統合失調症と共に生きることについて~私の体験談から

統合失調症 仕事

出典:Photo by Fritz Bielmeier on Unsplash

私は統合失調症を患っており現在、治療中です。今は寛解状態で安定していますが、この病気は再発する確率も高く、私自身はまだ服薬は欠かせない状態です。統合失調症は治るのか分かりません。今は充実していますが、それ以前は大変なときもありました。今の充実した心にいたるまでの経緯をコラムにしました。同じ病気を患う仲間が、自分らしく人生を歩んでいけるヒントがみつかればいいなと思います。

私が統合失調症を発症したきっかけについて

統合失調症と共に生きるとは、とてもしんどいです。症状がでたときはすべてのことが嫌になります。特に妄想が出てそれにあらがうと「希死念慮」が出て消えたくなります。

私が統合失調症になった引き金は、30歳のとき突然の立ち退きで家の引っ越し、環境が変わったことです。

小さいころから、少し神経質なところがあり環境の変化に弱かったのですが、それほど気にはしていませんでした。

今回の場合、引っ越してすぐに気持ちがソワソワと落ち着かなくなり、だんだんと頭の中が妄想でいっぱいになりました、ついに知らない人の声が聞こえ始め、息苦しくなったのです。何とかしようともがくのですが、もがけばもがくほど、どんどん息苦しくなり、このまま死んでしまうのではないかと発狂しそうになりました。

症状は長いときには数時間続きました。こんな状態が半年ほど続き、ついに限界が来てしまったのです。このとき私は、なぜだかわかりませんが「何かの精神病だろうな」と感じていました。

それからすぐに精神科を探して電話をし、診察してもらいました。その時の診断名は「心因反応」でした。心因反応とは心理的に大きな負担がかかることで起きる、心の反応のことです。私の場合は急激な環境の変化によって引き起こされたらしいです。当時は統合失調症という病気名も知らず、そうなのかなと思っていました。

ただ診断名をつけられたことによって安心した自分がいました。「病気なら治るのではないか?」と淡い期待を持っていました。服薬と時間の経過で病状は少しましになりましたが、妄想だけは変わらずひどかったです。毎日、常に監視されていると思い、どこに行ってもビクビク落ち着かず周りの人たちが、私を狙っていると思い込んでいました。

そしてこの時期に顔の左半分が引きつる症状が出始め、外出するのも嫌になり、いっそう私を追い詰めていきました。話は変わりますが、10代のころボクシングをしており、私にとって青春です。病院に通ってから唯一の楽しみはビデオでボクシングの試合を見ることでした。この時だけは、すべてを忘れて夢中になれました。あの何物にも代えがたい高揚感は、この苦しみを少しだけでも忘れさせてくれるのです。ですが、現実は厳しいものです。見終わったあとは時間の経過とともに高揚感はしぼんでいき、また妄想がでてきてしまいます。

 

明日に向かって走れ

症状が出てから半年たって「このままではいけない、何かしないと私は駄目になってしまう」と考えて、思い切って市の障害福祉課を訪ねました。そこで担当の方から「一度、市の主催のグループワークに参加してみてはいかがでしょうか?」と提案されました。当時の私はうまくコミュニケーションが取れるか不安だったので、あまり気が乗らなかったのですが、一度だけならということで参加してみました。

参加されている皆さんは精神障害者でした。その時のグループワークの内容は自己紹介をして、しりとりゲームをするというプログラムでした。私が感じていた不安が的中しました。それは、参加されている方々が静かで、全く他の人ともコミュニケーションが取れないのです。私が話をしてもこちらを見ない、答えないなど、何を考えているかわからず正直戸惑いました。しかし、こういったプログラムが必要で、合っている人もいます。残念ながら私には合いませんでしたが。

その後「心因反応」から「統合失調症」と診断名が変わり、再び市の障害福祉課を訪ねました。そこで私は生活を安定させたいのと、同じ病気を持っている方々と話をしたいという気持ちを担当の方に伝えました。

次に紹介してもらったところは、NPO法人が運営している「就労継続支援B型」でした。そこでは、障害者がお弁当を作りながら、生活を整えて安定させることを目的としていました。作業はお弁当作りがメインですが、その日の体調に合わせてゲームをしたり、絵を描いたりして過ごすこともできました。同じ病気を持った方々と話をし、自分たちが作ったお弁当を食べるなど、楽しかったです。スタッフの方々もとても親切でよく笑わせてくれました。不安定な時期もありましたが、ここに来ているときは安心できました。

しかし、通所してから半年ほど過ぎて何か「物足りない」と「私にももっと出来ることがあるのではないか」と感じ始めていました。ある日面談の時に、スタッフにそのことを伝えると、このようにいわれました。「あなたは社会に出て下さい。もったいないですよ」と。

それを聞いた私は、体中に電気が走る思いでした。「こんな私でも社会に出てもいいんだ。働いてもいいんだ。働きたい、働いて夢を叶えたい」と思い、私はすぐにスタッフに相談して、同じNPO法人が運営している就労移行支援作業所に通所することにしました。まだ精神的に不安定になる時もありましたが、ここでは毎日タオル折り、チラシ折込、メール便の配達、清掃作業等の実務を経験し、働ける体作りやビジネスマナーなどを学びました。このころには顔の左半分の引きつりや、妄想などの症状も落ち着いてきたのです。

私はこの作業所で清掃の仕事が向いているのがわかり、近くの福祉施設で清掃の実習に行くことになりました。責任者の方やパートのおばさんやおじさんに清掃の仕事だけでなく、仕事に向かう姿勢や日常生活の送り方、ストレスの処理方法など、本当に色々な事を教えていただきました。それから私は就職活動をして、ご縁があって一般企業に就職することができたのです。この作業所や実習先での日々が私の生き方の土台になっています。

ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード

就職してから仕事も楽しく充実した毎日を過ごしていたある日、ふとある思いが浮かんだのです。「私の病気は治ったのかな?どうなんだろう?」と。

通院したときに長年にわたりお世話になっている主治医に、質問してみました。「先生、私の病気は治ったのでしょうか?」と聞きました。先生はこう答えてくれました。「今のあなたは私と一緒です。私もあなたのように人見知りだし、人づきあいも苦手だからね。今のあなたは寛解状態ですよ」と。私は完治ではないけど、落ち着いていることを知りました。

終わりに

発症してから約20年、思えばさまざまなことがあり、そのつど周りの人達に助けられながら、この病気と共に生きてきました。

完治するかはわかりませんが、今の私は生きぬくことに責任を持っていこうと思っています。前職の清掃の仕事は人間関係が原因で退職しましたが、現在は2回目になるオープンでの長期就労を目指して新しい就労移行支援事業所に通所しながら、まだまだこれからの気持ちで日々を送っています。

マーベラス

マーベラス

ボクシングと靴とレコードをこよなく愛し、純喫茶で脱力するアラフィフ男です。

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