ブラックかもしれない環境~仕事と家庭

その他の障害・病気

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私が発達障害だと判明したのは入社してから2年後。結局、辞めるときまでクローズ就労で通すことにしましたが、非常に苦しい思いをしました。

入社時

私は大学在学中に50社以上受けて、卒業間近でようやく介護職に就くことができました。実を言えば、あまり望んだ仕事ではなかったです。私自身としてはイラストや映像作品を作る職業に就きたかったのですが、実力のなさを痛感し、やむをえず介護職に就きました。最初に望んではいなかったと書きましたが、それでも、やっと採用されたことで達成感を得て、せっかくだしやりがいのある仕事にしていこうと気持ちを切り替えました。

会社名や場所は伏せますが、介護に従事して思ったことはネットや各メディアで取り上げられたイメージどおり、一言でいえば本当に「きつい」です。

私は入社初日から大目玉をくらいました。館長の説明が終わった後、新入社員は感想文を書かされました。内容は覚えていないですが、学生気分が全然抜けてないこともあり、稚拙でなまいきな文章を書いてしまったのかもしれません。女性の上司(以後はTとだけ表記)に叱られてしまいました。業務はとても大変で、百人以上いるかと思われた利用者に対し、一人一人性格を覚えて、細かな対応しなければならなかったのです。ここで目が回るという言葉を身をもって知りました。

結局、数々の対応の遅さに加えて、服薬のミスもあり、数ヶ月後には介護職でありながら、実際は掃除やごみ捨てなど単なる雑用係となり、Tに「あなたは正社員にふさわしくない」と準社員に格下げされて、最終的には定期更新のパートにまで落とされてしまいました。

「さっさと会社の優秀な駒になりなさい」などの数々の罵倒は鮮明に覚えており、何度か土下座させられたことも覚えています。そして、一年も経たない内に長期キャリア形成という名目の実質の降格左遷処分。ただし、移動距離は以前より近くなったので、そこはまだましでした。

左遷後

左遷後は周囲の人間関係がまだ良かったので、しばらくは続けられそうに思えました。しかし、そう楽観視できる現場でもありませんでした。私がいた認知介護の現場では、暴力的な言動や行動を取ってしまう方もいました。周りから教えられた対処法は「耐える」しかなかったのです。ついに我慢できなくなり、揉めてしまいました。もちろん、問題視されて、そこから仕事内容が少し減らされてしまいました。

良くないことは続くもので、以前の所長がよそへ転勤となり、新しい所長が第二の恐ろしい女上司(以後はSと表記)に変わりました。この頃には、私の障害からして介護職は向かないと言われていました。しかし、再就職するとしたら、また何十社も受けなければいけないことに対する恐ろしさと、意固地になっていたこともあり、遠回しの退職勧告を断り、クローズ就労で続ける気でいました。

ですがSはより苛烈に、はっきりと退職するよう私に迫りました。月日が経つとさらに厳しくなり、個人面談では他は10分にも満たない時間ですが、私は別枠で回数も多く、1~2時間以上、ときに仁侠映画のヤクザみたいにドスをきかせた感じで、きつく責め続けられたこともありました。面談終了後は、1時間程度でも3時間ぐらい重労働したかのような疲れにどっと襲われました。Sは私に清掃の職に就くよう迫ってきましたが、「あなたや障害者の多くはそういう雑事しかできないんでしょう」という嘲りが伝わってきました。

当時の家庭環境

では、家へ帰れば一息つけるのではないかと思われるかもしれませんが、家も私にとっては休める場所ではありませんでした。

私には上の兄弟がおり、うち一人が、やるせない感情のはけ口として、私へ執ように暴言と暴力を繰り返していました。私の何気ない行動を、自分に対する敵対ないし嫌がらせであり報復は当然、と解釈しており、「一生嫌がらせをしてやる、自分がこうなったのはお前のせいだ」とまで言われていました。そんな状況が数年も続き、家も職場も心が安らぐ場所ではありませんでした。

退職

その兄が家を出た直後、解放感から仕事への意欲もほぼ失い、親に仕事を辞めたいと懇願するも反対されました。嫌々ながら仕事を続けて益々調子が悪くなり、たまに通っていた精神科医からも中度のうつ病と診断されました。その頃から食欲が減り、誰もいない深夜の電車に乗車して座席の上で笑いながら走る、会社内で首を吊ろうするなど衝動的な行動に駆られることがありました。

そうしたこともあり、ついに親も折れて、仕事を辞めていいと言ってくれたので、最終的には退職できました。大抵の人は丁重に見送ってくれましたが、Sの見送りの態度と言葉は明らかにおなざりなものでした。しばらくゆっくりしてから、就労移行支援へ行くことにしました。

終わりに

私が仕事を辞めて思うことは、苦しければ意固地にならず、自身の障害を周囲へカミングアウトして、サポートを受けたほうがいいということです。周囲や家族を頼れるなら遠慮なく頼りましょう。「兄が家から出るまで待つ」という消極的な方法を選んだ私が言っても説得力がないですが、家庭内において居場所がない方は相談所や役所に相談してください。もし成人して仕事をしている方なら家を出て一人暮らしするのもいいかもしれません。自分を救うと同時に、一人暮らしの経験がどこかで役立つはずです。また、自分が今している仕事で人生が一生決まるわけでもないですから、いざというときは仕事を辞めるのも一つの手です。からだや心を壊してからでは元も子もありません。

トンボダモン

トンボダモン

年齢はまだ若い。新たな就職の場を求めて模索中。
好きなことは読書に映画、散歩、ゲーム。最近はポケモンにはまっている。
簿記2級を目指して地味に勉強中。

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