「現代の座敷牢」寝屋川監禁死事件を振り返る②~鬼母へ全方位からの攻撃

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◀過去の記事:「現代の座敷牢」寝屋川監禁死事件を振り返る①~求刑通りの決め手とは

「現代の座敷牢」とも呼ばれる寝屋川監禁死事件は、大阪地裁が求刑通りの懲役13年を下したことで一区切りついています。母親の柿元由加里被告と父親の柿元泰孝被告が散々行った身勝手な振る舞いには、求刑通りの判決が下されて然るべきでしょう。

被告と弁護側の主張が全て退けられた背景にはもう一つあります。被告は様々な言い訳をしていましたが、その一つ一つを崩していった検察らの鋭い追及です。検察だけでなく元級友や医師までもが被告の詭弁を崩し、鬼親の寄る辺は一つ一つ確実に消されていきました。

尤も、この裁判で争点となったのは「監禁か療養か」であり、遺体の状態を見ればとても「療養」と言い張れるものではありません。争点選びの時点で弁護側は詰んでいたともいえます。解剖医の診断にまで「信用できない!」 と噛み付いていたようですが。

検察の鋭い追及

検察が突いたことの一つは、死亡した日と自首した日が5日間離れていることでした。長女(享年33歳)の死亡を確認した両被告は警察や救急に連絡せず5日間も空けています。本来、「朝起きたら身内が死んでいた」という場合は変死体として真っ先に110番せねばなりません。

両被告が5日間も何をやっていたかというと、遺体の洗浄・水飲みチューブの取り換え・カーペットの洗浄・アロマの撒布です。由加里被告は「生前してやれなかったことをしてあげたかった」「通報されると連れていかれる。そばにいたかった」と供述しており、5日経ってようやく次女の勧めで自首します。

この供述は検察が追及するまでもなく崩れました。5日間の行動には「監視カメラの記録を長女の死後に関する部分だけ消去」という明らかな証拠隠滅行為が含まれていたのです。しかも警察が捜査する段階で復元されていました。

検察の追及は止まりません。由加里被告が次女に宛てた「あなたは親の喜びを、お姉ちゃんは親の痛みを教えてくれた」というメモを取り上げ、手のかかる子だった長女に愛情が持てず一緒に暮らすのも嫌だったのではないかと見抜きます。

ホームビデオから両被告が必死に長女の異常性を説いている時には、授業で手を挙げたり流行りのアニメソングを口ずさんだりする「ありふれた子ども」である所も見つけ、「被告は障害児に仕立て上げようとしているのではないか?」と痛い所を突きました。これには泰孝被告も激しく狼狽えたそうです。

自閉スペクトラムの真偽まで疑うのは些かやりすぎかも知れませんが、それを差し引いても検察の鋭い指摘や追及が次々と弁護側の主張を崩していったことに変わりはありません。

元級友や医師や親族も加わる

鋭い追及を行ったのは検察だけではありません。証人として出廷した元級友や医師もまた、弁護側の主張を崩す重要な証言を行いました。

長女が小学校高学年時代に一緒だった元級友は、「やり取りに違和感のない子だった。“普通の家庭”であれば大人しくていい子と言われていたと思う」と述懐します。また、「家へ遊びに行ったこともあったが、両被告からは歓迎されなかった。離れのプレハブで一人食事していると聞いて驚いた記憶がある」とも述べています。

元級友は長女と次女の露骨な待遇差も鮮明に覚えていました。「彼女は修学旅行や卒業式ですらいつも破れたような同じ服を着ていた。対して妹は可愛らしい服を着せられていた」と証言し、別の級友も「親がいつも妹ばかりかわいがる…と打ち明けられたことがある」と述べています。

極めつけは「いじめの有無」です。被告は「小6でいじめを受けてから不登校になった(そして統合失調症を発症した)」と供述していますが、元級友は二人ともいじめの存在をキッパリ否定していました。そもそも「やり取りに違和感はない」「時々遊びに行っていた」という証言がありますので、打ちのめされて不登校になるレベルの状態が長く続いていたとは考えにくいでしょう。

医師の提言を都合よく解釈

長女と3度だけ面会した、大阪市立総合医療センターの医師もまた重要な証言をしています。まず座敷牢について、両被告は「医師に勧められたまま行った療養である」と供述していますが、センター医師は「囲われたところを作るよう勧めはしたが、閉じ込めろという意味で言ったのではない」と反論しました。俗に座敷牢とも呼ぶ「私宅監置」は現在の法律で禁止されておりますので、閉じ込めるよう勧める医師はまず存在しません。

ある日両被告に「次の来院日までに入院させるかどうか決めておくように」と告げていたのですが、それ以後センター医師の在職中には姿を現しませんでした。これについて両被告は「医師にこのままでいいと言われたのであって、勝手に治療を中断したわけではない」と供述しています。この時すでにプレハブ小屋は完成していました。

医師と被告の食い違いは他にもあります。入院について泰孝被告は「身の回りのことが自分で出来なければ入院は難しいと言われたので諦めた」と述べていますが、医師は「病棟には活発な人が多く本人にとって辛いかもしれないと忠告した」だけだそうです。

監視カメラの映像についても両被告は診断のために見せていたとしていますが、医師は映像など一度も見せられた覚えがなくカルテにも記されていません。座敷牢の映像など見せた日には医師が怒鳴り散らしていたかも知れませんが。

ともかく、両被告は肝心なことを隠しながら医師の発言を都合よく解釈していた訳です。診断初期に親子仲が悪いとカルテへ記載しており、課題は明白だったはずですが、本人を隠し続ける被告の姿勢に医師も打つ手がなかったのではないでしょうか。

証言台から叱る母

由加里被告の母と姉も証言台に立ちました。母親は証言台から「あんたらは間違った。あの子の立場だったらどれほどのことだったか考えろ」と涙ながらに叱ります。姉は「福祉への相談を度々勧めたが、『自分でどうにかする』と聞き入れられなかった」と証言しました。

長女が亡くなる2年前、由加里被告は母親と絶縁状態になるほどの喧嘩をしていました。きっかけは母親が「孫の事、このままでは良くないのでは?」と切り出したことで、これに由加里被告が猛反発したのです。母親と姉は以前から座敷牢のことを知っていました。

その反面、口先だけの説教に留まっていたのも事実です。座敷牢という身内の犯罪行為について把握しておきながら、通報するなり長女を救い出すなり踏み込んだアクションは行っておりません。姉に至っては「監視カメラについては最初驚いたが、病気で隔離していると聞いたので部屋にも近づかなかった」と証言しています。

とはいえ長引いた座敷牢生活で長女の身体は痩せ細っており、両被告にとっても今更外には出せない状態ではありました。楽な方へ楽な方へと流され続けて袋小路に入り込んだ末路ともいえます。しかし、仮に被告が精神疾患の寛解を目指して奔走したところで必ず解決できたと言い切れるでしょうか。最悪の選択でなくとも、精神医療や福祉には頼りない部分や不確定要素が多いのです。

▶次の記事:「現代の座敷牢」寝屋川監禁死事件を振り返る③~地域・福祉・医療が本当に防げたのか 2020.10.22

参考サイト

監禁か療養か…現代版「座敷牢」巡る事件、12日に判決
https://www.sankei.com

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

統合失調症 その他の障害・病気 自閉症スペクトラム障害(ASD)

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