統合失調症でも、生きていく~第四章

統合失調症

出典:Photo by Mayur Gala on Unsplash

統合失調症でも、生きていく 

主治医が変わり、薬も変わり、統合失調症が緩和されて現実的な思考ができるようになりました。しかし、手放しに喜ぶことはできません。30歳を超えて、何もできることがないという不安が強くなっていたのです。かといって、作業所にいってみたものの、そこに身を置くのは時期的に何か違うと思いました。

いろいろと考えた結果、躁鬱はあるものの、症状は比較的落ち着いていましたし、普通に生活もできていたので「結婚がしたい」私の考えはそこにたどりついたのです。

結婚そして出産へ

私が正社員で働いていたころ、母が結婚相談所に入会させてくれ、それをずっと解約せずに置いていてくれていました。早速、主治医に相談したところ「いいと思います」と、はっきりといってくれました。

私は気にしていたことを相談しました「相手にはまず、病気のことを話したほうがいいですか?」ときくと「いいえ、好きな人が病気になることはよくあることでしょう。お2人の気持ちが固まれば、おのずと受けとめてくれるはずです」といってくれました。確かにそうだと思ったので、その日から私は精力的に活動をはじめました。

まず、正社員時代に提出していた、自己紹介文をくわしく書きかえました。それをもとに、マッチングしてもらった人の写真を事務所に見にいけるのです。正社員時代はまったくいい出会いはありませんでした。しかし時がたち、自己紹介文をしっかりと書きかえたところ現在の夫に出会えたのです。

出会った瞬間の印象は「何も嫌なところがない」でした。夫とは5回ほど食事にいきました。そしてかなり早い段階で、彼のほうから聞いてくれたのです「俺でいいの?」と。夫はどこも嫌味のない人で安心できたので即答で「はい」と答えたのです。

それからしばらく、夫のマンションで同棲をはじめました「おかえり」と迎えると「ホッとする」と嬉しそうにいってくれたことが忘れられません。人生のどの瞬間よりも嬉しかったです。

しかし、すべてがスムーズであったわけではありません。4歳年上の彼とは、感覚の違いを感じることもたびたびあります。共通の趣味と言えば、ハイキングと食事にいくことくらいです。

夫はゴルフに熱心で、休みの日にゴルフに出かけられると非常にさみしい気持ちになりました。私は音楽を聴くこととカラオケが何より好きだったのですが、夫は音楽にはまったく関心をしめしませんでした。

結婚とは、お互いに染まりあっていくものだと思っていた私は、しばらく音楽を聴かなくなってしまいました。話を合わせるために興味のない番組を一緒に見たりもしていました。私はかなりのストレスをかかえ込んでしまっていたのです。

音楽を聴かなくなってずいぶんとひさしいころ、たまたまテレビからクラシックのコンサートが流れてきました。私の耳はその音楽にくぎづけになりました。因みにクラシックファンではありません。

しかし、音楽そのものにふれただけで涙が出たのです「彼とやっていく自信が無い……」とにかく当時の私は固定観念でガチガチになっていたのです。私は夫に伝えました「やっぱり私たち、別れた方がいいと思う……趣味もまったく合わないし」というと、夫はまっすぐ私を見て「そんなことない!!」とはっきりといってくれました。

私はハッとしました「なんて失礼なことをいってしまったんだろう」「もう病気の話もしている。それでも彼は私を受け入れてくれている。どこの家庭でも乗りこえていく問題はあるはずだ」数日後、夫は新しいプレーヤーを買ってきてくれました。私が我慢していたことを理解してくれたのです。

後から考えると彼が仕事にいっている間に、いくらでも音楽を聴けばいいのだと冷静になれました。今では、帰ってくるまで家事をするときは必ず音楽を流しています。こんなささいなことでも、思考がおかしくなってしまうのが統合失調症なのです。

夫には精神の病気があることは伝えていました。しかし、統合失調症のことは詳しくは話していませんでした。簡単に説明できることではないし、はたから見れば普通の人間に見えるらしいので、機会があれば話そうと思っていたのです。

精神病に関しては夫は非常に寛容であると感じていました「そんな人、いくらでもいてる」程度の反応でした。私が非常に動揺したのは、保健所から手続き書類が届いたときでした。夫の印鑑を押してもらわなければならなかったのです。

「どうしよう、重度の障害者と分かってしまう」と取りみだしてしまいました。封筒に書かれた「障害者」という文字がやけに大きく見えたのです。しかし、夫は自分を大事にしてくれているし、主治医も大丈夫だといってくれました。

勇気をふりしぼって、夫に書類を見せににいきました。会社で経理部長をしていた経験のある夫はさらっと書類を読み、簡単に印鑑を押してくれました「私が障害者って……嫌じゃない?」と聞くと「別に?」と何の偏見もなかったのです。私が逆に障害者という立場に偏見をいだいていた、だけだったのです。

