HSPと、ともに。

オリンピックと夏の想い出〜HSPと、ともに。<vol.51>

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HSPと、ともに。vol.51 <毎月1日連載>

波乱続きの東京オリンピックでしたが、日本のメダルの数すごいですし、やっぱり良いですね。
この時期になると、想い出す事があります。小学生の頃、仲良くしていた家の近所の女子グループに仲間外れにされて、無視されるいじめに遭いました。大したことはないのですが、すぐに一人の優しい女の子が助けてくれました。その子は、みんなより少し離れた所に住んでいて、スポーツは何でも人よりずば抜けていて得意で、習い事にストイックで、余計な事は話さない、特別な女の子でした。私が落ち込んでいると、「ほっとき!気にせんとき。(その女子たちの方を)見たらダメ!」と言ってくれました。そして、一緒にいてくれるようになりました。

学校から家まで帰ったり、お互いの妹、弟も同級生だったので一緒に遊ぶようになりました。休みの日も遊んだり、クラブ活動でも足の遅い私とペアになって走ってくれたり、本当によく助けてくれた記憶があります。修学旅行の荷物もすごくコンパクトにまとめていて、先生にもみんなの前で褒められていました。体育の授業では、その子が跳び箱やマット、走り高跳びなど先生の代わりに、お手本を見せてくれました。自分とも、他の女子とも全く違う特別な存在だと思っていました。田んぼで遊んでいる時に、足がはまった事があって、こんな一面があるのかぁと親近感が湧いたこともありました。一緒にいる事が、すごく嬉しかったのです。

ある日曜日の夕方、それぞれが一人で出掛けていた帰り道、ばったりバス停で出会いました。嬉しくて、バスに乗り隣同士に座り話をしていたら、その子が、「引っ越す事になった」と言いました。私はショックで引き止めましたが、「東京に転校する事になった」と聞いて、お父さんの転勤なのかなと、勝手に思っていました。好きな人と離れてしまう事がトラウマ的なショックで、その時履いていた赤いコンバースのスニーカーを今でも思い出してしまいます。学校でも、その子が転校してしまうことが先生から発表されました。仲の良いクラスだったので友達はたくさんいたし、その後も仲良くしてくれる友達がいて嬉しかったけど、別れのショックを初めて経験しました。東京へ引っ越してからは、お互いに手紙のやりとりをして、大きくなったら東京へ行く事を夢見ていました。東京の地図を見たり、どんな素敵な所なのかなと想像してみたりしました。

中学生になると、その子がテレビに映るようになりました。ジュニア選手権の演技が中継されていて、私の母がとても嬉しそうに教えてくれました。高校一年生の夏、私の大好きなファッション雑誌に、その子が大きく載っていてとても驚きました。オリンピックの選手に選ばれたと、連日テレビでも特集され、期待されました。とても嬉しかったです。自慢でした。いつも、体育の授業でお手本をみんなに見せてくれたなぁ。小学校の頃東京に引っ越したのは、オリンピックの選手になるためやったんやな。理由とか、何も言わなかったけど、運動音痴の私に気を使ったのかな。自慢げなところも、見下すところも全くなかったなぁ。こんな素晴らしい人、なかなかいないよ…。

家族みんなで喜んで、父が、「手紙書いてあげたら?おめでとうって。」と言いましたが、私はもう世界が違いすぎて書きませんでした。東京へ、いつか会いに行くという夢も、諦めました。ですが、心の中で応援しています。今、インターネットでは当時の映像や、現在もコーチとして活躍されているのを知る事ができるのでありがたいです。この東京オリンピックでも、会場でコーチとして選手を見守っておられる様子を見る事ができて、夫と一緒に喜んでいました。それだけで満足です。今でも、話し声や顔や凛とした姿をはっきりと覚えています。

オリンピックってやっぱり特別だけど、私にとっては、夢を叶えた友達のストイックさや優しさを、子供の頃に間近で見ることができた事が大切な宝物です。コロナ禍での特別な今年の東京オリンピック。まだまだ選手の応援楽しみですね。

川田 直美  障害者ドットコム株式会社スタッフ

川田 直美  障害者ドットコム株式会社スタッフ

HSP、LD(学習障害)、アスペルガー、ADHDがあり、発達障害をコンプリート。パニック障害もあり、生きづらさも感じながらも、日々楽しくいこうと考えている。今まで、花屋、ケーキ屋、カフェ、デザイン企画、オリジナル雑貨制作などいろいろな仕事を経験。自然と犬と本が大好き。カジヒデキみたいな50代を目指している。

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