「嗅覚のない世界」がもたらす大きすぎる悪影響

身体障害 暮らし
Photo by Laura Chouette on Unsplash

小学5年の頃、雑談の中で「五感のどれかを悪魔に差し出さねばならないとしたら、どれを犠牲にするか」という話題になったことがあります。その時は満場一致で「嗅覚を売る」となりました。「臭い思いをしなくて済む」から嗅覚を犠牲にすることに何の疑問も持たなかったことを覚えています。

ところが当時の私たちが考えていたことは大間違いでした。「臭い感覚を持ち込むお荷物」と思っていた嗅覚は、他の五感と同じくらい大切な感覚だったのです。後天的な嗅覚障害は味覚にも影響を及ぼし、鬱などの二次障害へ直結しかねません。

嗅覚障害とは何か

そもそも嗅覚とは、鼻の奥で剥き出しとなっている嗅神経の先っぽを粘膜で包んだ「嗅粘膜」が匂いを感じ取って脳へ送ることで成り立っています。鼻腔から脳までの通り道の何処に異常があるかによって嗅覚障害は3つのタイプに分類されます。

鼻腔から嗅粘膜までに異常(アレルギー性鼻炎など)がある「気道性嗅覚障害」、嗅神経に異常(感冒や薬害など)がある「嗅神経性嗅覚障害」、最終受け取り器官である脳に原因(脳挫傷や脳疾患など)がある「中枢性嗅覚障害」の3つです。

嗅覚障害の半分は気道性で、残りは嗅神経性が多め、中枢性は少ないとされています。気道性の治療は原因によっては手術も行いますが解決し次第ほぼ元通りとなります。嗅神経系の治療は内服やリハビリが主ですが、年単位で根気よく取り組まねばなりません。中枢性は原因が根深く、治療方法は確立されていません。

嗅覚障害でまず想定されるリスクとは、ガス漏れなど致命的な事態に発展しかねない異臭のサインを察知できないことでしょう。ですがもっと身近なリスクとして「味覚の喪失」が存在します。

味覚とは舌の表面にある「味蕾(みらい)」が感じ取って脳に送ることで成り立っています。嗅覚と同じく最終的には脳で統合して判断し「風味」という情報となります。この「風味」こそが普段感じている味の正体であり、嗅覚と味覚のどちらが欠けていても成立しません。

嗅覚なき世界の二次障害

コロナ禍で注目を増した「嗅覚障害」ですが、感染の後遺症として嗅覚を失ったままになるケースもあります。それこそ一生嗅覚を失う症例もあり、鬱などの二次障害リスクも高まっています。

味とは味蕾と嗅神経の情報を組み合わせた「風味」です。嗅覚がなければ「酸味(水素イオン)」「塩味(アルカリ金属イオン)」「甘味(スクロース)」「苦味(デナトニウム)」「旨味(グルタミン酸)」を大雑把に味蕾で受け取るしかないのですが、舌の部位によって感じやすい味も異なっており、結果的に「味気ない」へ収斂(しゅうれん)します。ちなみに、舌表面の実に3分の1が苦味を感じる部位だそうです。

嗅覚が遮断されると味覚も鈍りますが、これは暮らしにおいて重篤な影響をもたらします。味を感じないことで毎日の食事が楽しくなくなり、精神衛生にとって芳(かんば)しくない状況となるのです。具体的には、抑うつ状態や栄養失調などの二次障害です。

食事で味を感じられなくなると、一緒に食べる人と共有できず孤独感や疎外感が加速します。また、食事から楽しみが抜け「作業」になると、空腹という「スパイス」も単なる「始業の合図」にしかならず、食べる量が減る「手抜き」が発生します。

これが続くと心身ともに痩せ細り不健康となっていくわけですが、さらに悪いことに新型コロナ由来の嗅覚障害は未知の領域が多く、最悪の場合一生嗅覚が戻らないとさえ言われています。

悪臭は幻覚として残る

冒頭に「嗅覚が無ければ悪臭から解放されるのでは」と書きましたが、実はこれも大きな間違いです。嗅覚障害であっても臭いの幻覚は存在し、そのほとんどが不快な悪臭といわれているのです。実際には「ありもしない悪臭に悩まされる」という悲惨な状況です。

新型コロナの後遺症で嗅覚障害となっている人の中には、「洗剤から腐臭を感じ取ってしまい、皿洗いが出来ない」と悪臭の幻覚に悩まされているケースがあります。嗅神経の働きはあるものの、洗剤のことが分からず記憶の中にあるより強い臭いに置き換わっているのでしょうか。

悪臭の幻覚は味覚にとっても悪影響を与えます。回復途上のある人は「何を食べてもガソリンのような味と臭いがする」と述べており、闘病中にも関わらず一日三度の「食物を咀嚼し嚥下する“軽作業”」を行っている状況です。しかも「きつい」「(悪臭の幻覚で)汚い」と2Kまで揃った作業を生命維持のために続けねばなりません。

一番の障害は「見た目で分からないこと」

嗅覚障害は食事の楽しみを削ぎ、精神にも身体にも二次障害をもたらします。ところが、生命の危機に直結するイメージが希薄なため、医師ですら軽視してしまう傾向にあるようです。

何よりも一番の障害となるのは「見た目で分からないこと」ではないでしょうか。内部障害や発達障害などと同じく一目見ただけでは嗅覚に障害があることなど分かりません。見た目で分からない障害に対し市井(しせい)の凡(おおよ)そはしばしば無知で軽薄な反応を示すものです。

そもそも嗅覚障害を理由に身体障害者手帳が発行されることはありません。労災や交通事故の後遺症で申請する「障害等級」では通ることもありますが、それでも一番低い14級になると思います。

参考サイト

語られない「コロナ嗅覚異常」本当の恐ろしさ|The New York Times|東洋経済オンライン
https://toyokeizai.net

嗅覚(におい)の障害の原因と治療|鼻とアレルギーとにおいのコラム|京都駅前耳鼻咽喉科アレルギー科クリニック
https://www.kyotonose.jp

味覚と嗅覚の障害の概要 19・耳、鼻、のどの病気|MSDマニュアル家庭版
https://www.msdmanuals.com

うま味の生理学|日本うま味調味料協会
https://www.umamikyo.gr.jp

鼻の後遺障害等級は一つ!でもその基準は複雑だ|交通事故SC
https://secure01.red.shared-server.net

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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