安田章大さん『平行と垂直』インタビュー~自閉スペクトラム症の兄・大貴を「生きる」まで
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©2026「平行と垂直」製作委員会
安田章大さん(SUPER EIGHT)とのんさんがW主演を務める映画『平行と垂直』が、8月28日(金)に全国公開されます。安田章大さんが演じるのは、自閉スペクトラム症(ASD。社会的コミュニケーションの難しさや、こだわり・感覚の特性が発達早期から続く発達障害のひとつ)のある兄・日向大貴。『平行と垂直』は、その大貴と、結婚を控えた妹・希(のんさん)が、お互いの"これから"に向き合う物語であると同時に、安田さん自身が企画を立ち上げ、実現までこぎつけた作品でもあります。
なぜ自らこの物語を届けようとしたのか。大貴という人物を、どう身のうちに迎えたのか。安田さんは一つひとつ言葉を選びながら語りました。
「言語に信憑性も信頼性もない」──即興劇の現場から始まった企画
──本作は、安田さんご自身が企画を立ち上げたところから始まりました。原案・脚本の山野海さんとは、どんな出会いだったのですか。
海さんとは、即興劇をやるバラエティ番組で出会ったんです。海さんはその時、演出助手として来られていました。収録が終わったあと、参加したメンバーの中から気になった一人と対談する企画があって、海さんが僕を選んでくださった。開口一番「なんでそんなに間を開けられるの」と聞かれたので、逆に「なんで間が怖いんですか」と返したんです。そこで話したのが、人間は言語をしゃべるけれども、言語に信憑性も信頼性もないですよね、ということでした。一番言葉をしゃべるのが胡散臭い、嘘に近いと僕は思っていて、人間は進化というより退化して、言葉をしゃべるようになったんだろうな、と。そんな話をしていくなかで、海さんから「一緒にやりたいと思っているものがある」と聞いて、「じゃあやろう」となり、その場で連絡先を交換して、次の日に電話して「書いてな。絶対やるで」と伝えました。
──書き上がった脚本の、どこに心を動かされたのでしょうか。
脚本は、ASDと定型発達のきょうだいの話でした。ただ僕はその前に、言語からは見えない真実があると思っているんです。障害という診断を下されているか、下されていないか。その違いだけで、人間が本来持っている考え方や気持ちは、全部一線でつながっているでしょう、と思う人間なんです。だからまず、差別という考え方をやめてほしかった。過度に区別することも、考え直してほしかった。みんなそれぞれ気持ちや、考え方があって、伝え方が違うだけ、速度が違うだけ、表現方法が違うだけ。それをまず知ることから変わっていける。そういうことをしたかったから、自分から広げにいきました。
当初はショートムービーの構想だった脚本は、安田さんとの出会いを経て長編になりました。配給先も決まっていない段階で、安田さんは旧知の佐藤現プロデューサーに自ら電話とメールで「読んでほしい」と持ちかけ、企画が動き出します。
「人間同士でコミュニケーションを取れた時間やった」──さくらんぼ教室で

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──大貴を演じるにあたり、ASD監修に入っているさくらんぼ教室(発達障害など支援が必要な子どもから社会人までを対象とした教室)を、実際に訪ねたそうですね。
年齢もそれぞれ違う皆さんとお会いして、いちばん下は4歳の子でした。一緒に遊んで、投げたものを拾って渡して、というやり取りを重ねていたら、最後に「ありがとう」と言葉で返してくれた子がいたんです。照れながら握手してくれる子、一生懸命自己紹介してくれる子もいました。10人以上とコミュニケーションを取ったんですけど、あれは勉強しに行ったとかじゃなくて、人間同士でコミュニケーションを取れた時間やったんですよ。生き物同士、と言ったらいいんですかね。僕は普段から、人間はたまたま言語をしゃべれている動物だと口にしています。自分が動物園を作るなら、ライオン、ゾウ、人、と並べるだろうなと思うほどで。生き物として見ているからこそ、余計に心でつながれる感覚に至ったんです。勉強しに行ったわけではないのに、体にストンと、大貴というものが入ってきてくれました。
──ご家族や、きょうだいの立場の方とも話したのですか。
親御さんやきょうだいの立場の方の考え方は、皆さんそれぞれ全然違いました。ここまで考えられる、いや絶対考えられていないと思う。ここまで感じられる、いや感じられていないと思う。この2点だけでも、大きく違うじゃないですか。ただ、皆さんと会って思った感覚は間違っていなかったな、と。感情は動いているし、表現できなかったとしても理解しているし、常に感情が渦巻いて動いているから、伝えたくなっているんだろうな、と思ったんです。
「大貴はその後も、生き続けている」──「演じる」のではなく「生きる」

