「みいちゃんと山田さん」須崎先生の出る第11話を徹底解剖する

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Photo by Joshua Hoehne on Unsplash

「みいちゃんと山田さん」に登場する中で、なんだかんだ言って須崎先生は二番目に好きなキャラです(一番はニナちゃん)。理由はただ可愛いからというだけですが、前任の剛田が持たないものを全て揃えておきながら上手くいかなかった運命にも惹かれるものがありますね。

須崎先生は作中の1999年、みいちゃんが小学3年生の頃に赴任してきた若い担任で、療育に関しては20年先の常識を有している未来人のような女性です。熱意があって優しい先生ではあるものの、その熱意は決して美点ばかりではなく、みい母やみい祖母へいきなり支援学級を提案する性急さが仇となった描写が印象的です。異世界転生ものではしばしば現代知識を披露して一山当てようとする描写が見受けられますが、その失敗例みたいな感じですね。

今回は「みい山」の第11話「小学生みいちゃん」を追いながら須崎先生の置かれた環境などについて話していくので、かなりネタバレが多くなります。

酷すぎる前任・剛田

須崎先生の置かれた環境を説明するには作中での2年前、つまりみいちゃんが小学1年生の頃から説明せねばなりません。当時の担任は剛田という男の先生だったのですが、彼のクラス運営は「和と団結のために一人を躊躇なく売る」というスケープゴート前提のやり方でした。

「みんな!中村(みいちゃんの名字)みたいにならないように気を付けろよ!」
「中村!寝ぐせついてるぞ~」「独特な服だなぁ~」「今日も宿題忘れたのか~?お前だけだぞ~」

率先して少数を笑い者にすることで残る多数の団結を図るというのは、集団マネジメントにおいて無能の発想です。しかし90年代は未だにこういうタイプの教師が跋扈していたとされており、皆さんの記憶の中にもいるかもしれません。或いは、良い担任と覚えているのはあなたが生贄にされていなかっただけに過ぎないのかもしれません。

「剛田先生面白くて好き~」「授業楽しいよね~」
「楽しくないよ!みいちゃん剛田先生キライ!!」

生贄にされた本人(ここではみいちゃん)にとっては堪ったものではありません。しかし他の児童からは面白い先生だと好かれています。90年代だと怒鳴ったり殴ったりしないだけでも個性になりますし、生贄以外にとっては確かに楽しい先生に見えるでしょう。

また、これは色々な解説動画を回って知ったことなのですが、みいちゃんも最初のうちは見え見えの嘘をついたり恥ずかしそうに肩をすくめたりしていました。しかしクラス中から笑い者にされる扱いが続く中で不服そうな表情に変わっていき、仕舞にはキレてしまいます。小学1年生にして何をしても笑われる最悪の環境を知ってしまった心の動きが読み取れます。

「このテスト0点ってのは流石にさぁ…」「先生もいじりすぎたのは悪かったよ」

一桁の足し算で0点だったみいちゃんを職員室へ呼び出す剛田先生。彼は自分を嫌うあまりふざけているのだと解釈し、機嫌を直してくれと宥めます。ここも剛田先生の心理がよく出た描写で、彼は別にみいちゃんを潰してやろうとかそういう悪意で動いている訳ではないんですね。いじったら嫌われるまでは分かっていても、それがいじめを起こしたりトラウマを残したりすることにまでは理解が及んでいませんでした。ですが悪気の無い方が却って始末に負えないものです。

そんなこんなで、母親が「担任が変わるまで学校行かなくていい」と言ったことで、みいちゃんは小学3年生まで一時不登校となりました。彼女の学校では担任が変わるのは2年に1度のようですね。ただ、剛田先生に狙われるきっかけとなった寝ぐせや服については、娘の身なりに全く気を遣わない保護者(みい母とみい祖母)のせいでもあることも抑えておきたいです。

台詞のない7コマ

そして須崎先生の時代へと移ります。若くて可愛くて賢くて熱意もあって優しいと、前任の剛田にないものを全て兼ね備えた彼女が担任になったことでみいちゃんは通学を再開。自分にも優しく寄り添い見守ってくれる須崎先生に、みいちゃんはとても懐いていました。

「中村さん 靴はつま先が内側を向くように履くんだよ」「今 履き替えちゃおう!先生の肩につかまって」
「須崎先生大好きー!!」

このあと台詞のない7コマが続き、みいちゃんの学校生活とそれを見守る須崎先生の様子が描かれています。そして保護者面談の場面に繋がる訳ですが、黒板の日付は6月12日となっており、みいちゃんの通学再開から2か月ほど経過していることが分かりますね。須崎先生はあれから2か月の間みいちゃんの様子を見ていました。

漫画には漫画向けの読解というものがあり、台詞だけでなく人物や構図やコマ割りといった視覚情報も集めて統合せねばなりません。漫画だから簡単という訳ではなく、寧ろ漫画であるからこそ却って読解や考察が難しくなることさえあります。そのため、1コマから数ページの切り抜き程度ではしばしば見落としが発生します。かといって絶対的な正答が設定されていることは少なく、読者の自由度はある程度保障されています。ゆえに考察する自由も誤読する危険もある訳ですね。

みい山の話に戻ると、台詞のない7コマと保護者面談までの2か月間で須崎先生が何をしていたか想像の余地が幾らでもあります。前任の剛田など他の教諭と話し合い、みいちゃんへの対応について協議していたかもしれません。逆に一人で逡巡して誰にも相談せず決めていたかもしれません。幾らでも解釈できる空白は、手抜きなどではない筈です。

