医療的ケア児の日常が何であろうと生きる権利が最優先

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Photo by Mufid Majnun on Unsplash

医療的ケア児(成人の場合は医療的ケア者)は、恒久的な医療行為を必要とするために行動を制限されがちです。もしかしたら、傍目から見て「何のために生きているのやら」と思ってしまう人もいるでしょう。「自分の子どもが医療的ケア児として生まれたら?」と問われて、自信をもって「大丈夫です」と答えられる人は少ないかもしれません。

たとえ外野から生きる意味を問われようとも、一度生まれた命であれば生きる権利が最優先されねばなりません。逆に言えば、死ぬ権利などという主張が優先されてはいけないということです。さもなくば、生命の選別などという危険思想が幅を利かせることでしょう。

医療的ケア児とは

日常的かつ恒久的に、医師や看護師でない人の手でも行われる医療行為を医療的ケアと呼び、これを必要とする児童を医療的ケア児と呼びます。医療的ケアは痰の吸引や胃ろうや栄養チューブなどが代表的で、チューブに繋がれ寝たきりというイメージを抱かれることも多いでしょう。

実際に重度身体障害に相当する医療的ケア児は多く、24時間目が離せない児童も珍しくはありません。一方で、活発に動き回るぶんには問題ない児童もおり、実態はとても幅広く多様です。ゆえに一人ひとりに合わせた支援や指導が求められ、画一的な対応は通用しません。一人で走り回れるとしても、医療的ケア児である以上は生命維持の為にすべきことや禁止事項があるはずです。

医療的ケア児にとって特に厳しいのは小学校入学時です。保護者の手が届かず学校任せにせねばならない上に、同じ医療的ケアの出来る大人が集まっているとも限りません。結果として遠くの支援学校まで自家用車で毎日送迎する保護者が増えています。

医療的ケア児が増加した背景は、医学の進歩によって救える新生児が増えた反動にあるといわれています。命は救えても健康な新生児と同じレベルまではいけず、健康寿命が極端に短くなる訳ですね。

法改正は進んでいるものの

もちろん法による支援も進んでおり、過去に何度か法改正がなされました。2012年には医師や看護師の免許を持たない教職員でも一部の医療的ケアを出来るように制度改正されています。ただし、研修と都道府県知事の認定が必要で、誰でもすぐに出来る訳ではありません。

2021年には「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律」が施行されました。国や地方公共団体等の責務、保育及び教育の拡充に係る施策、医療的ケア児を対象とする支援センターの指定などを明確に定めており、医療的ケア児や家族への支援方針をある程度固めています。

一方で、既存の制度に振り回される家庭も存在します。福岡県内のとある7歳の医療的ケア児は、産科医療補償制度から漏れてしまいました。24時間体制の介護を要するにもかかわらず、分娩中の低酸素状況を示す数値が僅かに足りないという理由で対象外とされたのです。

しかも低酸素状況などの基準は後で不合理として撤廃され、新基準なら適用されるかと思えば遡っての適用はされないという、完全な「福祉の狭間」が追い打ちをかけます。「自分で歩いて食事も出来る子が対象になれて、うちの子はなれないのか」という母親の怨嗟が虚しく響いていました。

死ぬ権利を勝たせるな

先述の家庭は医療的ケアを要するわが子の為に約500万円以上をかけて介護車両を買ったりリフォームしたりしました。逆に収入面は父親の給料と扶養手当があるものの、母親の復職が困難なためこれ以上増やすあてはありません。時間も財力も大きく制限されていることは否めないでしょう。

医療的ケア児に限りませんが、心無い者はこうした24時間介護を要する人間に対し「生きる意味があるのか」「資源の無駄ではないか」「どうせ就職も結婚も出来ないくせに」と利いた風な口を叩いてくるものです。そして、決まって「安楽死があれば…」と死ぬ権利としての安楽死を求めてきます。

安楽死を求める輩には2タイプあります。ひとつは自分が安楽死を受けたがっている自殺志願者、もうひとつは気に入らない人間を間引き出来ると思い込む選別者気取りです。どちらにせよ、安楽死は自殺道具でもなければ間引き手段でもなく、ああいった意見は安楽死について都合よく勘違いしていると断じざるを得ません。

彼らは往々にして「死ぬ権利」を説きますが、仮にそれが認められたとしても「生きる権利」より優先されるべきものではありません。「他人の生きる権利」を押しのけてまで「自分が死ぬ権利」を押し通していては、いつしか同調圧力によって「他人を死なせる権利」に化けてしまいます。

その先に待っているのは「生命の選別」です。生命の選別がまかり通れば、誰もが選別の対象として生存権の剥奪に怯えねばなりません。生命の選別を歓迎するのは、自分が選別する側だと信じて疑わない輩くらいのものです。或いは、選別される側になり得る危険性が理解できないのでしょうか。どちらにせよ傲慢で想像力に乏しい思想といえます。

参考サイト

医療的ケアとは。学校における医療的ケアの実施に求められること
https://www.kyoiku-press.com

「産んでごめんね」寝たきりの7歳、24時間介護の母…救済漏れに苦悩
https://news.yahoo.co.jp

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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