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──台本にないせりふや所作が、現場で生まれたとうかがいました。
掃除を終えたあとの「日向大貴でした」という一言は、せりふになかったんです。リハーサルで自分から勝手に出てしまって、聖太郎さん(小林聖太郎監督)が「そのままで」と。ホームに戻る時に揺れながら考えている姿も、指定のないことでした。大貴の部屋を作ってくださる美術さんが、電車が好きな大貴のために本を置いてくださって、それを大貴として読んで、お守りにしていました。この心情なら、カタコトとなって自分の精神を収めながら、揺れる感情とともに動くだろうな、力が入るだろうな。そういうことが感覚的に動いていたんです。希とのアクシデントのあと、もう一度同じ掃除をして「日向大貴でした」と言う時も、心の中で揺れ動く感情があるから、一回目と同じようには終わらない。皆さんと関わったことで、感情が勝手に理解していったところかもしれません。
──役の核になったものはありますか。
希の存在ですね。兄妹でずっと一緒にいて、苦労を越えてきて、妹にすごく心配や迷惑をかけてきただろうということも、全部は理解しきれていなくても、記憶には残っている。小学生の頃に「お兄ちゃん怖いわ」と言われたことも、心になかったとしても、体のどこかに染みついている。それはすごく意識していました。大貴の中に、人生の全部の何かがへばりついている感覚。その感覚でずっといました。
取材の席には、発達障害の当事者である記者もいました。整えること、集中すること。映画の描写に「すごくリアリティがあった」と感想が伝えられると、安田さんは、これまでにない感覚を明かしました。
今まで舞台でもドラマでも映画でも、この感覚になったことがなかったんです。「お芝居がナチュラルでしたね」「すごかったですね」と言っていただいた時に、初めて違和感を覚えました。キャラクターを演じたというより、大貴として映画の中にどっぷり浸かって、大貴はその後も生き続けている。その感覚が、完璧にあるんです。
「もしこのメガネをつけながら演じていれば、伝わり方が少し曲がっていた」──サングラスを外した理由

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安田さんは2017年に髄膜腫の手術を受け、後遺症による光への過敏で、普段はサングラスが手放せないことを公表しています。本作では、それを外して大貴を生きました。
──サングラスを外して撮影に臨むことに、覚悟はありましたか。ご自身の病気と向き合ってきた経験は、この作品に影響していますか。
僕にとってサングラスを外すということは、命をかけて仕事に挑むということなんです。「サングラスをつけていいんです」と世の中に発信したい人間なのに、仕事の時には外して、照明が当たる中に立つ。啓発とは逆のような行動です。それでもなぜやるのか。変なボーダーがあったり、理解が追いつかない環境があったりするなかで、「なんで区別するの」という思いが自分の中に強くあったからです。もっとみんな、静かに待つ時間、見守る時間を持って、相手が答えをゆっくり出せるタイミングまで、ちゃんと受け取ろうよ、と。僕自身、言語で伝えるのはどちらかというと得意ではありません。時間をかけて相手の目を見ることで、目の奥の言葉が聞こえてくる。それをキャッチしたい、という考え方で発信してきた側だったんです。
──劇中の希の言葉にも、その考えが響いているそうですね。
希が、お兄ちゃんの本心について「聞けるものなら聞きたかった」と語る言葉があります。僕が「目の奥を見て相手の感情を知ることを大事にしてきた」と海さんに伝えたら、海さんがそれを言語化してくれて、あの言葉が生まれたんです。サングラスを外してまで届けた理由は、いま改めて、自分がちゃんと伝えなきゃいけないと理解しているからだと思います。病気をしたからこそ、今の自分だから、受け止めてくれる人もいるんじゃないかと思ったし。体験した人が届けようとすることは、異物が入っていないというか、研磨された、純度の高い心になっているんだろうなと、自分でも思うんです。昔は、こういうことを言うのが恥ずかしいと思っていた。でも病気をしたあとは、「偽善ですよね」と言われても、「いえ、違います」とはっきり胸を張れるようになった。だから今、伝えられるんだと思います。もしこのメガネをつけながら演じていれば、伝わり方が少し曲がっていたな、と思うんで。
取材中には、当事者の記者から、感覚過敏の描写など映画への共感が重ねて伝えられる場面もありました。安田さんは「そんな言葉を直接いただけるなんて」と礼を述べ、こう続けました。
揶揄する人もいると思っていました。「いや」と言う人もいると思っていて、それを受け止めるのも大前提として取り組んだので、その言葉が聞けただけで、本当に良かった。すべてを受け止める器がなければ、トライしちゃいけないことだと思うんです。届ける必要があるから、届けた。変えていかなきゃいけないから、変える努力をした。それだけのことだったんですよね。
「言葉の温度、湿度、風速」──のんさんと交わした兄妹の間合い

