高次脳機能障害について~私をとりまく環境

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出典:Photo by Andrey Grinkevich on Unsplash

突然の脳出血による頭痛から、ドクターヘリで病院に運ばれました。その後、検査で「脳動静脈奇形」という血管の奇形があることが判明、手術を受けました。しかし、後遺症として高次脳機能障害を発症してしまったのです

高次脳機能障害との出会い

脳動静脈奇形の手術直後は、左の手足がまったく動かず、よく左足がベットから落ちてしまい、看護師さんに上げてもらっていました。また、飲み込む力が低下していて、しばらくは点滴で栄養を取っていました。訓練でゼリーを食べさせてもらえたとき、口から食べられることがこんなにも幸せで、美味しいのだとを知ったのです。その後、嚥下機能がよくなり、おかゆなどの食事を取れるようになりました。

リハビリ病院に転院して、本格的な嚥下障害や言語障害のリハビリが始まっていくと、自分が小学生レベルの簡単な足し算さえ、できなくなっていたことに気づかされました。また、1度に沢山のことを話されると、処理できず混乱するようにもなっていました。言語聴覚士によるリハビリでは、周囲の声が気になり集中しづらくもなっていることにも、きづかされたのです。

また、高次脳機能障害の影響なのか、ふとしたときに涙がポロポロ出るようにもなりました。感情をつかさどる機能の障害が原因だったのだと思います。リハビリ病院では、同じように泣いている患者さんもいたのを覚えています。

退院後、なぜかイライラが抑えられず、旦那さんと喧嘩になったりしてしまいました。そのため、イライラを抑える漢方薬を飲んでいました。

高次脳機能障害の私の取り巻く環境

私の母は障害者の支援員、妹は急性期病院の脳外科の看護師をしています。当然、母は障害者の支援機関のことに詳しく、それらに繋いでくれて、さまざまなことを教えてくれました。妹は脳疾患患者と接するプロだったので、左上下肢の麻痺を理解してくれていて、親に「左を注意が向きにくいから、お姉ちゃんに話す時は、左に注意が向くようにわざと左から声かけて」などと助言してくれました。また、車の助手席で、前方しか見ていない私に、左の景色をみる習慣をつけるように助言をくれたのです。

退院後の生活

リハビリ病院から退院後、本来の自分を取り戻したいと思い、アルバイトと並行して、B型作業所に通っていました。そうやって環境を変えていく中で、穏やかな心と今を楽しめる自分に戻っていきました。「障害があるから人に迷惑を掛けないように」と躊躇していた私でしたが、アルバイト先で出会った方に、私の近所の児童クラブでのアルバイトを紹介してくれました。

リハビリの先生からは「高次脳機能障害は、ものすごく緩やかによくなっていくから、手や足のように目で見て良くなったのかわかりづらいけど、日常生活での中で少しづつ良くなる」と言われたました。その言葉を信じて、日々人との関わり合いを持ち、楽しみながら昔のように生活できるように目指しています。

これからの私

以前は地方で接客業をしていて、さまざまな方との出会いがありました。その出会いで、人として成長でき、さらに人と関わることの楽しさを教えてもらいました。今後、自分の身体に合った勤務形態で、再び人と関われる仕事に戻れたら、以前の生き生きとした自分に戻れるかなと思っています。

入院中、長年お世話になった上司がお見舞いにきて「お前なら大丈夫、障害を乗り越えらるよ」といってもらえました。その言葉で自分を励まし、先の見えない不安なリハビリを越えていけました。これからも色んな方にいただいた言葉や手紙を支えに前進しつづけようと思います。

参考文献

【一般社団法人日本言語聴覚士協会 言語聴覚士とは】
https://www.japanslht.or.jp/

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趣味はお洒落することと景色の良い所に旅行することです。

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