結局、須崎先生のマシンガントークも空しく支援学級(作中の時代では特殊学級呼び)への提案は蹴られました。しかしみいちゃん本人は、親から「陰でバカにしてたよ!」と吹き込まれても、初めて自分に優しくしてくれた人間なのもあってか自分の目で確かめようとしています。この時点では親が何を言っても須崎先生との良好な関係を断たずにいられる望みがありました。

「中村さんは感性がすごいから!将来は何になるのかな…絵描きさんかな?小説家さんかな?」
「………笑ってる」「やっぱり みいちゃんのことバカだって思ってるんだ…!」

ところが笑いかけるという自然なコミュニケーションが地雷となっていました。前任の剛田によって植え付けられたトラウマが蘇ったことでみいちゃんは最悪の誤解をしてしまい、須崎先生との関係までも断って卒業まで不登校を貫くことになりました。まさか笑いかけるのが地雷だったとは須崎先生も思わなかったでしょうが、1年生の頃の悪い環境がここで影響してきます。

剛田たちの幻影が映っただけでなく、笑った須崎先生の目元がこの場面だけ意地悪なモモさんに似せてあることからも、みいちゃん視点での認知の歪みが表現されています。やはり、みいちゃんの小学校時代がガタガタだったのは剛田がトラウマを植え付けたことが一番の原因だったのではないでしょうか。あれが無ければ次に担任の替わる4年生の終わりまで通えはしたと思います。

翌12話での須崎先生

翌12話「中学生みいちゃん」でも須崎先生は教職を続けており、中学校へ引き継ぐにあたっての会議に出席しています。あれから4年以上教職を続けて30歳近くになっているにも関わらず疲労や衰弱がみられません。たった数か月で一気に老け込んだ山田母や激太りの末31歳で亡くなった山田さんなどと比べると心身ともにかなり強靭なほうの人間です。不登校中のみいちゃんの様子は地域じゅうの知る所となっており、「明らかに…でしょ」と何らかの知的ハンデを確信する人も居ました。須崎先生だけが怪しんでいた訳ではないんですね。

この会議の場面で須崎先生の出番は終わりますが、あの後の小学校での状況はもう少しだけ語られます。

まず、みい母は須崎先生のことを根に持っていました。剛田先生からの仕打ちも知っていた筈なのであっちも恨んでいなければおかしいのですが、陽キャ気質の剛田のこと、保護者対応は巧みに乗り切ったのではないかと思われます。直接切り込んできた須崎先生だけ恨まれるのも因果なものです。

そして、ムウちゃんにも支援学級への勧めがありました。勧めた教諭が須崎先生だったかどうかは明かされていませんが、児童をよく見て時に検査や支援を提案するシステムは生きていたようです。ムウ母は娘の発達の遅れに薄々気づいており、結局普通学級を続けはしたものの、その選択まで大いに悩んだといいます。いつ誰が勧めたかは知りませんが、ムウ母ですら教諭との信頼を構築し受容していくまでの時間が無かったのは確かでしょうね。

ただ2年一緒にいればよかった

「それで ここからは私の提案なのですが───」

完璧な未来人に思えた須崎先生が唯一持っていなかったのは「慎重さ」でした。仮に2か月じっくり考えて他の教諭と協議したとしても、須崎先生が慎重さに欠けた拙速な教諭であることは覆しようもありません。発達の遅れと検査の勧めと支援学級の話をマシンガントークで仕掛ける前に「私の提案」と言ってしまっているので、最終的な判断は須崎先生自身がしていたのでしょう。そもそも、みい母とは片手で数えるほどしか会っていなかった筈ですし。

保護者との信頼を構築し、校内の様子を共有し、踏み込んだ話も聞いてもらえるように持っていく努力をしていないというのが、よく見られる須崎先生評です。みい母の癇癪持ちな性分を差し引いても、支援学級へ移す話まで立て続けに持ち出すのは庇いようがありません。では須崎先生がもっと慎重に大人しくしていれば済んだかというと、そうでもないと思います。

「やっぱりあの先生の言う通り特殊学級に入れた方がいいの?わからない……でも…そんなことしたらご近所の目が……ますますうちが変な目で見られてしまう…」

作中が1999年の地方であることをもう一度思い出してください。みい祖母が逡巡する通り、昔の地方らしい価値観が常に悪さをしてきます。いくら時間をかけて信頼を築いても、古い価値観が悪さをする限り支援学級へ移すのは困難でしょう。それに、支援学級そのものが入れて解決となるような魔法のアイテムという訳ではなく、寧ろ学校によって当たり外れの大きい博打に近いです。もし左遷先や人材の墓場として扱っている学校なら、支援学級に入れると逆にもっと酷い21歳になっていたかもしれません。

須崎先生が本当にやるべきだったのは、みいちゃんを支援学級に移すことではなく、4年生が終わるまで一緒に居続けることでした。みいちゃんは、初めて優しく接してくれた大人として須崎先生のことを好いており、良好な関係を続けられたように思います。一方で、剛田先生に植え付けられたトラウマという爆弾を考えると不登校になるまで数か月伸びるだけかも知れませんが。

3巻の巻末対談で「ケーキの切れない非行少年たち」の宮口氏が外的指向性(外の人間を範とする育ち方)について触れた時、作者の亜月氏は親以外に範となりうる良き大人としてまさに須崎先生を挙げていました。(その直後に宮口氏が保護者対応の拙速さへ話を急転換したのですが)

なんだかんだ言って須崎先生は教師としてかなり超人じみています。みいちゃんを見守って寄り添い、範となる大人であり続けることは十分可能だったでしょう。それに支援学級云々の話を大人たちだけで回していても、結局みいちゃん自身はどう思うかを無視できないのではないでしょうか。時代にしては大それたことをせずとも、須崎先生なら上手にやれていたと思います。

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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