「自分の世界」~理想への依存と向き合って

出典:Photo by JOSHUA COLEMAN on Unsplash

このコラムを読んでいるみなさんは、普段の生活の中で物思いにふけることはありますか?私はよく「自分の世界に入り込む」癖があります。私にとってその癖は、生活の一部、もしくは無意識にやっているルーティーンといっていいほど切り離せないものなのです。

みなさんはそういった癖や行動にどんなイメージを持ちますか?このコラムでは私が考える「自分の世界」のあり方について考えていきます。

「空想」と「妄想」と「幻想」

そもそも「自分の世界」とは何なのでしょうか?

この「自分の世界」を別の言葉で考えようとしたとき、私は「空想」と「妄想」の2つの単語を思い浮かべました。どちらも存在しない物事や現象などを思い描く、という点で共通しています。

ふたつの違いを上げるとするのなら「空想」は根拠もなく非現実的なことを思い描くことを指し「妄想」は「空想」したことを真実、正しい事だと思い込むことを意味するそうです。

さらに調べていく中で、この2つと似た意味を持つ言葉に「幻想」というものを見つけました。この「幻想」は、実際には存在しないのに現象などが見えること、またはその見えている物自体を指し、そこには期待の意味合いを含むことが多いそうです。

私の「自分の世界」

言葉の違いを踏まえて私の「自分の世界」がどれに当てはまるのか考えてみると「妄想」と「幻想」が混在しているととらえるのが一番しっくりくると感じました。

どういうことかというと、現実の世界に対する不条理・理不尽なことで溢れかえっている生きづらい世の中という「妄想」。そんな「妄想」の真逆ともいえる、まさに自分の理想そのものの平和な世界という「幻想」が同時に存在している状態だと私は思えたのです。

また「妄想」と「幻想」がそれぞれ別々の事象ではなく「妄想」で精神的な苦しみや生きづらさを感じ、それを和らげ精神を癒すために「幻想」に耽るといった、連続した事象として「自分の世界」を構成しています。

「自分の世界」の成り立ち

私の中に「自分の世界」ができたのは中学生のときでした。当時受けていたいじめの苦しみや、辛さから逃げるためにできたと私は考えています。

その発端はある日、夢の中で女の子から「大丈夫」と励ましの言葉をかけてもらったことです。なぜかはわかりませんが、その言葉だけですごく気が楽になったような気がして、その夢を見た朝の何とも言えない幸福感を今でも鮮明に思い出せるほどです。

それからは現実で嫌なことや辛いことがあるたびに、頭の中で自分を慰め励ましてくれる架空の存在を増やしていき、高校生のときにはそんな存在と一緒に過ごせる理想の社会まで考えるようになっていました。

その一方で、現実の世界に対しては、いじめの他にも日々テレビで流れる暗いニュースや兄妹との些細な喧嘩、進路に関する親や学校教師とのいざこざなどから、漠然とした不信感や恐怖が募っていき、いつからか現実の世界で生きていく意味や理由すらわからなくなっていきました。

こうして私の中で「自分の世界」と「現実の世界」の価値の差が大きくなっていき、大学生のときには、自殺を図るほどまでになっていました。

なんとか一命を取り留めて大学を卒業し、今の主治医の先生に出会いました。その後は就労移行支援サービスを受けながら今にいたります。しかし今も、些細なことで「自分の世界」に入り込むことが続き、すでに「癖」もしくは「条件反射」といった状態になってしまっています。

「自分の世界」への私なりの付き合い方

ここまで「自分の世界」についてその成り立ちや経緯を書いてきましたが、私自身この「自分の世界」自体を問題として治すべき点だとは思っていません。

むしろ「自分の世界」がなければ、今生きていることはなかったと思っています。中学生、高校生、大学生、大学卒業から今までのどこかのタイミングで生きるのを諦めていたと確信を持っていえます。

そのくらい私にとっての「自分の世界」は、辛く生きている意味さえわからなくなるような現実からの「逃げ道」であり、同時に数少ない「心休まる幻想」でした。

かつて、長い時には30分以上入り浸ることもありましたが、今はなるべくストレスを感じ取る前に、ゲームをしたり音楽を聴くなどして、意識的に現実の世界とのバランスを取るようにしています。先ほども書いたように、この癖自体は今でも突発的に起こりますが、すぐに自分の意志で現実に戻れるようになりました。

恐らくこれから先、この癖が治ることはないと思いますが、私はそれをマイナスだととらえておらず、主治医の先生からも「それが今でも精神の安定になっているなら特に治す必要もない」といわれたので、これからもほどよい程度で「自分の世界」と付き合っていこうと考えています。

まとめ

自分の世界、妄想や幻想、またはそれらを思い描いている人たちに対して「変だ」「おかしい」「気持ち悪い」といった印象を持つ人もいるかもしれませんが、それがあることで現実の世界を頑張って生きている人もいます。

そもそも、空想や妄想、自分の世界とするものは、思い描くこと自体の自由が大前提としてあります。そして、思い描いた人自身に与える影響や、空想や妄想とどの程度の付き合いをしているかによって、その人にとっての「自分の世界」の価値は変わってくるのではないでしょうか?

その「自分の世界」が、生活に支障をきたさず、誰かに迷惑をかけるものでもなく、自分の中で納まるのであれば、それらを安易に否定的なイメージで捉えるべきではありません。

私自身「自分の中に理想や希望を持つことの幸福」と「それを過剰に抱き求めることで生まれる苦しみ」の両方を経験しました。だからこそ「自分の世界」とはほどよい付き合い方をする分には、その人の人生を豊かにすると私は考えています。

理想を求めすぎるために現実に馴染めず、自ら死を考えるまで追い込まれるようなことはなくても、私と似たような特性を持ち悩んでいる方々にとって、このコラムが少しでも苦しみや不安の解消につながればと思っています。

参考文献

【goo辞書 空想(くうそう)/想像(そうぞう)/夢想(むそう)/妄想(もうそう)/幻覚(げんかく) の類語・言い換え】
https://www.goo.ne.jp

TE-yama

TE-yama

中学時代のいじめをきっかけに、現実での生きづらさを感じるようになり、大学在学中に自殺を図るまで追い詰められました。その後は家族の説得もあり、一旦大学を卒業した後で心療内科のクリニックを受診しました。今は就労移行支援サービスを受けながら就職を目指して頑張っています。

お祭りの屋台やグルメイベントで食べ歩きをするのが好きなので、コロナが落ち着いたらまた色んな所に行ってみたいと思っています。

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