うつ病の回復期にやってしまいがちなこと

うつ病

画像:なり損ねコピーライター

未だうつ病のトンネルから抜け出せないでいる原因は、あの時の自身の行為が影響しているとの思いが頭から離れません。

あれから十年たちました

うつ病と診断され、ほどなくして仕事を辞め療養生活に入ったとき、それがここまで長期間になるとは想像もしませんでした。 それはオリンピックイヤーの2012年でした。盆休み明けの怠い身体を引きずって出勤して、どうにかこうにか一週間勤め上げたあと度を越した疲労感に見舞われました。翌週の月曜日になると倦怠感に吐き気とめまいが加わり、満員電車とすし詰め状態のバスを乗り継いで、一時間以上かけて職場にたどり着くのは無理だと思って欠勤したのが事の始まりでした。

そのまま今に至るまで社会復帰できずにいます。とはいえその間活動的かつ精神的にも前向きで、完治とまでもいかなくても寛解の兆しが見えた時期もありました。振り返ってみるとこの時の自身の体調や気持ちに対する誤った認識が、うつ病の長期化に繋がったような気がしてなりません。か これはあくまでも私一個人の実感によるものですから、寛解まで長い時間を要することになった、あるいはその可能性のある全ての人に当てはまるわけではないでしょう。ただ、数ある症例の一つとして参考にしていただければ幸いです。

薬の効果、あるいは副作用

すぐにでも職場復帰したいと考えていた自分は、初めて心療内科を受診したときの「最低でも半年から一年は休職するなどして静養してください」という医師の言葉に面食らいました。今となってはそれが誇張でもなんでもなかったとつくづく実感します。

このころ一日中続く偏頭痛と、まともに歩けない程のめまいに悩まされました。当然ながら何に対しても意欲がわかず気分の落ち込みも酷かったので、最初に処方された薬は身体の緊張を和らげるものと気分の高揚を促すものが中心でした。服用後直ちに効果が現れるものではないことは知識としてなんとなくわかっていました。加えて日に何度となく発作的にやってくる、動悸を伴う抑えようのない強い不安感に対しては、頓服として処方された抗不安剤でこれに対処しました。薬が効いているのか、それとも単なるプラシーボ効果なのか自分では判別しかねるのですが、服用後は少し楽になったような気がしました。

先に書いたようにすぐにでも仕事復帰するつもりでいましたから、半年から一年というなら、最短の半年以内で働ける身体に戻すよう積極的に外へ出かけては歩き筋トレも日課に取り入れ、これらを出来る範囲で続けました。

しばらくしてTwitterに上げた写真が、意外にも評判が良かったことに気をよくして写真に特化したブログを開設することになります。現在の私は当然ながらことの顛末をわかっているわけで、叶うことなら「程々にしておけ」と当時の自分に忠告することでしょう。

ブログは開始早々から予想外に好評で、最初のアップから数日で写真家部門のランキングで100位内に入り、毎日更新して数か月後には10位内と、トップを狙えるところまでいきました。写真を撮り歩けば適度な運動や気分転換にもなるし、かといって単に撮るだけでは張り合いもないからと始めたブログは、閲覧者数を稼ぐために打てる手は全て打ち、いつしか毎日のランキングに一喜一憂するだけのツールに成り果てていたのです。

躁が終わり揺り戻しが…

客観的に見れば何ら明確な目標もなく、ただやみくもに走っているだけに過ぎないのに、本人はこれで自分は変われる鬱も克服できると大真面目でした。

私は双極性障害の診断は受けていませんが、かかりつけ医の先生によれば鬱を患う人がその症状が多少楽になると軽い躁状態になることもあるとのこと。妙な万能感が芽生えてやらなくていいことに心血注ぎ、本当に自分が欲してその行為に夢中になっているのか、不安や焦りからそうしているかの区別が出来ない。自分の場合はそこに過度な承認欲求が合わさって拍車がかかったのでしょう。

しかしゴールの無いマラソンもいつかは終わります、リタイアという形で。

ブログを通じて知り合い親しくもさせていただいた、私が師匠と仰ぐ写真家の先生が亡くなったことが終わりの始まりでした。プロだとかアマチュアだとか、そんなことは意に介さず私を一端の写真家と認めてくれた人を失ったことが言葉にできない喪失感をもたらしました。後に残ったのは徒労感と虚無感だけ。躁から一転して鬱の揺り戻し、精神状態は最初のころよりむしろ悪くなり体力低下も著しく、本来の目標であったはずの早々の職場復帰はどこかへいってしまいました。

心の声に耳を傾ける

辛い鬱の症状が和らぐ瞬間はやがて訪れます。それは服薬の効果や身体を休めるなど要因は様々あるでしょう。食欲が全くなかったのに食べたくなった物がある、動くのさえ億劫だったのが出かけて行きたい場所ができたりと前向きな欲求を喚起します。そのこと自体は良いことなのですが、長いトンネルを抜け出した(実際は抜け出せていないことが多々)嬉しさでつい過剰な振る舞いをしがちな傾向にあることは知っておいてもいいでしょう。具体的には、食に関していうなら美味しいものを美味しいと感じる歓びから過食に走り、その反動としての拒食症に陥る危険が孕むこと、私のように気晴らしに始めた事に入れ込むあまり中途から義務感に駆られ継続し疲弊してしまうなど、落とし穴はそこかしこにあります。

わずかながらでも光明が見えたとき、そこへ向かえば出口があると必死の思いで突き進むのは至極当然のことではありますが、はやる気持ちを一旦抑えて立ち止まり冷静に考えるのは大事なことです。

明かりは自分に向けて照らされているのか、仮にそうだとしてその先のゴールには何があるのか、そしてそれは自分の望んだ形で自分にとって好ましい物なのか繰り返し自問自答すること。慎重になり過ぎるあまり一歩も動けなくなっては本末転倒ですが、誤った方向に進んだ結果、後悔と失望感に打ちひしがれるよりは傷が浅くて済むと思うのです。

なり損ねコピーライター

なり損ねコピーライター

リーマンショック後の不況のあおりを受けて年々劣悪になっていく職場環境と労働待遇によるストレスからうつ病を患って早十年。
紆余曲折を経て現在は在宅でも就労可能なWEBライターを目指して慣れないPCと格闘中。

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