妊娠と断薬

結婚してまもなく子供をさずかりました。はじめは単純に喜びました。薬も当然、すべて断薬しました。万が一、子供に何か影響が出たら一生後悔すると思ったからです。1年くらい、きっとがんばれると思って主治医に断薬の許可をもらいました。

3日くらいは平気でした。まだ血中に薬がのこっていたのでしょう。4日目くらいにご飯を作っているときに夫が帰ってきました。緊張しました。久しぶりの緊張です。妙に明るくふるまってしまいました「どうした?顔、赤いぞ。2階で休んでおいて」といってご飯のしたくを引き受けてくれました。

次の日からは地獄の日々でした。近所の人に会うのが怖くなり、スーパーに買い物にいくだけで、それ以外はずっと家にこもるようになりました。しかし、子供が産まれるころにあわせて家を建てる予定だったので、土日は出かけざるをえなかったのです。私は緊張して、よく分からない話でもあいづちをうち、ただ時間がすぎるのを待っていました。夫が横にいてくれることは非常に心強かったです。

妊娠中は実家の家族にもたよる気にはなれませんでした。昔から私は親の前では「よくやっている」というふりをしてしまうのです。友人の前でもそうでした。薬をのんでいるときは自分の弱みも見せられるので、これも統合失調症の一部だと思います。

誰にも頼れず、とうとう夫のまえで「つらい」と打ち明けたときも「俺は病気じゃないからわかってやれない」といわれました。ずっと1人で抱えこんであまりにつらかったので、産院の定期健診の待合室でついに泣き出してしまいました。

涙を流している私に、看護師さんはびっくりして話を聞いてくれたました。産院にはメンタル面のサポートをしてくれる制度があることも教えてもらい、さっそくその日の帰りに相談にのってもらいました。赤ちゃんにほとんど影響のない安定剤があることや、精神病院の中に産婦人科がある病院もあることも教えてもらい、何かあったら相談できるという安心感だけでかなりホッとできたのです。

そしてついに娘が産まれました。分娩はつらかったですが、ようやく薬の力を借りれることがなにより嬉しかったです。入院中は助けてくれる人がたくさんいて、娘との充実した時間を過ごすことができました。

しかし、退院当日、私は現実に引き戻されました。しばらくは実家で、夫も一緒に暮らしてくれることになっていました。楽しみにしていました。ですが、元々弱かった私の母の心臓がさらに弱ってしまっていたのです。母は長かった私の陣痛に夫と交代で一晩中付き添ってくれていたのです。そのせいで当分の間は養生が必要になってしまったのですが。

夫は子育てを非常に熱心にしてくれ、夜も昼も家にいる間はずっと娘の世話をしてくれました。おかげで私は病気の治療に専念しつつ、子育てをすることができたのです。3か月ほど、夫は私の実家で同居してくれていました。そのころはお薬の効果もあり、環境も良かったので、病気はほぼ治まっていたのです。

しかし、ついに自分たちの家が完成しました。私は嬉しいというより不安でした「日中1人で子育てなんて本当にできるのだろうか?」結局、産後鬱に入ったのです。反応の少ない赤ちゃん。眠っては泣き、ミルク、おむつの繰り返し。母が元気であれば助けに来てもらえたでしょうが、心臓病は想像以上に重かったのです。

私は新しい家に娘と2人で、孤独に押しつぶされそうでした。しかし、ミルクを飲んでいるときの娘の顔は本当にかわいかったのです。それだけが救いでした。

幼稚園入園

時がたつのは早いもので、娘も幼稚園に入園することになりました。娘が幼稚園のころは、少人数ということもあり、ほとんどのお母さんと顔見知りで正直しんどかったです。どうしても気を使ってしまうのです。

そして、躁鬱はくりかえしてあらわれます。特に季節の変わり目や、生活に変化が訪れると現れやすいです。統合失調症は、いつもとは違った予定が入ると現れやすいと感じました。過剰な被害妄想が訪れるのです。授業参観やママ友の会などがそうでした。夫にも「何か予定入るとイライラするな」といい当てられました。予期不安で頭がいっぱいになり、身内に迷惑をかけてしまうのです。

しかし、いい出会いもありました。話がとても合う人でした。後々に知ることになったのですが、そのお母さんも精神に障害を持っていたのです。私が「家に帰るとさみしくて掃除とかなかなかできないんですよ」というと「お掃除きてくれるサービスあるよ。障害者向けだから値段も良心的だし」と教えてくれました。

この出会いは本当にありがたかったです。週2回、お掃除の手伝いにきてもらい、苦手な部分はおまかせして、私はその間に別のできることをするという感じで今も続けてきてもらっています。ヘルパーさんは非常に明るくおしゃべりも楽しい人なので、手を動かしつついつもいろいろ話をしてくれます。それがなにより嬉しいことです。

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macaron

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統合失調症、その他の精神病をわずっている主婦です。
犬猫が好きで癒されています。

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