パニック障害に振り回されない、これからのすばらしい人生を歩むために(後編)

パニック障害・不安障害

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パニック障害との向き合い方

では、私が実際にパニック障害とどの様に向き合ってきたか、向き合ってきているのかをこちらに書き記していこうと思います。発症当時、まず私は”情報”を得ようとしました。主治医からは、”不安神経症”と診断されましたが、その本質自体まったく理解できなかったからです。時代的に、インターネットも一般には普及されておらず、もっぱら情報収集先は本屋か図書館でした。

本屋に行き、自分に似た症状の本を漁っては読みふけ、何冊も何十冊もの精神疾患本を読み続けました。そんなある時、一冊の本と出会いました。著者は貝谷久宣(かいやひさのぶ)という名古屋で精神科を開業されていた方でした。その方の本を立ち読みしていると、まったく自分の症状がそこには書かれていました。そのまますぐに購入し、家で読み続けると、”ホッと”した感情と、今までの辛かった時の記憶が一気にフラッシュバックし、涙が溢れてきました。この時の号泣は今でもはっきりと、脳裏に記憶されています。

後日、本の中に記載されていた電話番号に連絡をとり、「名古屋まで来れますか?」と。しかし現在もそうですが、各駅電車以外の乗り物は辛く、恐怖心が強くあります。しかし、ここはしっかりと病気と向き合い、大きく転換できるチャンスだと思い名古屋まで行きました。そして、著者の貝谷先生とお話をしました。この時ほど心が救われた事はなかったです。それは発作が初めて起きた6年後の事でした。

診断結果は「パニック障害」。気持ちがスッキリしました。自分の病気がはっきりと分かったことが…。

この時期から、私はパニック障害と一生”付き合う”つもりで、ゆっくりと治療をしていこうと心から思えるようになりましたこれが私にとっての「向き合う」なのかも知れません。この気持ちは今も変わらず持ち続けています。

過去を振り返って変わったと思うこと

パニック障害を患って私がどう変わったのか。一番大きく変わったことは『価値観』だと思います。それは、人に対する価値観であり、物事に対する価値観、なにより人生に対しての価値観が非常に大きく変わったと思います。

それは今まで気付かなかった些細な喜びや、幸福感、身近な人の大切さなど。当たり前だったことがパニック障害を患い、当たり前じゃなくなったことで、見える風景が大きく変ったように思います。例えば、外出ひとつでもそうですが、病気になる前は普通に特急電車や飛行機、それに遠くまで出向いての旅行など、大きな楽しみや喜びがありました。しかし、今はこのような交通手段も遠出の旅行も、パニック発作を起こしてしまう引き金になりそうで、怖くて出来ていません。実際に特急電車にチャレンジした結果、とても辛い発作に見舞われてしまったことなどの体験が未だに記憶として残っています。それでも、何度かチャレンジし続けました。当然これからもチャレンジは続けます。ここで大きな価値観、「別に遠出しなくても、近場に楽しいところ、面白いところなんていっぱいある」そう思うようになりました。だから今では、ちょっとした事でも楽しいし、些細な出来事でも幸福感を感じれています。

何より身近な存在である家族が今まで以上に大切に思えるようになりました。家族には感謝しかありません。だから私は生まれてきて本当に良かったと思えるし、今の現状を喜ばしく感じられていられるのかも知れません。

最後に

ある時、名古屋の貝谷先生から質問されました。「あなたの夢はなんですか?大きな夢を教えてください」。急な質問で、少し考えました。そして私は「ニューヨークに行くことです」と、答えました。確かにアメリカのニューヨークには行きたいと、子どもの頃からの夢の一つとして持ってはいましたが、まさかここでこの答えを思い浮かべるとは思いませんでした。ですが今思うと、貝谷先生に出会えたことで「飛行機」に乗って「遠い」ニューヨークに「旅行」が出来る日が来るんじゃないかという”希望”を持てたのかも知れません。そしていつの日かその夢は私の”目標”へと変わっていきました。

いつになるか分かりません。時間もかかると思いますが、その時が来た時、私はニューヨークの「自由の女神」の前で最高の喜びと満面の笑顔で楽しんでいることでしょう。もちろん家族共に…。

参考文献

・クレア・ウイークス(訳:高木信久)(1974) 『不安のメカニズムー心の病から脱出するために』 講談社

・貝谷久宣(1996)『不安・恐怖症−パニック障害の克服(健康ライブラリー)』 講談社

ZONO

ZONO

子供の頃から体を動かす事が好きで、サッカー、野球、体操、格闘技などで汗を流していました。19歳の時、”パニック障害”を患い、不安と緊張による心身の疲労を感じながらも、就職することができました。社会人になってからも、サッカーや野球で汗を流し、”パニック障害”と向き合いながら日々を過ごしていましたが、病状が悪化し、退職をしました。その後も職に就いては、体調を崩すなどを繰り返すうちに、いつしか現実逃避という『妄想の旅』に出てしまいました。

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