「だめなお母さんでごめんなさい」福祉支援へのアクセス権がない人間の末路

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Photo by Álvaro Serrano on Unsplash

2020年7月、京都市左京区で重度知的障害を持つ長男(17)を絞殺したとして母親(54)が逮捕・起訴されました。母親と長男と祖母の3人暮らしで、祖母には認知症があり、母親は自身も精神疾患を抱える中でワンオペでの育児と介護を長期間続けていた実態も明らかとなっています。

日本の福祉サービスは貧弱だとよく言われますが、支援そのものは充実しています。問題はそこへ行き着くための導線に乏しいことで、少し歯車が合わなければ適切な支援が行き渡らないことが当たり前のように起きています。特にこの家庭は問題があまりにも多すぎて、具体的な支援を受けても一種類では焼け石に水だったことでしょう。現に生活保護は受けていたようですが根本的な解決にはなっていません。

愛ゆえにわが子を手にかける決断をとらせた直接のきっかけは、卒業後の受け入れ施設が見つからなかったことです。受け身では福祉支援をえられるはずもなく、能動的に動いても結果がついてくるとは限りません。貧弱な導線は「詰ませる」ことだけに限って一流です。

最愛の一人息子

母親のM被告は、2003年6月に長男のSくんを出産しました。Sくんは健常児として生まれますが、2歳半のころにウイルス性脳炎と誤診による治療の遅れから脳の7割を損傷し、重度の知的障害が残ってしまいます。M被告の夫婦関係は元々芳しくなく、Sくんに障害が遺った同年に離婚して生活保護も受給しています。元の記事では断定されていませんが、離婚した時期から色々と察してしまいます。

Sくんと言葉でやり取りするのは困難を極め、発達年齢は2~3歳で止まっているとされました。それでもM被告は、息子が自分の名前を書けるよう名前をひらがなに改名してもらうなど、最愛の一人息子が少しでも生きやすくなるようもがいていました。

M被告自身も強迫性障害やうつ病を抱える中、Sくんが障害を負ってから15年間向き合い続けてきました。しかしM被告の症状が悪化するに留まらず、M被告の親も認知症が始まってしまい、負担は雪だるま式に膨れ上がっていきます。Sくんも成長して逞しくなり、パニックで暴れた影響は甚大になりました。

事件の約1年前にはM被告の症状が深刻化しており、食欲不振・不眠・過労・意欲低下と身体を起こすことさえままならない精神状態となっていました。それでも息子が支援学校を出てからの将来を案じてか、抑うつで動かない身体に鞭を入れるM被告でしたが、それだけで評価してもらえるような社会でない以上、彼女にはさらなる現実の洗礼が待ち受けます。

卒業後の受け入れ先がない

そもそもM被告が無理心中しようとした動機は、Sくんの進路や自身の体調への悲観でした。Sくんの卒業後を見据えて受け入れ施設を探しても「受け入れは困難」と直接言われたり送迎サービスが無かったりと、厳しい現実に「お祈り」されるばかりです。

事件の直前には、M被告は何らかの支援にありつくため連日外出していました。2日前にはかかりつけ医に希死念慮を伝え、前日には支援学校の担任に入所施設の相談を持ち掛け、当日も施設を見学していました。決して受け身で支援を待っていたわけではなく、必死に足掻いてSOSを出し続けていたのですが、現実と社会が応えることはありませんでした。

支援学校の担任に至っては「学校としては斡旋できないので福祉事務所に行ってみてはどうか」とだけ返され、M被告は「あの時はもう少し具体的なアドバイスが欲しかった」と振り返っています。とはいえ、重度の障害者を担当する施設そのものが不足気味とも言われているので、レスパイト(介護者を休ませるため一時的に入所・入院すること)すらままならないのかもしれません。

息子の進路を閉ざされたM被告は「将来のことを考えてやっていく自信がない。だめなお母さんでごめんなさい」と遺書をしたためて無理心中を決行します。Sくんを睡眠薬で眠らせるとベルトで絞殺し、汚れた口周りを拭いて頬に口づけをした後、自分も死のうとします…が、翌朝まで死にきれないままマンションの屋上にいたところを通報され逮捕にいたりました。

