ようやく向き合えた双極性障害~判明までの10年とそれから

双極性障害(躁うつ病)

出典:Photo by Fauzan Ardhi on Unsplash

中学時代にうつのような症状が出始めてから、双極性障害II型と判明するまで、10年の月日がかかりました。それまでのわたしに何があったか、その後のわたしがどうしているかについて、ここでは書いていこうと思います。

部活で挫折した中学・高校時代

幼少期からエレクトーンを習い、音楽が好きだったわたしは、中学・高校と吹奏楽部に所属していました。練習は厳しかったけれど、みんなで音を合わせるのが何よりも楽しかったのを覚えています。

異変があったのは中学2年の冬。2月にあるアンサンブルコンテストに向けて、同学年で組む金管アンサンブルのリーダーに選ばれました。しかし、その重圧に耐えられず、わたしは部活を休部してしまったのです。

コンテスト終了後は無事に復帰し、その後は休むことなく引退まで部活を続けましたが、今度は高校時代にも休部を経験することになります。

高校1年の年明け。朝が弱かったわたしは、朝練を頑張る同期との歴然たる実力差に心が折れてしまい、休部を決断。その後何度か復帰を試みましたが、結局卒業まで部活に戻ることはありませんでした。

どちらも冬に起きた出来事であり、この後も冬に不調がやってくることを鑑みるに「双極性障害II型の片鱗が見えていたのかもしれない」といまなら思います。

うつを繰り返した大学時代

大学に入ったわたしは「どうにかして3年間続ける」ことを目標に、3つの文化系サークルに入部し、毎日のように奔走していました。

文化系ということもあり、いちばん忙しかったのは文化祭の時期。中でも、文化祭実行委員会に属していたため、この時期はいつも嵐のような忙しさでした。

そんな文化祭が終わりを告げると、わたしは毎年のように大学にいけなくなっていました。朝は起きれず、頑張って教室にいっても他人の話し声がやけに気になり、頭がぐわんぐわんと鳴り響き、冷や汗が止まらない。

そんなことを繰り返した3年目の冬、とうとうわたしは引きこもりになり、後期の単位を丸々落として留年したのでした。

しかし、4年目以降は何とか冬でも大学にいけるようになり、丸5年をかけて卒業要件単位ギリギリで大学を卒業しました。

双極性障害との出会い

大学を卒業した2020年3月、コロナ禍の中で就職戦線を様子見することにし、その春から同居し始めた友人のために食事を作るだけの生活をしていました。

そんな暮らしが続いた9月のある日、わたしは突然強い希死念慮に襲われ、布団を被って大泣きしていました。「このままじゃほんとうに死んでしまう」そう思い近くの精神科を予約しました。

半月後、命からがら辿り着いた診察室で、先生からこう告げられました。「双極性障害の可能性があります」と。

「夏はとても元気だったのに、いまこうして強い希死念慮を持っていることがおかしい」といわれ、わたしは愕然としました。というのも、希死念慮自体は中学時代から持っていたものだったので「いまさら、そんなことをいわれても」というのが本音でした。

とにもかくにも治療を開始することになったわたしは、就職戦線から離脱して、好きなことをのんびりと続ける穏やかな生活を送るようになりました。

その中でも、好きなアイドルたちを応援することが何よりも楽しみでした。きっとわたしはアイドルたちに生かされてここまで来れたんだと思っています。その節はありがとうございました。

就労移行支援事業所への通所

約2年の療養をへて、2023年2月からとある就労移行支援事業所に通い始めました。最初は慣れない環境に緊張していましたが、いまでは他の利用者さんたちとも仲良く話せるようになり、講座や実習などを日々頑張っています。

双極性障害の経過も順調で、主治医に「いままででいちばん落ち着いていますね」といわれるまでになりました。今後もこの調子で過ごせることを願いながら、毎日の生活を送っていこうと思っています。

おわりに

「もしもっと早く判明していたら、何か違っていたかもしれない」と考えることもあります。しかし「これはこれでよかったのかもしれない」といまのわたしは思っています。挫折だらけの10年も、双極性障害のわたしもふくめてわたしなので、不器用ながらもそんなわたしを愛していきたいです。

吏佐

吏佐

文字書きを趣味とするしがないアイドルオタク。

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