理解と庇護を受ける「障害者恐怖症」たち

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Photo by Nick Fewings on Unsplash

相模原の津久井やまゆり園で惨劇が起こった2016年、犯人の植松聖を英雄と称える声がネット上で散見されました。「日刊サイゾー」の記者は、書き込みをした一人であるという20代女性のもとへ取材する機会をえます。女性は通勤途中に重度の知的障害者からカッターで顔を切りつけられ、傷跡が残るほどの怪我を負ったと語りました。

傷跡が原因で女性は表を出られなくなり、引きこもりになりました。切りつけた犯人は無罪判決、傷害事件程度では報道もされず孤独感を深め、女性は知的障害者すべてを憎むようになります。そんな中、植松の事件が起こって反射的に「植松はヒーローだ」と書き込みました。

「その被害はお気の毒でしたね。だからといって植松を英雄視するのは極端ではありませんか?」と記者が問うと、女性はこう答えました。「それは分かっています。分かってはいるのですが、本音ではどうしても『知的障害者を殺してくれてありがとう』となるのです」

アンチ障害者ネットワーク

冒頭の女性のように、知的障害者にトラウマを負わされた人間は確かに存在しているようです。少なくとも1人は日刊サイゾーの記者が実際に取材しました。しかし、孤立感を深めることはあったのでしょうか。植松を称える声がそこかしこで噴出したことから分かるとおり、アンチ障害者のネットワークは既にでき上がっていました。冒頭の女性は仲間に入れてもらう選択肢もあったはずです。

植松の事件よりも前から、障害者を危険な異物として取り上げるネット言論はアングラな場所で息づいていました。それが「障害者コピペ」であり、アングラでは飽き足らずコピペまとめとして見やすい形で表にも出てきて障害者への差別感情を煽っています。現に影響されて「昔は新生児が障害持ちと分かれば産婆が締めていた!」と本気で信じている存在も散見されます。

アンチ障害者ネットワークでは主に知的障害者の目撃例や被害報告が飛び交い、一部は「コピペ」として定例化までしました。中には(というより大部分が)創作もあるでしょうが、感情の共有が最優先ゆえでっち上げの体験談であっても彼らにとって問題はありません。

「障害者にトラウマがある」ことを理解と庇護の対象として捉える界隈は存在します。表立って活動しているわけではありませんが、そうした傷のなめ合いは求められているのでしょう。先鋭化まで一歩手前にはなりますが。

発達障害被害者の会

アンチ発達障害にいたっては、まるで「被害者の会」であるとも言いたげなほど被害者意識が強いです。締め出しなどの差別行動を仕掛けながら、「相手が悪い。発達障害が悪い。こっちは被害者だ」といいたげな態度でいることが多いです。

例えば「発達障害者の行動が酷過ぎるから出禁にする!」と騒いだイベントが前にありました。反発の声も多かったのですが、一部は「僕もイベントを発達障害者に潰されたことがある!発達障害を締め出すのは合理的な判断だ」と賛同しており、ここでも被害者意識が前面に出ています。

他にも「面接に発達障害者が来たので軽く質問してやったらキョドったから落としてやった」と武勇伝のように語るブログ記事も見たことがあります。こちらも「採用活動という仕事を発達障害者に乱された」という被害者意識が感じられました。

彼らの言い分としては「発達障害者を隔離するのは正当な権利。それを侵される我々は被害者であり、社会を侵そうとしゃしゃり出るアイツらこそ加害者である」といったところでしょうか。

もっとも聞きかじり程度の知識で発達障害認定しているだけの線も残されています。完全自己基準の発達障害チェックをした挙句に隔離だ何だと暴れられては困り果ててしまいますね。そういう手合いに限って「発達障害など顔を見れば分かる!」と固く信じているものです。

障害者へのトラウマを克服する考え方

ここで針路を変え、チャレンジド・フォビアの方々に向けて「トラウマを克服するための考え方」を伝授したいと思います。フォビアをほぼ和訳したのが恐怖症という風に理解してください。

まず、怖いものは怖いと認めて良いのです。恐怖症の類はすぐ克服できるものではなく、自分のペースで着実に進めていくことが大原則です。無理をして障害者と接する機会を増やしたり苦手な障害者と接したりすると、荒療治のせいでかえって悪影響を被る恐れがあります。「怖いものは怖い」と認めることは恥ではありませんので、自分を認めてゆっくり前に進んでいきましょう。

そして、「これから見かけたり出会ったりする障害者は『あの障害者』ではない」と意識してください。確かにトラウマの原因となった障害者はいるでしょうけれども、世の中にいる障害者が全て他人を傷つける気質ばかりという訳がありません。「自分を傷つけた『あの障害者』ではない」ことを心に置いてください。記憶の中には自分を傷つけた障害者の姿が永遠に残るでしょうけれども、傷ついた心に寄り添える障害者もまたどこかに居る筈です。

傷つけられたトラウマは根深いものです。その元凶が障害者ならば「世の中の障害者全てがあんな風ではないか」と怯えたり疑ったりすることもあるでしょう。しかし、この世界に数多く居る障害者の全てが他人を傷つけるような人とは限りません。他人を尊重し、大切に思ってくれる障害者も必ず居ます。様々な健常者が世の中に居るように、障害者もまた様々な人がいることを忘れないでください。

前を向け、恐怖症たちよ

さっきのメッセージには元ネタがあります。「DariaMe」が「女性恐怖症の男性たち」に向けて掲載したコラムの一部内容を強く意識(というより置き換え)して書きました。

女性恐怖症は「男のくせに情けない」「お前が弱い男なのが悪い」と一蹴されそうなもので、変にマッチョイズム(男らしさを至上とする思想)の渦巻くネット言論とは相性が悪いです。一方、障害者に脅かされてトラウマになったといえば「辛かったね、怖かったね」「やっぱり障害者は悪!」と同情を買え、情けないと一喝されることはありません。

ただ、理解をえられようとえられまいと、恐怖症を理由に閉じこもるままでは人生が好転しません。多少理解され庇護を受け憐憫の情を買ったとしても、アングラなコミュニティで傷をなめ合い、陰口を叩いて閉じこもるのはまさに酔生夢死、空虚です。

恐怖症を掲げてウジウジし続けるよりも、自らの恐怖症と向き合い克服さえ目指すほうが、後々のためとは思いますがいかがでしょうか。

参考サイト

相模原障害者施設大量殺傷事件「植松はヒーロー」とツイートした人物の”生の声”を聞いた(2016年8月5日)
https://www.excite.co.jp

「僕は女性恐怖症です。」女性が怖い原因とトラウマを克服する4つの方法
https://dariame.jp

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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