発達障がい〜神からの贈り物〜

本当に人生を変えたいと思ったときにすべきこと(『発達障がい~神からの贈り物~』第61回)

発達障害

Photo by Markus Winkler on Unsplash

『発達障がい ~神からの贈り物~』 第61回 <毎月10日連載>

皆さんこんにちは、2021年の最後のコラム、と共に寄稿しだしてから6年目の第1号、今後ともよろしくお願いします。

思い返せば、このコラムの最初に我が人生をジェットコースターに例えたことを覚えています。現在も良い意味でその表現のような生活は続いていますが、過去は周りから認められたい思いばかりが先走りし常に混乱の中を彷徨いどんどん孤立が深まっていくような人生でした。

それが一転したのは己を受容できるようになってから。いや、何も受容できない自分に嫌気が差して何もかもを諦められたから、という表現の方が正解かもしれない。

この数年は発達障害を中心に生き辛さを抱える人たちや社会孤立している人たちの困りごとを多く聞いてきたが、過去の私の如く『認められたい』(分かって欲しい、構ってほしい、助けてほしい、など同義と考えてください)気持ちを拭いきれない人がほとんどだと思います。

一部は自助会やセミナーなどで『受容,』(受け入れ、諦め、などと同義)の大切さは理解しながらも、それ自体ができずに沼にはまっている人たちも多く見てきました。

以上の『認められたい』(分かって欲しい、構ってほしい、助けてほしい、など同義)と『受容,』(受け入れ、諦め、などと同義)を同時に手に入れられる方法が実は存在すると思います。今回はそれを紹介しようと思います。

それは『弛まぬ努力』ではないでしょうか?

私の目には上記の生き辛さを抱える者、社会孤立する者のほとんどが地道な努力を苦手にしているように思います。または、己はできていると思いこんで入るものの周りからは逆の評価を受けていたりする場合もあるようです。

では何故『弛まぬ努力』が『認められたい』や『受容,』に繋がるのでしょう?

仕事をする上で必要なスキルや資格は努力なしに手に入れることはできません。つまり、努力することでスキルや資格が手に入る、つまり社会的に評価される=認められる、という式が成り立ちませんか?もっと評価されたいならもっと努力すれば良い。ごく単純なこと。

仮に、あなたの周りで一切努力をせずに人に認めてもらおうとする人がいたらどう思います。「ふざけている」「社会を舐めている」、そんな風に思いませんか?逆にあなたが社会から認められていないのであれば、あなた自身が同様に評価されていると考えたほうが道理だと感じませんか?

更に努力は結果が伴わなくても人間性を肯定されやすい。特に日本文化では能力は高いが手を抜く人よりも能力は低くとも手を抜かない人を評価する傾向が強い。結果云々に関わらず努力は評価される。

しかし努力には限界がある。どんなに努力しても誰もがイチローや北島康介のようになれるわけではない。誰もが彼らのようになれれば彼らは最早特別な存在でなくなる。が、しかし、己を信じて弛まぬ努力を続けた者が自身の限界を感じたとき、その時こそ本当に諦められるときではないでしょうか?その諦めは他人を称賛はすれど妬むことはない。やりきった者にしか理解できない悟りのような『受容』がそこには存在します。

つまり、弛まぬ努力を続けた場合、目標の結果が伴えば社会から認められ、限界まで到達して諦めれば自己を受け入れられる。どちらにしても損はしない。

日本野球界で3度の三冠王に輝いた落合博満氏は「努力は必ず裏切らない、ただしそれが野球で返ってくるとは限らない。」と様々なメディアで口にされているが、その真意は今皆さんにお伝えしたことと同義ではないでしょうか?

2021年も残りわずか。来年の目標に何かをやり遂げることを掲げるもよし、年内にやり切るパンチアウトにフォーカスするもよし、腹を括って何かをやり切る覚悟で努力してみませんか?




公式ブログ https://ameblo.jp/suzie-net

Kei(ケイ)スズキ

Kei(ケイ)スズキ

★個人学習塾えるすた講師
★いずみハッタツ友の会代表、高知大学農学部卒
★過去職歴:放送ディレクター、スタジオ・ミュージシャン、カメラマン、道化師、学習塾経営、Webプログラマーなど
★10年の鬱の後に発達障害の診断を受ける。現在はピアカウンセリングサポートにも積極的に関わる。自称『人生を楽しむパイオニア』
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