適応障害と向き合うには

仕事

出典:Photo by Kelly Sikkema on Unsplash

みなさんは「適応障害」がどのようなものかご存知でしょうか?私も診断されるまで、よく知りませんでした。私が適応障害と診断されたのは、就職してから3か月ぐらいしてからのことでした。

社会生活に大きな困難が生じている

適応障害はストレスなどが原因で、社会生活に大きな困難が生じている状態のことを指し、具体的には職場や学校に通いずらくなったりします。治療法としてはストレスの原因から遠ざける、すなわち休職があげられます。

本記事では私が適応障害と診断され、前職を退職することになった経緯をまとめました。ぜひ参考にしていただければと思います。

社会人としてのスタート

私は4年制大学を卒業し、新卒で施設介護の仕事に就きました。入職する1週間ほど前から配属先の施設での実務研修が始まりまったのですが、同期はなんと私以外全員女性でした。介護のお仕事は比較的女性が多いと、以前から耳にしていましたが、実際にその光景を目の当たりにして私はどこか肩身が狭い気持ちだったのです。そんな感情に苛まれる中、研修は始まりました。

研修序盤は、座学から用具を使った演習などをおこない、そこからは自身の配属予定の現場に案内され、現場での実務見学を通して先輩職員の指導のもと、ひとつづつ業務に入っていきました。先輩職員からは「できれば1か月で独り立ちをお願いします」といわれ、それに向けてひとつずつ自分でもこなせる業務を増やしていくためにも必死で覚えねばという気持ちでいました。

ただ、それと同時に私は、今にも心が押し潰されそうなくらいの不安でいっぱいでもありました。初めての社会人生活はもちろんのこと、人の命がかかっているお仕事だからこそ「自分に務まるのだろうか」「自分のせいでミスをして、利用者さんにもしものことがあったらどうしようか」という気持ちが自分に襲い掛かっていました。

また、それに追い討ちをかけるように、実務見学で利用者さんに突如起こった緊急事態にも偶然遭遇してしまい、現場の過酷さと大変さを目の当たりして、ますます萎縮してしまったのです。そんな私の状態を察して下さったのか、先輩職員が「まだ今はあそこまでできなくもいい」「困ったら全然頼ってもらっていい」と気遣っていただきました。

働き始めてからの私

それから数日現場で実務見学の後、はれて入職し正式な職員として施設で働くことになった、私は先輩職員の指導のもと、様々な業務に身を投じていきました。入職前の私は、介護のお仕事は主に食事・排泄・入浴の3大介助というざっくりとしてイメージでした。実際にそうだったのですが、それだけではなく薬剤の確認や家族との面会の際の誘導、生活に関する記録など肉体的な業務だけでなく、事務的な業務もおこなったのです。

その膨大な業務量は当時の私には、一朝一夕では覚えきることができませんでした。仕事の上で細かなミスを頻発し、よく怒られていました。それでも、まだそれは私自身が改善して直していけるところだから問題ありません。

一番のネックになっていたのは、利用者との人間関係でした。一部の利用者からは、こちらがお声掛けをするとそっぽを向けられたり、また一部の利用者からは激しく憤慨されました。時には叩かれたり皮膚を引っ掻かれるなどの暴行も受けました。今になって考えてみれば、当時の自分の声掛けにも問題はあったと思います。ただ、そんな反応をされることで、当然私はひどく精神を疲弊しました。

他人の気分に関しては自分ではどうすることもできず、そこまで読み取って行動できるほど当時の私に余裕はありませんでした。いつしか、同期はほぼ独り立ちしており、私は同期との差を感じ、焦り始めていました。

体調を崩し、適応障害になって

やがて精神も肉体もボロボロになり始め、親にも毎日「いきたくない」「辞めたい」というようになっていました。次に出勤を控えた日の夜には不安と憂鬱な気分で眠れなくなっていき、生活にも影響が出始めていました。そして、勤務開始から3か月たったある日、ついに体調を崩して仕事を休んでしまったのです。

最初は内科を受診したのですが診断の結果、特に問題はなかったので「精神的なものではないだろうか」といわれました。そこで心療内科を受診したところ適応障害と診断され「今すぐにでも職場から離れて休みを取った方がいい」といわれ、1か月近く休職していました。

その後も、定期的に通院を続け職場と復帰についても相談はしていたのですが「今の状態でほんとに仕事ができるの?」「戻ってもらったとしても、君にまだまだ改善してもらわないといけないところがたくさんあるよ」といわれたときに、自信を持って「はい」とはいえませんでした。

その後も結局復帰の目処が立たないまま休み続け、やがて施設が設けた休職可能な期間の最大に差し掛かってしまいました。「これ以上は休職できない」といわれ、止む無く退職を決意したのです。

おわりに

私は結局、独りでストレスや悩みを抱え込みすぎて周囲にも話せずキャパオーバーになってしまったことが、適応障害につながったと思います。ですから、もう少し早く周りに相談できていたら、不安や負担を軽減できたりして対処ができたはずです。あくまで結果論なので、もし他人に話せたとしても確実に状況が好転する保障もありません。ただ、独りで抱え込んでしまっては、確実に私のようになってしまうことはいうまでもありません。まずは、家族でも友達でもいいので自分の状況についてありのままを話すことが大事だと私は思います。

また、自分のやることから距離を置くことも大切です。キャパオーバーになった時点で心と体のSOSであることは明白だったにも関わらず、現場に迷惑をかけたくない一心で私は無理して働き続けた結果、体調を崩してしまいました。そして、現場に迷惑が掛かってしまうという本末転倒を招いてしまいました。なので、そうなってしまう前に少しでも距離を置いて心と体を休める時間が必要だと感じます。

なかなか難しいところであると思いますが、同じようなことで悩んでいる多くの方が、自分と周囲のためにもよりよい選択と行動ができればいいなと思っています。

参考文献

【Doctors File 適応障害】
https://doctorsfile.jp/

kharis

kharis

大学卒業後、一度就職しその後適応障害と診断され、仕事を退職。現在は通院しながら社会復帰を目指しています。

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