小話の詰め合わせ「障害者手帳の色」「障害者を撃って栄転した軍人」「植松に面会した障害者」「北マケドニア大統領の声明」

その他の障害・病気
Photo by Michael Dziedzic on Unsplash

一つ一つは千字にも満たない小さなことも、数個集めれば一つのコラムになります。掘り下げる限界など様々な事情から長く書けないことを、今から4つほどご紹介しましょう。

障害者手帳の色

障害者手帳(身体障害者手帳・療育手帳・精神保健福祉手帳)には、種類によってカバーの色が違うということは既にご存知の方が多いでしょう。実は、それだけでなく発行する自治体によっても手帳の色が違っています。

言い換えると、同じ障害種でも自治体によって色が違うことになります。例えば同じ精神保健福祉手帳でも、東京都は緑色で兵庫県は青色といった具合です。また、北海道は茶色で札幌市はピンク色といったように、都道府県と政令指定都市で別々になる場合もあります。加えて、近年では色を統一する自治体(埼玉県など)も現れています。

ゆえに、手帳の色だけで障害種を判断するには限界がある訳です。同じ自治体の中であればサインのように通じるかもしれませんが、違う自治体の間(特にネット上)ではご当地ネタよりも通じません。「赤は身体、緑は知的、青は精神」という見分け方は単なる知ったかぶりです。

なお、手帳の色を分けるか統一するかは意見が分かれています。統一したい方は「一目で障害種まで知られるのに抵抗がある」、分けたい方は「バスなどで見せるときに確認の手間がかかる」という意見があるようです。確認の手間というのは、割引対象外(主に精神)でないか確かめることだと思います。精神3級では手帳を見せる機会もほとんど無いですよね。

障害者を撃って栄転した軍人

我ながら恣意的な表題ですが、結果論としては間違ったことは書いておりません。事件は2020年10月24日、北朝鮮と中国の国境でもある鴨緑江(おうりょくこう)という川の北朝鮮側、両江道(リャンガンド)金亨稷(キムヒョンジク)郡にて起きました。

当時の北朝鮮では新型コロナ対策の一環で国境警備が厳しくされており、金正恩委員長から「国境に近づく者は何であろうと射殺せよ」との厳命が軍には下されていました。その上、地元の兵士が温情をかけたり報復を恐れたりしないように、国境警備には両江道の外から来た余所者の兵士を充てていたそうです。おまけに、国境地帯には午後6時以降の夜間通行を禁止する命令が敷かれていました。

簡単に言えば「夜の鴨緑江に近づけば命はない」ということです。案の定、ひとりの女性が国境警備の兵士によって射殺されました。問題は、撃たれた女性の素性です。

撃たれた40代女性は近くの村民で、小児麻痺から障害を負って老母からの介護を受けている障害者でした。女性は夜間通行禁止令を知らず、鴨緑江へ水汲みに行ったところを撃たれたのです。母親は軍に対し「村の外の道すら知らない娘が、どんな反乱分子でスパイだというのか!娘を返せ!」と抗議しましたが、聞き入れられませんでした。余所者の兵士にとって住民の素性など知ったことではないと言わんばかりです。

そればかりか、射殺した兵士は国境任務に忠実であったとして、朝鮮労働党への栄転まで確定してしまいました。この件は模範事例とまで持ち上げられ、国境警備で功績のある兵士を表彰・入党・大学推薦など優遇する指示まで下されています。あれから地元民の間では、功績づくりのために地元民狩りをするのではないかという不安と恐怖が広がったそうです。

かくして、北朝鮮軍では障害者を射殺して昇進するという前例が出来上がりました。障害者と知って発砲した訳ではないにせよ、本来は二重に避難されるべき事例です。これは「北朝鮮が特殊だから」で片付けていいものでしょうか。

植松に面会した障害者

YouTubeではテレビ局のニュースアカウントが動画を投稿している場合があり、気になる見出しがあればすぐチェックできるようになっています。そこで、「植松死刑囚と実際に面会した障害者」の話を見かけまして、興味本位で覗いてみた訳です。とはいえ、今はほとんどうろ覚えになってしまったのですが。

裁判前の被告としての植松死刑囚に会ったというその男性は、発話にも影響の伴う身体障害だったと記憶しています。絵を描くのが趣味のようでした。

彼は植松死刑囚との面会に備え、練りに練った質問事項を用意していました。そして、それを植松死刑囚へ丁寧に問いかけたのです。質問内容は失念してしまいましたが、植松死刑囚の回答だけはよく覚えています。

「これは差別でなく区別だ。差別は偏見に基づいて行われるが、区別は違うだろう」
差別ではなく区別という言い回しは、まさに差別主義者の常套句です。自分の犯行が偏見に基づくものではないと言いたいのであれば、生産性がどうとかの発言は何だったのでしょうか。

そういえば、なぜ「差別でなく区別」の言い回しが好まれるのでしょうか。自分の行動や発言が差別ではないという薄っぺらい自己正当化と受け取れますが、それ以外の解釈もありそうです。「区別」には、咎められる理由のない当然のことというニュアンスもあるのだと思います。

この発言もある意味、“差別の象徴としては”相応しく模範的なのかもしれません。

北マケドニア大統領の声明

2022年の2月、北マケドニアのペンダロフスキ大統領による「送迎」が少しだけ話題となりました。学校でいじめを受けているというダウン症の11歳女児がおり、その自宅を訪問し一緒に手をつないで登校したというのです。

ペンダロフスキ大統領は女児の家族から、日々直面する困難などの話を聞き、女児にプレゼントを贈り、一緒に登校して校門前で見送ったそうです。これに伴い、ペンダロフスキ大統領は以下の声明を発表しています。

「子どもの権利を危険に晒す人々の行動は容認できない。相手が非定型発達の子どもであれば猶更だ」
「子どもたちは当然の権利を享受するだけでなく、教室や校庭で平等や歓迎を実感する必要がある。それが国家や個人としての我々の義務であり、この共通の使命においては共感が重要な要素となる」
「これはエンブラさん(女児の名前)のような子どもの助けになると同時に、我々が心から喜び、分かち合い、連帯する方法を子どもたちから学ぶことにもつながる」

声明だけ見ると、インクルーシブ教育について語っているだけでなく、学校内のいじめを「子どもの権利を危険に晒す」と強い口調で非難しているのが目立ちます。児童の誘拐・虐待・人身売買などに匹敵するレベルの人権侵害として捉えており、良い意味で個性的な声明でした。

参考サイト

障害のある女性を射殺…北朝鮮軍「汚れた英雄」の側面
https://nknews.jp

大統領、いじめ受けたダウン症児の登校に付き添い 北マケドニア
https://www.cnn.co.jp

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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