何不自由なく生活してきたのに「うつ病」になってしまった!

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出典:Photo by Josue Michel on Unsplash

何不自由ない一般家庭で育った自分が、原因がわからないが「うつ病」という病気になってしました。今まで病気とは縁がなかった自分。原因がなぜかと思い、今回自分の生い立ちから、うつ病になるまでをつづろうと思います。つたない文章になるかもしれませんが、ご容赦ください。

幼少期から学生時代

私は、両親と妹の4人家族で、何不自由なく一般家庭で育ちました。子供のころから欲しい物があっても「欲しい」といえば、ほとんど買い与えてもらい、習い事も「行きたい」といえばいかせてもらえました。なので、水泳教室、習字、学習塾、そろばん教室、少年野球など色々通わせてもらいました。

小学生時代に1度引っ越しを経験していますが、前の学校では、同じマンションに住んでいた同い年の男女10人が居て、皆とても仲がよく、大人になった今でも交流があるほどです。また、引っ越し先の学校でも友達に恵まれ、クラス全員と仲良くでき、今でもよく遊ぶ親友を作ることができました。中学、高校、大学にいってもどんどん友達が増えて、楽しい学生生活を過ごすことが出来たと思います。

このように、人とコミュニケーションをとる楽しさを知り、行動力や、陽気さ、おちゃらけた性格などが構成されていったんだと思います。

就職から引きこもり

大学を卒業して最初の就職は、友達の紹介で工場の派遣をすることになりました。交代制で日勤と夜勤がありました。そこでも色々な世代の方と知り合え、また、少しの間後輩に機械の仕組みや、やり方を教えたりしました。そこを契約満了で退職し、少しの期間、無職の時期をむかえます。この間に少し引きこもることがありました。

急に友人や友達との連絡を絶ち、自分の部屋でずっとテレビを見たり、ゲームをしたりする毎日を過ごしていました。家族との会話も必要最低限でした。恐らく、周りの皆は働いている中、自分は何もしていないので、恥ずかしくてとった行動ではないのかなと思います。

しばらくして、父親の手助けで、従兄弟の方が働いている高速道路の仕事に就きました。こちらの会社も日勤と夜勤がある職場でしたが、それほど気にしていませんでした。ただ少し違った所は、従業員が男性しかいなく、まだまだ男社会の気風が残っているところでした。

時々大声で叱られたり、軽く小突かれたりしました。そんな緊張感からか、夜勤で眠れなかったりすることがありました。その後数年経ち、勤務地の移動で慣れない土地勘の中、1から覚え直さなければならず、悪戦苦闘していたころに、リーダーになるためのリーダー研修をする時期が来たのです。その時に自分の知識の無さを突き付けられてしまいました。

自分でできる目一杯のことを考え、予測し、最善策を見つけようと必死でしたが、それでもやはり足りなく、毎日怒られて、なぜできないのかを追及されていました。自分では最大限考えてなので、さらに上のことを言われていてできなかったのだと思います。

そのせいで自信を失い、実力以上に頑張り、でも届かないという理想と現実のはざまで身動きが取れなくなり、最終的に精神的にも肉体的にも疲弊していきました。そして現場に出ることが怖くなり、退職することになりました。この時の体験が余程辛かったのか、未だに夢に出てくることがあります。

また無職の時期が来たせいか、引きこもってしまいました。

そしてうつ病に

前職で危険な場所で仕事をしていたせいで沢山けがをした人を見てきました。そいったことから引きこもりをやめて、鍼灸の専門学校に通うことのしたのです。ですが学校は卒業できたものの国家試験に合格できず、資格が取れず仕事には就けないこととなりました。

