「差別ではない、区別だ!!!」←なぜ?

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何かしらの差別的な思想を持っている人ほど「これは『差別』ではなく『区別』だ!」と力説しやすい傾向があります。ただ、差別主義者の共通コードと切り捨てるのも芸がないですし、本当に区別だった可能性さえ無くもないので、判断は鈍るでしょう。

まず「区別」とは何でしょうか。最も分かりやすい区別は「免許」です。車を動かすなら運転免許、学校の先生をするなら教員免許、電気工事をするなら電気工事士の資格、医師として働くなら医師免許など、専門の技能や職種で腕を振るってもいいかどうか公的に区別させる訳です。失効などで無免許になったまま続けていると法に引っかかり、そこに実際の腕前や才能があるかどうかなど関係ありません。無免許や無資格というのはそれだけで危険です。

何をもって差別とし、何をもって区別とするか、その基準や境界線が曖昧であることは否めません。しかし思考の軸も皆無ではなく「扱いが違う理由は、その場のTPOに関係があるのか」「扱いが違うことに合理的な理由があるのか」は重要になってきそうです。尤も、本人の主観では合理的と思い込んでいるでしょうし、何としても区別ということにして許されたいのでしょうけれども。

要するに、こういうことです。
「医師免許が無ければ医師としての医療行為は出来ない」→区別
「県外からやってきた医師をよそ者だからといじめて追い出す」→差別

この場合、住民の主観では「地元の秩序をよそ者から守る」「地元の人間にチャンスを与えたい」となっており、区別と思い込んでいます。ですが、傍から見れば単なる出身地差別でしかない訳ですね。外部からの目線というのは、圧としても審判としても有効です。

ただ、障害者雇用や施設コンフリクトといった問題になると外部の目線も澱んでくるといいますか、ソトにも反障害者界隈がウジャウジャと蠢いているから難しいのですけれどもね。

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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