「第2回生きづらさダヨ!全員集合」レポート④磯部弥一良編~将来への不安と自己責任論の蔓延

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10月22日からYouTubeで配信されている「生きづらさダヨ!全員集合(生き全)」の第2弾をレポートしています。最後のスピーカーとなるのは、NGO法人「ピースボート」の職員として働く磯部弥一良(やいちろう)さんです。

磯部さんの本題は「漠然とした将来への不安」です。動画内では「自己責任論の蔓延」に焦点が当たっていますが、磯部さんの場合は家庭環境のこともあって家庭を持つこと自体に羨望と恐怖の両方を抱いてもいます。後者のほうはおざなりにされた感じですが。

激動の幼少期と不安な将来

磯部「自分の生い立ちを話した後に今考えていることをお伝えするつもりです。自分の出身地は滋賀県で、電車も通っていない田舎に住んでいました。幼少期は毎日借金取りがやってくる生活でした。父親が色々な所で借金を作っており、今思えばギャンブル依存症だったように思います。明かりも点けず暗い室内で夕食を摂っていた記憶があります。
結局借金を返せずに自己破産するのですが、ある日起きたら父親と車の中で二人きりになっていて、そこから車中生活が2,3年続きました。車中生活中は全国を転々とし、風呂にもろくに入れず、父親は日雇いの給料や親戚からの借金をギャンブルにつぎ込む状況でした。おかげで小学校の低学年は完全に不登校です。
これを重く見ていた母が自分を探し出して引き取ります。1980年代後半の当時はまだ女性の社会進出について言われていなかった時期ですが、それでも母は昼夜会社勤めをして女手一つで切り盛りしていました。時々父親がやってきて金を無心したり殴ってきたりはしたのですが、母は負けることなく進学までさせてくれました。お世辞にも経済的に豊かとは言えませんが、結局は多大な愛情を受けて育つことが出来たわけです」

磯部「そんな母も10~15年前に亡くなり、今は頼る者のない天涯孤独の身です。自分のやりたい仕事ができ生活費にも困らず、今現在が不安という訳ではありません。ただ将来について考えると、なんでも自己責任というか強い者しか得をしないシステムが見え隠れしている以上決して安心はできないです。漠然とした不安があります。
老後に困らないよう今できることを調べて実践はしているのですが、天涯孤独のままかと思うと中途覚醒するほど不安になります。自分の家族を持つことに憧れはしていますが、両親の事とか友人が離婚した話とかを聞くとパートナー作り自体が怖くなってしまいます」

自己責任論って、便利!

「磯部さんの年代(40代前半)には同じ悩みを抱える方がとても多いです。将来を考えると漠然とした不安に襲われるとか、誰かと一緒に生きていくのは素敵でもあり怖くもあるとか、いかがでしょう」
たかまつ「夜眠れなくなるほど切実によく分かります。自分は何不自由なく両親から愛情を貰って育ったので比較的不安は少ないですが、それでも将来への漠然とした不安はあります。私は子世代にツケを残したくない気持ちで活動していますが、このままだと日本の将来も不安だし多様性が認められるかも不安だし、色々な側面から思いますね」

お見合いが廃れて久しい昨今、結婚そのもののシステムに乗れない人も顕在化しており生涯未婚率も上昇しています。家庭を持つ理由よりも諦める理由のほうが容易に多数思いつく状況ですが、敢えて独身叩きに興じるような者もまた存在します。これは直後の「自己責任論」にも関わっており、自由恋愛主義とはかなり相性のいい論理となっています。

「今出た『自己責任』の4文字が、だいぶ前から都合良く使われていますよね」
たかまつ「社会の責任であるのに自己責任とされてしまうのは、とても怖いですね」
「自己責任を問うこと自体は悪くないのですが、問題はそれを言う環境です。社会保障の基盤が整っていて安心して暮らせる環境なら存分に自己責任としてもいいんですよ。ただ、不十分な社会保障の中で自己責任を持ち出すのは怖くて仕方がない」
たかまつ「何かニュースが起こるたびに加害者を叩く、もちろん行為自体は許せませんがその背景にも目を向けていかないと駄目ですよね」
「子どもの中には家で満足な食事ができず給食が頼りの子もいますが、その責任を親にしか求めない人がネットでは散見されています。『なぜ満足に食べられないか』を焦点とすべきにもかかわらず」

自己責任論とは、説教する快楽を簡単に得るための卑怯な論理に過ぎないと思います。知識も人生経験もない割に「説教したい」「物申したい」という欲求だけが先行して、自己責任や努力不足という言葉へ安易に逃げている人をこれまで何人も目撃しました。背景を探らず安易な自己責任論に逃げ目先の快楽だけを求める動きは、川崎通り魔や京アニ放火の報道後が記憶に新しいでしょう。

たかまつ「アメリカの資本主義を都合のいい所だけ取り込んだ弊害ですね。アメリカにはキリスト教の『寄付文化』があるのですが、寄付文化のない日本では『財を築いたものが勝ち組、あとは努力が足りない!』で終わっています。現実に、親の年収が高くないと子どもは進学できませんし就職先も制限されます。それを自己責任で片付けていていいのでしょうか」
「学歴にしても、採用で重視している所は沢山ありますからね。それが貧困のスパイラルとして続いており、漠然とした将来への不安も段々と膨らんでいくわけです」
磯部「預貯金含め計画を立てて取り組んではおりますが、それでも段々不安は増してきます」

