やまゆり園と聖火リレー~相模原障害者施設殺傷事件を忘れない

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出典:Photo by Sam Balye on Unsplash

みなさんは「相模原障害者施設殺傷事件」を覚えているでしょうか。

この事件は別名「やまゆり園事件」ともいわれ、19人が殺害され、26人が重軽傷を負った、戦後最大の死者を出した殺人事件です。

今回はそんな相模原障害者施設殺傷事件を、2020年7月に公開された植松聖死刑囚の手記などをもとに振り返ろうと思います。

相模原障害者施設殺傷事件とは

「相模原障害者施設殺傷事件(以降、相模原殺傷事件)」とは、神奈川県相模原市にある知的障害者介護施設「津久井やまゆり園(以降、やまゆり園)」にて発生した大量殺人事件です。事件があった施設名から、別名「やまゆり園事件」とも呼ばれています。

この事件では入所者19名が刺殺され、入所者・職員計26名が重軽傷を負いました。19名という殺害人数は当時、戦後最大の犠牲者数で、戦後最悪の殺人事件といわれました。

犯人はやまゆり園の元職員である植松聖で、2020年4月には死刑宣告を言い渡されています。

事件発生の流れ

事件は2016年7月26日午前2時ごろ、やまゆり園の東居住棟1階「はなホーム」の110号室にて発生しました。

植松死刑囚(当時26才)は窓を割って内部に侵入し、通りがかった職員をナイフで脅して結束バンドで拘束しました。その後職員を連れ入所者の前で「こいつは"しゃべれるのか"?」と、ひとりひとりに質問していき、職員が「しゃべれない」と返した入所者の胸や首にナイフを突き立てていきました。犯行中「こいつら、生きていてもしょうがない」とつぶやくこともあったそうです。

その後、植松死刑囚は8棟ある居住棟の内6棟の入所者を同様に殺傷し、逃走。2時40分ごろ、職員から警察に通報があり、現場に駆け付けた医師が19人の死亡を確認し、26人の重軽傷者が搬送されました。

同日午前3時すぎに、加害者である植松死刑囚は現場付近の警察署へ「私がやりました」といって出頭し、午前4時30分に緊急逮捕されました。取り調べのさいに植松死刑囚は容疑を認めており「障害者なんていなくなってしまえ」とも供述しています。

植松死刑囚の思想

では、植松死刑囚はどのような考えでこの事件にいたったのでしょうか。

先ほどものべた通り、植松死刑囚はやまゆり園の元職員であり、この時から障害者、特に意思疎通のできない重度障害者に"存在価値がない"と考えていたようです。植松死刑囚は意思疎通のとれない重度障害者のことを「心失者」と呼んでおり、しゃべれない人のみを殺傷したのも「意思疎通のできない障害者は安楽死させるべき」という自身の主張を世間に知らしめるためと供述しています。

植松死刑囚はこのことを「全く後悔していない」とのべており、事件直後に自身のTwitterに「世界が平和になりますように。beautiful Japan!!!!!!」と投稿しています。この思想は以前から持っており、職員だった当時にはこの案を手紙にして衆院議長の公邸に直接届けていたそうです。

植松死刑囚の考えと優生思想

植松死刑囚の考えと似た思想に「優生思想」というものがあります。この考えは「命に優劣をつける」という思想のことで20世紀初頭の欧米諸国を中心に盛んになりました。

この思想は20世紀のドイツで実際に「断種法」として形にされています。これは「障害を抱えた人物から、能力的に劣る人物が産まれないため、強制的に不妊手術を行う」という法律で、40万人以上が手術を強制されました。

日本では現在、この思想は法律などで形にはなっていないものの、この事件についてネット上で植松死刑囚に同意する声が上がるなど、見えない形で社会に根付いているといえるでしょう。

正直、この思想が正しいかどうか、私には分かりません。しかしながら、この植松死刑囚の行動が正しくないことだけははっきりと主張できます。

日本では個人によって数々の宗教が信仰されており、無宗教という人も多く存在します。そんな日本社会において「思想」が違うこと自体は問題ないでしょう。事実、人によってさまざまな思想や主張があるからこそ、数々の議論や討論が繰り返されています。

しかし、植松死刑囚の起こした行動は社会の"規則"そのものに反しています。思想を主張するのに「暴力」という違法行為をともなってしまったのです。

植松死刑囚は自分自身が「周りと意思疎通ができず、迷惑をかける存在でも生きていたいのか」とのべていますが、これはあくまで個人のエゴです。そのことについて、ましてや、命に関わることについて、決めるのは周りの人ではなく当事者であるべきだと私は思います。

やまゆり園と聖火リレー

私が4年前のこの事件を取り上げたのは、先日「やまゆり園でパラリンピックの採火式をおこなう」という記事を見たからです。そこには神奈川県が「ともに生きる社会かながわの火」として共生社会の思いをつなげると書いてありました。

しかしながら、相模原殺傷事件の遺族の方々はこれに対して抗議をおこない、中止を要請しています。とある遺族の方は「あそこで採火することを誰も望んでいない。利用者たちを泣かせてまでやることが本当に共生社会なのか」と憤りをあらわにしているとのことです。

この至極もっともな意見に神奈川県も「中止も視野に入れて、再度検討する」とコメントしています。

私は遺族の方でも関係者でもありませんから、批判などは出来る立場ではないですが、私が神奈川県の職員の立場であれば、この意見は却下していたと思います。誰のためにもならないので、当然です。

おわりに~優生思想と相模原殺傷事件は他人事ではない

私は採火式の件自体ではなく、優生思想から起こったこの事件の重さを分からず、遺族を省みずに採択されたという"背景"が問題だと思うのです。

優生思想、ひいては相模原殺傷事件は"他人事ではありません"。優生思想は特にネット上などで賛同する声も多く、見えない形で日本社会に根付いている思想です。そのため、根付いた優生思想が今回のような事件に発展しないよう、我々ひとりひとりが意識しておく必要があると思います。

しかし、今回の採火式の件が採択されたというのは、その意識が薄れてしまっているということに他なりません。ですから、事件を風化させず国民全員が意識を持って生きていき、今後二度とこのような事件が起きないことを願います。

参考文献

【ウィキペディア|相模原障碍者施設殺傷事件】
https://ja.wikipedia.org/wiki

【文春オンライン|「こいつら、生きていてもしょうがない」 4年の取材と37回の接見で見えてきた“植松聖死刑囚”の実像とは】
https://bunshun.jp/

【文春オンライン|「ずいぶんイカれてますね」植松死刑囚が獄中で残した奇怪な手記・イラストの数々】
https://bunshun.jp/

【日刊スポーツ|聖火リレー巡り、やまゆり園被害家族「あそこで採火すること誰も望まない」】
https://www.nikkansports.com/

中学生時代にパニック障害を発症。一度は回復したものの、社会人になって再度発症し、その際にかかった精神科にて、検査を勧められ、発達障害と診断されました。以降悪戦苦闘しながらも、社会に適応しようと奮闘中です。

趣味はゲーム全般で、最近はカードゲームに力を入れています。

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