多くの場所へ助けを求めていた一方で、知人や兄からは「相談を受けることはなかった」「声をかけても『大丈夫だから』と返されるだけ」と言われていました。愚痴を言うだけの関係性を避けていたのか、専門性のない他人を信じていなかったのか、その真意はわかりません。

いつでも湧いてくる生命選別主義者

Twitter上では、主に知的障害の子を持つ親から「自分の境遇と重なって、まともに読めない」などの感想が飛び出していました。その一方で小躍りしながら政権叩きや障害者差別の薄い持論を力説する有象無象もまた現れています。

中には「誰も悪くないみたいな言い方だが、一番の悪は障害児だ。健常児だったらこのような事件は起きなかった」と力説するアカウントの存在まで確認されました。

そもそも障害者差別に絡めたがる者たちはニュースを読んですらいません。Sくんは後天的な障害であるにもかかわらず、「障害児を無理矢理生んだ自己責任!」などと先天的な障害と思い込んで発信しているわけですから、脊髄反射で書き込んでいることは明白でしょう。加えて、元記事を読まずにリツイートしようとすると警告が出るようになっていたはずです。

また「これを機に安楽死の導入を!」となんでも安楽死に絡める安楽死論者も出没しています。この時ばかりは純粋に「何の足しにもならない重度障害者は生かす価値がない」という思想が見え隠れしており、安楽死における懸念点のひとつである同調圧力を自ら証明しております。

こうした「生命の選別」を語る者は、自分が選別する側あるいは守られる側だと疑いもしません。「引きこもりは限界集落に住まわせよ」とか「オタクは誰とも干渉せず一人寂しく死ね」などと言っている輩と一緒です。

「こんな夜更けにバナナかよ」の著者である渡辺一史さんが、日本財団の取材に対して答えた一部をここに引用します。
「たいてい人って、自分だけは例外であるかのように、他人のことをとやかく言いがちですが、『そんなことを言っているあなたの方こそ、生きている価値はあるのか?』と聞かれたら何と答えるのでしょう。いや、自分は健康だし、一生懸命働いて、ちゃんと税金を払っているし、などと言うかもしれませんが、それが果たして他人を納得させられる価値と言えるのでしょうか。また、そもそも多くの人は、自分に生きる価値があるかなど普段考えもせず生活していると思います。なぜことさらに障害者だけ、生きる価値を問われなくてはならないのか。それに対する答えもぜひ聞いてみたいです」

やはり、愛ゆえか

障害を持つわが子を手にかけた事件は過去に何度も何度も起きましたが、この事件において特徴的なのは明らかに「我が身可愛さ」がみられないことです。むしろ、息子への愛情ゆえに無理心中を決行したとさえ思えます。

絞殺後、息子の口周りを綺麗に拭き取って頬に口づけをしたというのがその証です。自殺の意図があったにせよ、あえて証拠を残すおこないから「我が身可愛さ」は感じられません。

事前に殺人の量刑をネットで調べ寝込みを襲い何十か所も刺した元事務次官も、娘が死んだ途端に証拠隠滅を図って座敷牢を整理した夫婦も「我が身可愛さ」が犯行前後に滲み出ていました。それらとは何もかもが異なっています。

行く末を閉ざされ就活自殺のようになるまで、被告は息子に惜しみない愛を注いでいました。しかし、状況は一切好転しませんでした。愛だの気合だの測りようのない精神的な要素だけで福祉の狭間から這い出ることは不可能です。障害の社会モデルを認識し、自己責任論を卒業していくことが、亡き少年への手向けとなることでしょう。

参考サイト

「何かもう疲れてしまった。だめなお母さんでごめんなさい」障害がある17歳の息子を絞殺した母の絶望ワンオペ育児、自身のうつ病
https://news.yahoo.co.jp

生産性のない人間は生きる価値がないのか?『こんな夜更けにバナナかよ』著者・渡辺一史が問う
https://www.nippon-foundation.or.jp

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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