アメリカは寄付文化というより、「施しを与えるのが富裕層としてのステータス」という風潮があるのだと思います。いずれにせよ日本が「武士は食わねど高楊枝!」「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ!」で止まっていることに変わりませんが。

「人間百年時代と言われていても素直に喜ぶ人は少ないのではないでしょうか」
たかまつ「安心して子どもを産めませんからね。パートナーと結ばれたとしても、子どもを2人も3人も産み育てる余裕はありません」
「パートナーを作るのも不安という若者だって多いですよね。ゆえに結婚も出産も伸びない。これは女性の自立は関係なく、自立しようとも家庭を持ちたい人はいます。ただ現実的には難しいという話です。これは簡単に数分で語り尽くせる話題ではないのですけれども」

やれることは投票だけ

「姪が重い躁うつ病で、一時は改善されたのですが、結婚相手がいないとか親亡き後とかの不安が大きくなって悪化しています。また、今の話を聞いていて想起したのが、最近物議を醸した『自助・共助・公助』発言です。政治のトップが使っていい言葉ではないと思いました。政治家ならば『公助・公助・公助』と言うべきで、自助や共助ができるように地盤を整えるのが仕事です。磯部さんの話を聞いて、これは政治の問題だなと強く感じました。選挙に行って投票することを強く訴えるべきです」

「実にその通りですね。今まで磯部さんが話したことはまさに社会の問題です。これを聞いて磯部さんはどう思いましたか。政治家は『公助・公助・公助』であるべきという話もありました」
磯部「そうですね、ずっと自分の問題と考えていました。前々からどうにかしようとして不安を募らせる一方でした。今のご意見と同じことをふと考えたこともありましたが……あのー、自分の中でももう一度考え直してみたいと思います」

この辺り、磯部さんの返答にキレがなく言葉を選んでいたように感じました。「自己責任というか強い人が得をするシステム」と言ったのは磯部さん自身ですが、社会に責任を求める事にも躊躇していたのではないかと思います。社会でやれることも無限ではないので、最後は個人と社会の歩み寄りになるのではないでしょうか。

「『自助・共助・公助』も勿論大切ですよ、場合によっては。ですが、政治家が言うべきは『公助』なんですね。公助が行き届いて安定しているからこそ私は『自助』でき我々は『共助』できると思うのです」
たかまつ「難しいですね、この問題は。ただ、これが盛り上がっていた時『野党も同じことを言っていた!』などと言葉狩りの応酬に終わり本質は分からないままでした。困窮する人にも1票があるはずなのにそこへ目線が向いていないと感じます。そうなると、選挙に行って投票して存在感を示さねばならないと感じますね」
「私たちが話している社会的な問題も、解決策と言えばシンプルに『選挙へ行く』『投票する』しかないんですね」
たかまつ「存在感を示さないといけませんね」
「毎回そこに着地するわけですが、そのぐらい大切という意味でもあります」
(※配信日は大阪都構想や米大統領選挙の直前でした。)

我々が合法的に社会へ訴える方法としては、真っ先に「選挙があれば投票に行く」ことが挙げられます。しかし、中にはそれすら難しい人も大勢いる訳です。特別支援学校卒の投票率が低い話は動画内でありましたが、大学生でも(住民票のある)地元が遠くて投票に行けない人がとても多いです。自分も大学時代に投票だけの目的で地元へ強行軍で戻ったことがあります。

住民票を移すにしても、障害者手帳や受給者証があると雪だるま式に手続きが複雑化していきます。投票制度にもう少し融通があればいいのですが、「服を買いに行く服がない」のと同じように「投票制度を変える投票に行けない」状態では非常に難しいです。また、そもそもの立候補者が少なく投票しようにも選択肢がない所も多いです。

第2回の「生き全」はこれにて終了

第2回の「生き全」は、告知タイムを残して全て終了となりました。ここで各スピーカーが語ったテーマについて簡単におさらいすると、全体的に「対話」の大切さが主軸となっていた印象です。

1人目のプリティ太田さんは「テレビ業界の及び腰な自主規制に喝!」でした。対話で突き詰めていけば「いじり」すらも演出に変わる可能性も説いていましたね。

2人目の佐藤ひらりさんは「不自由とは思わないが、不便なことは山ほどある」という日常の悩みでした。こちらも当事者不在で決めていく対話不足という点で繋がっています。

3人目の小林りょう子さんは、トランスジェンダーであるお子さんの話でした。セクシャルマイノリティの生きづらさとは十人十色で、程度さえも違ってきます。当事者自身と対話しない限り分からないことも多いのです。

4人目の磯部弥一良さんは「将来への漠然とした不安」でした。不完全なセーフティネットを棚に上げて語る自己責任論こそ卑怯な逃げの論理といえます。社会がおかしいと対話するならば選挙に行くしかないのですが、投票さえままならない事情は多いのではないでしょうか。

動画URL

Choose Life ProjectのYouTubeチャンネル

障害者ドットコムニュース編集部

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