、ここに書きはしましたが、そんなことは私にとってはどうでもいいことです。

女装を始めて数ヶ月で多少見えた事

私自身、女性の姿になるのはとても楽しい。
自分がしたいメイクを直接聞いたり、様々な媒体を通して学び、即試し、失敗と"割と"成功の繰り返しで、のめり込んでいくことは、とてもとても楽しい。

コミュニティに混ざり、様々な性自認の方々、また、応援してくださる方々と直に接していると、一般的な方の生活と何変わらない人間模様が当たり前にあり、繫がりというか支え合いに関しては、それ以上のものも感じられました。
併せて、「この業界で生きていこうとするなら、とにかくしんどい思いをすることは覚悟した方がいい」との、厳しい現状のアドバイスも頂きました。
ここには書ききれませんが、特有のキレイではないだろうことも、やはり沢山存在しています。
映画で見たような、とてもキレイな世界も存在しているし、存在もしない、複雑な現実を、今、私は目の当たりにしています。
ただし、これは、あくまでも私自身がたった数ヶ月の間で感じたことですので、今後ドンドン変わっていくと思います。

加えて、昨今のLGBTの運動への個々の複雑な心境も聞きました。 運動を好意的に受け止めておられる方もおられれば、巻き込まれていると受け止めておられる方も沢山おられます。
この事は、70年代から始まった障害者解放運動や現在の障害者の社会進出への流れに、希望を持たれる障害当事者の方々、巻き込まれている、と、感じている障害当事者の方々と、私自身には重なって映ります。
後者の方々については、ただこれまで通りに目立つことなく、静かに生活を送りたいだけなのに、と、考えておられるんだ。と。

休日だけひっそりと、と言いますか、静かに女装を楽しみたいだけなのに、大騒ぎをされることで、これまでの日常が崩れるのではないか、と、いった危機感。 障害者解放運動の時代でも、日常が崩れるのではないか、と、運動に反対されていた方もいた、と、いう話も聞きますし、現在も大きなうねりによって、これまでの静かな日常が崩れていくのではないか、と、いう危機感をよく耳にします。

あなたはアナタ、わたしはワタシ

私自身としては、上記の様な運動に対し、選択肢を広げるためには、"ある程度"まだ必要と考えてます。
沢山の人に知られ知識が上がれば、付き合う人の幅が広がりますし、どこで生活するかも選べるようになるでしょうし、就労先の業種を選べたり、賃金などの待遇の比較も出来るようになることでしょう(思い付くことが抽象的だったり、短絡的だったりで申し訳ございません)。
私自身の事例で言えば、自宅でメイクをして完成させた状態で、「(地方の)枚方市から電車で(都会の)大阪市内に来ました」と、伝えれば、驚愕されるような状態です。
そういった事も、運動などを通して認知度が上がり、女装をするために中心街でわざわざレンタルスペースを借りる事を必要としない状態になると、私自身はとてもいい事と思います(※ただし、レンタルスペースはコミュニティの場としても成り立っているので、一概に不要とは言い切れません)。

ですが、気を付けないといけない事としては、上記の様に、「これまで通り静かに生活を送りたい」と、考えている方に、私が持つ様な、障害を抱えようが、抱えまいが、男性だろうが、女性だろうが、既成概念に縛られることなくもっと選択肢を広げ、それを自身で赴くままに選びたいという、目まぐるしく変化を好む価値観を押し付けるようなことはしてはならない事でしょう。
プラグマティックに見、個々それぞれが『これはいい事』と、思うところでは、その内容には差異があれど近似に過ぎない、と、捉える事も出来ますし、私自身に利益がないであろう事柄でも、他の人には何かしらの利益があるのでしょうから、『選ばない』と、いうことや『これまで通り』と、いう道も必要なのだろうと、私は考えます。
そのためには、過度な干渉も互いに避けなければいけない事と思います。

それで言えば、今回の新型コロナウイルスでも、過度な干渉、及び、価値観の押し付け合いによって場外乱闘が激しく、余計に生活を摩耗しているだけのように感じました。
私は、多様性を保つためには、『関心を持ちつつも、適度に不干渉』(弱い依存状態)であることが大切なのだろうと、思います。

長々と稚拙な文章を書き、読んで頂いた方にはお時間を取らせましたが、最後に、、、

「女装サイコー!楽しいですぞー!!」

と、私の雄叫びで締めくくらせて頂きます。

ありがとうございました。

佐藤 義晃

佐藤 義晃

1983年5月24日生まれ。
13歳で人と顔を合わせるのが怖くなり引きこもる。
みんなから監視され、悪口、笑われているなど被害的妄想が激しく、15歳で枚方市にある精神科に通院し精神分裂病(現統合失調症)と診断される。
精神科病院での完全閉鎖病棟に入院も経験。
現在は、様々な体験をしたいと、思い切って単身で言葉も通じない海外に行き、思いのほか楽しかったためバックパッカー旅行にはまっている。また、半年前からは女装を始める。

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