その後、10年付き合った彼女と結婚をすることとなり、その前にと次の就職を決意します。

彼女の仕事の事務派遣を教えてもらい、某通信会社の事務をすることとなります。「さあ、新しい仕事にも就き頑張るぞ!」と思い日々を過ごしていました。ところが、初めての事務職という環境のせいか、周りの視線や、他の方の仕事の様子などが目に入るようになり「周りの人より劣っている」「この場から逃げたい」「生きている意味がない」など思うように。ですが、前職でも思ってましたが「疲れが溜まっているだけ」「そんなことない、皆も嫌なこともありながら頑張っているんだから、逃げちゃいけない」と自分を鼓舞していました。そして、自分自身の心の中に溜め込んでいったのです。

しかし「胸が苦しくなったり」「頭痛が出たり」「泣きたい気持ちになったり」といった症状が出るようになってきました。これがうつ病の症状だったのかもしれません。そんなある日、仕事を終えた後唐突に死にたくなり、車に乗って死に場所を求めてあてもなく走り始めました。当然彼女が心配をして連絡をしてきましたが、電話に出ることもせず走り続けていました。結局死に場所を見つけることができずに泣きだしてしまいました。その後気持ちが落ち着き、両親に連絡して自宅に帰りました。両親が心配して心療内科を探してきてくれて、母親付き添いのもと病院に行き、事の経緯を話したところ「抑うつ症」と診断され、職場を休職することとなりました。

うつ病と診断されてからは、生きる気力もなく、人間不信になり、やりがいも無くし「自分は何の取り柄もないダメな人間だ」と思い続ける毎日を過ごしていました、元々自分が持っていた取り柄(特徴や個性)さえ見えなくなりやがて、職場を退職することになったのです。

現在

この直ぐ後に結婚しましたが、その後3年間もの間は何もせず家で過ごす毎日を続けていました。ある日、妻が「就労移行支援」という所があることを調べ、予約も済まさて「いくことが"決定済み"の状況」を作ってくれました。ほとんど外出することもなかったのですが、妻の手を握りながらもいくことが出来ました。

初めは体験という形で、月に1、2回または、行けない月がありましたが、妻は別に追い込むこともなく「ゆっくりでいいし」「そういうものだからいいよ」と言ってくれて、とても助かりました。やがて、自分のことをわかってくれていると理解でき、段々と思っていることを言えるようになりました。

そうして、就労移行支援の方に通えるようになり、現在は週4日程度、通所されてる他の方と話しをし、自己理解のプログラムを受けることで自分自身を見つめ直しています。改めて人と話すことの楽しさを感じることができ「穏やか」「規則正しい」「慎重に物事を進める」「聞き上手」など自分では知らなかった性格や個性を見つけることができました。今では、楽しんで就労移行支援にいけており、体調も改善してきています。

最後に

私は、大切な親友や、自分のことを理解してくれている両親と妻に恵まれたことによって、今では日々を楽しく暮らすことができています。

ですが、やはり「うつ病」というものは厄介なもので、ちょっとした環境の変化やプレッシャーを受けると疲れが出てしまいます。それに、自分はどうも辛いことを溜め込んでしまうタイプらしいです。そんな時は妻や両親に話すと楽になります。後、昔から目標を立てて行動していなかったことも原因なのかもしれません。なので、今後は目標設定を見える形にして働きたいと思っています。

今度就職する際、担当の方と定期的に話をする場を設けてもらおうと考えています。今後も就職に向けて頑張っていきたいと思っています。

もし、私と同じような症状や性格の方がいれば、少しでもいいので自分の気持ちを恥ずかしがらずに誰かに話してみて下さい。そうすることで気持ちが楽になり、自分のことを理解してもらえると思います。それが無理な場合は、一度、就労移行支援に行ってみて下さい。指導員の方が相談や話を親身になって聞いてくれますし、新しい自分や自信を取り戻すことができます。

また「うつ病」は誰もが急になってしまう病です。一人で抱え込まず、苦しい時は苦しいと伝えることが重要です。

nekojan

nekojan

戦国史が好きで、夏になるとバイクを乗る事を趣味とし、家ではネコ2匹と大好きな妻と幸せに過ごし、就労移行支援に通い自己理解を深めている最中です。

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