映画の中の障害者(第6回)「ミッドナイトスワン」

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Photo by Geoffrey Moffett on Unsplash

LGBTQは障害者か?

なぜメガネをかけている者は障害者ではないのか?車イスが日常必要な者と同じく、人工物を通じて社会生活を営むことができる点では一緒です。一方は健常者で、もう一方は障害者。この違いは恐らくメガネユーザーは母数が多く、車椅子ユーザーは少数だからという違いだけです。このように障害者と健常者との境界は本来曖昧ですが、均質化を好む日本では、未だにそこに線が引かれている感じます。そして、障害者を「身体的(知的・精神含む)な要因で社会生活を送る上で困難を持つマイノリティ」と定義づけると、この日本ではLGBTQも障害者と同じ困難を抱える者として捉えることができます。ということで、本コラムで草彅剛がトランスジェンダーを演じて話題になった作品「ミッドナイトスワン」(2020年)を取り上げます。
※ネタバレあります

草彅剛の演じるトランスジェンダー

私自身はこれまであまり身近にLGBTQの方と接する機会は少なかったと思い込んでいたのですが、調査によっては日本人の10人1人の割合とのことで、すでに身近に共に生活しています(確かに、そう考えると既婚者でも本当の性的指向は違うんじゃないのかと思う人もいたり、単に気付いてなかっただけなのでしょう)。トランスジェンダーは心と体の性自認が一致しない人たちで、性的指向であるレズビアンやゲイとまた異なります。

映画は草彅演じるトランスジェンダーの凪沙と親戚の中学生・一果との交流がメインで進められます。前半はかなりリサーチしたと思われるトランスジェンダーの生活と思春期の不安定な世界が絶妙に交差して、役者の演技、監督の演出も只事ならない様子ですっかり画面に引き込まれました。バレエを通じた対比も見事で、友人とのキスシーンや自死のシーンなど岩井俊二の思春期映画の傑作「リリイ・シュシュのすべて」(2001年)を彷彿しました。また、面接試験での心無い言葉など、マイノリティの日常の痛みを丁寧に描けています。

前時代の想像力により失速

しかし、終盤凪沙が性転換手術をしてから、驚くほど失速します。これが、監督の技量の問題だけだったらそれまでの話なのですが、「マイノリティは不幸であって欲しい」という大衆の(前時代の)無意識に沿うことで作品を歪にさせてしまっている点が看過できないのです。

終盤は畳み掛けるような不幸の連続が続きます。凪沙が一果の実家で、その母親と揉み合って裸体を晒すシーンをはじめ、デフォルメしてマイノリティの困難を伝えるにもあまりに見せ物化しているし、ラストの海辺で絶命するシーンにはただただ呆然…前半は丁寧にマイノリティに寄り添った描写ゆえに、突然、急展直下で奈落の底に叩きつけられる、誕生席で満面の笑顔でぶん殴られるような感覚を覚えました。もちろん、障害者・LGBTQの困難や不幸を描くこと自体を批判してる訳ではありません。目的が真っ当ならOKですし、それは作品に否応なく映し出されます。そして、本作終盤のあまりに乱暴な描き方は、そこに痛快さを感じるであろう大衆の野蛮な欲望(サディズム)に忠実に答えようとしている様に映るのです。

監督はtwitterで

「この映画を娯楽映画として、エンターティメント作品として成立させることによって多くの人が観て、多くの人が考えるきっかけになればいい」

とつぶやいて炎上しましたが、あらゆる人権蹂躙も突き詰めれば「考えるきっかけ」にはなり得ます。結局のところ観客は、トランスジェンダーに寄り添いつつも、「やはり少数者は辛い。シスジェンダーで良かった!」と考えるに至るのではないでしょうか?

ネットフリックスのドキュメンタリー「ハリウッドを斬る!〜映画あるある大集合〜」は、ハリウッド映画の紋切り型のキャラ描写が、いかに差別が商業と絡み合っている様を暴いて痛快なのですが、その中で印象的な分析は、

「同性愛者が死ぬ伝記映画は(映画祭で)受賞しやすい」

まさしく、凪沙は死んで、演じた草彅は様々な主演賞を受賞しますが、本作を見た当事者たちは、忸怩たる思いをしていたに違いありません。私は何か「マイノリティは不幸でなければならない」という大衆の確固たる意志すら感じて薄ら寒さを感じたのですが、よくよく考えると、単に監督はじめ製作側、さらに広げれば日本映画界の前時代的な価値観の問題とも言えます。

ポリコレだから楽しい時代へ

繰り返しになりますが障害者・LGBTQを不幸に描くなとは全く思いません。どうしても描きたいものがある場合は、描いていくべきでしょう。また不幸な人間がいることで安心して癒やされる、そういう本質が人間にはあるし、悲劇の物語を通じて「私は幸せだ」と自己肯定感を満たす役割も表現には確かにあります。

ただ、時代は急速に変化していて、障害者・LGBTQの困難を描きつつ、そこを一緒に乗り越えていくことの方がもっと楽しいことに多くの人が気づき始めていると感じます。同性愛者のフレディーマーキュリーの伝記映画「ボヘミアン・ラプソディ」(2018年)や、すでに取り上げた「コーダ あいのうた」(2021年)、アニメ版の「ジョゼと虎と魚たち」(2020年)などまさにそんな新時代の新しい想像力から生まれた作品です。障害者・LGBTQを不幸の象徴として消費するのではなく、共に生きていく方がもっと楽しいと。

「ミッドナイトスワン」は役者や演出も終盤まで本当に素晴らしかっただけに、終盤で前時代的な想像力に負けてしまったような悔しさに尽きます。未だに悲劇を消費して満たされると考える構図が古いしダサい。もっと前向きなフィクションだって考えられませんか?「ボヘミアン・ラプソディ」のように、どんなホモフォビア(同性愛嫌悪者)も平伏すような物語・・・例えば、性転換した凪沙が一果のマネージャーとなり、ニューヨークの白人中心のバレエ界でアジア人として二人三脚でのし上がっていく。ラストはアメリカ南部の保守的なホールで圧倒的なパフォーマンスを披露…予算上の問題はありますが、今人々が見たいのは、そんな高揚するフィクションの方じゃないかと確信しています。


参考リンク
映画「ミッドナイトスワン」公式サイト
https://midnightswan-movie.com

ハリウッドを斬る!〜映画あるある大集合〜
https://www.netflix.com/

MXU

MXU

新潟県在住の映像作家。内部機能障害。代表作「BADDREAM」(2018年)。
多様性をモチーフにした映像制作プロジェクト「NICEDREAMnet」で毎月作品を発表しています。
https://www.youtube.com/channel/UCBtMFlHg3tJidPZTrjRLoew

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