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──のんさん演じる希とは、本当の兄妹のような距離感でした。ふたりでどう作っていったのですか。
役柄のことで「こうしていこう」とは、のんちゃんとほとんど話していないんです。のんちゃんが妹として僕に投げてくれる言葉の温度、湿度、風速みたいなもの。ヒリヒリ感とか質感とか、体感覚と言うんですかね。そういう五感で感じられるものを、のんちゃんが放ってくれるせりふから吸収して、時代背景と現状と、きっと続いていく未来とを一生懸命身にまとって、空間として感じて、自分なりに返す。受け取ったのんちゃんが、また返してくれる。現場のやり取りだけでした。
──「お願いやから、私の人生邪魔せんといて!」と希が感情をぶつける場面や、桜橋のたもとの場面も、事前の相談はなかったのですか。
一切、しゃべっていないです。ふたりでどう作ろうか、ではなかった。序盤に頬へ触れかけて、触れない場面がありますけど、ト書きに流れは書かれていても、どれくらいの距離まで触りにいくかは書かれていない。間合いも含めて、のんちゃんと僕との距離の関係性であり、コミュニケーションだったんです。桜橋の場面も、気持ちがテンパって、ただ「一回座ろうか」と座って、頭がテンパったまま、希が言ってくることに反応していく。その延長線に、あのシーンの終わりがありました。ラスト付近の「マッティーニ」も、多分ト書きにはなくて、リハーサルの中で決まっていったはずです。僕はどちらかというとライブ感で、のんちゃんとのエネルギーのやり取りでやっていました。その場その場で起きるエクスプロージョン(爆発)も大事にしていましたね。
──ご自身の企画が、一本の映画として完成しました。いま、どんな思いですか。
たくさんの人に見てもらいたい、と思うのは当然です。でも何より、ミニマムの人たちがどれだけ心の雪解けをしたか。点と点がつながって、心の中で握手をしてくれたか。そこにすごくフォーカスしているんです。生きた作品、血の通ったものは届ける必要があるし、これからも作り続ける必要がある。感覚や感性に蓋を閉じて、気づかないようにしている人は多い気がしています。未知のものに触れるのは怖いから。だからこそ、ノックしてもらえるように目の前に置いていく作業が必要で、やり続けたいな、と思うんです。
スクリーンの中の大貴は、多くを語りません。けれどその目の奥では、確かに感情が動いています。それを受け取る時間を、私たちは持てるだろうか。『平行と垂直』は、静かにそう問いかけてくる映画です。8月28日(金)、新宿バルト9ほか全国公開。

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映画『平行と垂直』公式サイト:https://www.toei-video.co.jp/heikoutosuichoku/
公式X:@heikou_suichoku
公式Instagram:@heikou_suichoku


