私が自己否定と向き合い、抜け出すまで

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出典:Photo by Devon Janse van Rensburg on Unsplash

みなさんは自己否定をしたことはありますか?

例えば、何をやってもうまくできないと感じたり、自分自身に価値を見出せなくなったりした状態のことをいいます。

私は10代のころからこの自己否定感を背負い、アラサーになってようやくうまくつき合えるようになりました。このコラムではその経緯を書いています。今悩んでいる方や関係者の方の参考になれば幸いです。

自己否定との出会い

ASD傾向の強かった私は、小さいころから自分の「こだわり特性」を発揮してきました。やりたいこと以外には全く興味がなく、納得できないことは絶対にやらない。自己完結しがちで、今振り返ると大変視野が狭かったと思います。

幼いうちは個性だと認められていましたが、小学校に上がってからはそうもいかなくなりました。毎日決められた時間に登校し決められたカリキュラムをこなす、というだけのことが、私には苦痛の連続でした。

当時、私の家族はコミュニケーションにおいて問題を抱えており、その中で育った私には誰かに相談するという発想がありませんでした。自分が今なにに困っていてどうすればよいのか、ひとりで考えるしかないと思い込んでいたのです。

そんな私が学校生活について考えた結果、選択したのは「カリキュラムを受け入れない」ことでした。登校を拒否し、宿題はやらないまま提出しました。

学校か家庭のどちらかで日々怒られていて、しだいにどこにも居場所がないような気になり、自分の殻に閉じこもりがちになりました。

あるときなぜ自分はこんなに毎日苦しいんだろうと考えるようになりました。「もし学校が好きだったら」「人の意見を素直に受け止められたら」「みんなと同じことを楽しめたら」とそんなことばかり考えていました。

そこでひらめきました。「自分もそんな人間になればよい」のだと。

「自分の矯正」を試みる

私が目指した人物像はこうです。

・人からの指示には素直に従う
・感情が乱れない

「物わかりよく、人に迷惑をかけない人」になれば、葛藤することも怒られることもなくなると思いました。

理想の人物になるためにやったことは、毎日自分にダメ出しをすることでした。ゲームをやろうとすると、頭の中から「ノルマもこなしていないくせに」「現実逃避だ」と声が飛んできます。宿題がめんどうな気持ちには「だめな奴」学校にいけなかった日には1日中不安と自責の念が消えませんでした。

そのうちに自分がなにをしたいかが分からなくなりました。「こんな思いをするのは、自分の考えが間違っているからだ」という自己否定を軸にしてしまったため、自信が持てなくなったのです。「今日何が食べたいか?」という質問にさえ答えられなくなっていました。

なにをしたいかが分からなくなった私は、なにが正解かで判断するようになりました。進路では、就職のことを考えてよりよい大学へ進学するため浪人を決めました。愛想笑いで興味のない相手の会話につき合うこともありましたし、食事は栄養を摂るという観点で選ぶようになりました。

物わかりのよい人間になろうとがんばっていましたが、自分を捻じ曲げていたストレスで不機嫌で反抗的な態度をとるようになりました。もちろん人づきあいはうまくいきません。結局、高校を卒業するまで毎日苦しく、葛藤し、怒られる日々は変わりませんでした。

方向転換したきっかけ

とりあえず進学しようと浪人生になりましたが、長くは続きませんでした。半年たったころ心身に限界が訪れたのです。その前後のことは記憶もあやふやで、とにかく泣きわめいて予備校を辞めると家族に訴えていたことだけを覚えています。

自分を無視しておかしな理想を追いかけた結果、自分が何者かもわからず感情的になる人間となっていました。いえ、感情を爆発させるまで気持ちを溜め込まないと自己表現できない人間になってしまっていました。

前進も後退もできないどん詰まりになったとき、人生をどこへ向かわせるかを正面から考えることになりました。自殺のことも何度も頭をよぎりましたが、どうしても恐ろしくてできませんでした。この選択が取れないとわかったとき、覚悟が決まりました。人生を続けるしかないとわかったからです。

人生を続けていくにあたってまずいったことは「棚卸し」です。立場や「正解」を全て抜きにして、自分の素直な気持ち・考えていること・思い出などを掘り起こし、紙に書き起こしました。

とにかく書き並べて、一番強く願っていることを見つけました。それは「苦しみから抜け出すこと」です。自己否定をはじめたのもいい人間になりたかったのも、全ておだやかに生きていきたいから。苦しい思いをしたくなかっただけでした。

本心を認めなおす

そこからは苦しみの原因となっているものをひとつずつ解消していきました。感受性を掘り起こすために、興味をひく展覧会やコンサートには積極的に参加しました。意に沿わないことは丁寧な言葉でNOを伝えるように心がけました。心の安全を確保する訓練として、周囲に理解を求めたこともあります。

家族とのコミュニケーション不足や、価値観のすり合わせには最も神経を注ぎました。今までは不満を不登校などの行動で伝えていましたが、なぜそうしたか言語化することにしたのです。

無視してきた本心を言語化するのは、とても辛い作業でした。昔のネガティブな気持ちが呼び起されて、言葉を発しようとするたびに涙があふれ話せなくなってしまうのです。そんな自分を弱いと責める考えもつきまとい、何度もくじけそうになりました。

今まで否定してきた自分を認める試みは、すぐに効果はでませんでした。あいかわらず自己否定感は強いし、毎日ふがいなく苦しい思いは続きます。

しかし、何年も続けるうちに少しずつ変化が現われました。NOを表明したり内心を言語化したりすることで、気持ちの伝え方がわかったことがよかったのでしょう。「人に相談しよう」と思えるようになったのです。

徐々に抜け出していく

これは大きな心境の変化でした。自己流で失敗し続けてきた私が人に頼るという発想になったことで、状況は目に見えてよくなりました。医師にかかり、気持ちを落ち着かせる薬を処方してもらいました。カウンセラーを紹介してもらい、モヤモヤした気持ちを吐き出す場所をえたことも大きな進歩です。

人との関わりが増えるにつれ、自己否定感が薄れていくのがわかりました。他人と会話するなかで皆それぞれ問題を抱えていることがわかりましたし、自分の気持ちを把握したことで不安定なときも対処ができるようになっていきました。自分を適切にコントロールし、よい環境を選べるという実感が自己否定感を薄めていってくれたのです。

その後、医師の後押しもあって福祉につながり、就労移行支援事業所に通所することができました。

このとき、高校を卒業してから10年が経っていました。

自己否定のその後

「自分にはこんな問題がある」と自覚することは自己理解の第一歩です。

しかし、そこから「だから自分はダメなんだ」と自己否定をはじめてしまうと、気持ちの逃げ場が無くなってしまいます。過去の私も、もしどこかで客観視ができていたら、自分を攻撃せずに問題の改善に取り組めたでしょう。

自己否定感へと誘う声は今も聞こえます。

それでも以前の様に常時聞こえてくるものではなく、だいたいは体調が悪くなっているタイミングでやってくるのです。そういうときは「体調不良のサイン」だと割り切って心身のケアに努めていると、いつの間にか消えています。

長年続けてきた自己否定が無くなることはないのかもしれませんが、これからも距離を置いてつき合っていこうと思います。

ススキ

ススキ

幼少期から生きづらさを抱え、大人になってから発達障害の診断を受けた。うさぎ好き。

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