うつからの回復~3度の体験記

うつ病

unsplash-logo Daniil Kuželev

私は20代のはじめに、うつ病と診断されました。うつ病には体調の波があり、今まで楽しめていた事や仕事ができなくなったり、普段当たり前にできていた衣食住も難しくなったりする人もいます。私もそうでした。私はこれまでに3回の大きな体調の落ち込みを経験しました。その時を振り返りながら、それらのうつ状態からどのように回復してきたのかを語りたいと思います。

1度目~全ての自己を否定する期

20代のはじめ、私は学生生活で大きくストレスを抱えていました。サークル仲間との意見の衝突、授業のグループワークでとんちんかんな意見を言って話題をそらしてしまうこと、アルバイトで失敗を繰り返し同僚ともうまくコミュニケーションが取れないこと、友人から恋愛関係に発展する事へのとまどい、と中身は様々でした。

そしてある時から私は心臓の痛みを自覚するようになりました。体の内部から心臓が何者かの手で握りつぶされる様な感覚でした。痛みを中和させようと心臓マッサージで圧迫する辺りを指でぐいぐいと押して何とか紛らわせていました。このような身体面だけではなく、精神面にも異常をきたすようになりました。「何をやっても私はダメな人間だ」「私の意見は誰にとっても聞く価値のないものなんだ」「私は他人を不幸にするから生きていてはいけないんだ」「……誰かに命を狙われている気がする」──ですが、当時はこれらの思考が異常だと思えませんでした。思考はどんどんエスカレートし、表情は徐々に暗く能面の様な顔になっていきました。また、学校もずる休みをするようになりました。「学校にはお金を払っているから行かなければならない」と義務感で体を引きずろうとしても動けない状態でした。

そんな状態がしばらく続いた時、私は思い立ってスクールカウンセラーに現状をメールしました。その後すぐに紹介されたのが、精神科でした。当時は福祉や保育を学ぶ学校で学んでいたので精神科を受診することには抵抗がなく、紹介状を持ってすぐに受診しました。心理検査を受けた後、主治医からうつ病と診断されました。(本当は別の障害も診断されたのですが、ここでは割愛します)そして間もなく薬物療法とカウンセリングが始まりました。薬を飲み始めると幾分か不安な気持ちが落ち着きました。カウンセリングでは、はじめはうまく自分のことを話せませんでしたが、段々と気持ちを話すことができるようになり、否定せずに話を聞いてくれることに安心を感じました。

薬物療法とカウンセリング。この2つで私は1度目のうつ状態からの回復を経験しました。完全には元に戻れませんでしたが、それでも学校に再び通えるようになり、卒業もできました。

2度目~役立たずの自己烙印期

2度目の落ち込みは、初めての職場を退職する頃でした。当時は福祉施設の職員として勤務し、追加された頓服薬を毎朝出勤前に飲みながらどうにか通っていました。しかし、同期に比べて仕事ができないことや利用者様だけでなく、上司や同僚のほとんどとうまくコミュニケーションがとれないことなど、仕事ができていたとはとても言えませんでした。ボーナスをもらった時も「こんな役立たずがボーナスをもらっていいのだろうか。返金か寄付をした方が良いだろうか」と本気で考えていました。作り笑いをしながら接してきましたが、頓服薬を規定量より多く飲んでフラフラになったある日、働くことに限界を感じて私は退職しました。

その後はハローワークで雇用保険の手続きをし、職員とこの先どうするか相談をしながら過ごしました。その時まず職員に言われたことは「しっかり休むこと」でした。「今は心の栄養が枯れ切っているから、きれいな空や植物を見るでもいい。心に栄養を補給するように」と言われました。そして何度も私に「大丈夫、大丈夫。」と声をかけてくださったことを覚えています。この時もちろん薬物療法とカウンセリングも継続していました。しっかり休むこと3ヶ月。私は回復、というより「働かなくては」という焦燥感に駆られる形ではありましたが就職活動を開始し、ある会社に内定しました。

心と体に栄養をあげるためにまずは休む。これが2回目の回復に良い影響を与えたのは確かです。この時も完全に元の元気な私には戻れませんでしたが、趣味を少しだけ楽しめるようになるなど平穏を少しでも取り戻すことができたのです。疲れたら休む。体にしても心にしても大切なことだと感じました。

3度目~社会から捨てられたどん底期

3度目の落ち込みを経験した時は、2度目の会社とは別の会社で働いていました。その会社での仕事は、仕事の量に波があり、仕事がない時でフロアの掃除も終わってとうとうすることが何もない時がよくありました。「何か手伝えることはないですか?」と聞いても何もないと言われ、「私は今ただの金食い虫なんだ。電話もならない。分ける書類もない。ただの金食い虫だ」と自分を責めていました。そうするうちに精神的にしんどくなってそれが体の不調に何度も現れるようになり、早退を繰り返していました。社長から精密検査を要請され、通院先を教えるように言われました。この時主治医から2ヶ月の休養を命じられたこと、精神科に通院していることを知った社長は契約終了を私に告げました。この時運が悪く対人関係でも大きな出来事が重なったため、私はついに感情を失いました。

感情を失ってから取り戻すまでには時間がかかりました。家族に何を話しかけられても何も感じず、ただ「うん。うん」と小さな声でうなずくことしかはじめはできませんでした。表情も能面の様な表情が復活し、目もうつろでした。結局、笑いと楽しみを取り戻すのに3週間、怒りを取り戻すのに1ヶ月、涙を取り戻すまでには2ヶ月かかりました。はじめは人前で感情を出すことが怖くて仕方ありませんでした。「会社に捨てられた時みたいに、また誰かに拒絶されるんだ」とおびえていました。

笑いと楽しみの回復は、たまたま友人と会う機会がその時にあったことがきっかけでした。この時の誘いを断っていたら、私はまだ人前で笑うことも趣味を楽しむ事もできない状態が続いていたと思います。憂うつな気分も高まり、趣味を楽しむと言ってもそれまでの1割ができる程度でした。主治医に相談し、服薬調整をしてもらうことで現在では趣味の4割位は楽しめるようになってきました。怒りの回復は家族との口論で取り戻しました。笑えるようになったことで、家族と淡々とではありますが会話もできるようになっていたある時、相手の理不尽さにそれは違うと口を出していたのです。そして最後に、悲しみの涙の回復は就労移行支援事業所での面談でようやく出せました。1度目や2度目の落ち込みの時にはどんなに泣いても止まらなかった涙が、2ヶ月かかってようやくまぶたから溢れた時は思わず「職員さん、良いことがありました。涙が出ました。」とその場で報告したほどです。こうして私は喜怒哀楽を2ヶ月かけて取り戻したのです。安心できる環境で安心できる人と過ごす、これが私の感情を取り戻すことに大きく影響しました。

まとめ

何度も言いますが、私はまだうつ病発症前の「元気」な状態には戻れていません。それでも主治医やカウンセラー、就労移行支援事業所などの支援機関からの支援と自分の心を豊かにする趣味のおかげでなんとか生きています。うつ病から完全に回復することは難しいかもしれませんが、少しずつ、自分を取り戻していけたらいいなと思っています。

あずまあやめ

あずまあやめ

うつ病と広汎性発達障害と診断されました。今は自分で自分を認めて好きになる修行中。好きなことはミニチュアを集める・見る・時々作ること。

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