「ロボトミー殺人事件」昭和の精神医療が生んだ救いのない復讐劇

Photo by Michael Buillerey on Unsplash

1979年秋、70歳の母親と44歳の娘が自宅で何者かによって殺害される事件が起こりました。犯人はその日の夜に銃刀法違反で逮捕されていた桜庭章司という男で、動機はかつて受けた精神医療に対する復讐でした。本来の標的は娘の夫である藤井澹(きよし)という精神科医だったのですが、藤井は同僚の送別会が長引いて帰りが遅くなったことで結果的には助かりました。

桜庭が藤井を恨んだ理由は、15年前に受けた医療介入でした。昭和30年代も残りわずかとなった1964年11月、精神病院に入院していた桜庭は藤井によってだまし討ちの形で外科手術を受けています。その手術は「チングレクトミー」と呼ばれるもので、かの悪名高い「ロボトミー手術」の一種でした。

犯行動機からこの事件は「ロボトミー殺人事件」として語り継がれることになります。聡明で正義感の強かった男が凶行に至った経緯、そして悪辣な医師によるだまし討ちの手口について迫っていきましょう。

馬鹿を見た正直者

1929年の元旦に長野県松本市で生まれた桜庭章司は、貧しいながらも文武両道で正義感の強い青年に育ちました。19歳にして社会人ボクシングの北陸チャンプになっただけでなく、20歳からは英語の重要性を感じて独学に励み米軍にスカウトされるほど上達していたそうです。しかし、病弱な母親を案じてすぐ長野に戻ってしまいました。

松本市で土木作業員として再就職した桜庭は、いじめ行為をする作業員を懲らしめたり上司の手抜き工事を注意したりと正義感に満ちていました。しかし、手抜き工事を隠蔽したい社長から賄賂を受け取る重大なミスを犯してしまいます。懲らしめた作業員から報復で訴えられた上に、社長も「金を脅し取られた」と贈賄を否定したせいで暴行と恐喝の容疑をかけられました。

初犯ということで執行猶予は付きましたが、別の就職先で恐喝事件を起こしてしまい、結局実刑を受けてしまいました。今度は、賃金不払いや不当解雇に抗議するべく直談判したのがきっかけでした。賄賂を握らされるやらかしを差し引いても、「正直者が馬鹿を見る」の典型といえるでしょう。もしかしたら、桜庭は一生「悪い大人」に翻弄される運命にあったのかもしれません。

出所後に上京して翻訳の仕事に就いた桜庭は、正義感はともかく血の気の多さは微塵も衰えていませんでした。海外のスポーツ情報の乏しさに腹を立て、新聞社や出版社に片っ端から苦情の便りを出したのです。すると、なぜか桜庭に原稿依頼が舞い込んできました。クレーム担当者が桜庭の文章力に光るものを見たのか、或いは「じゃあお前が書けよ……」と思ったのか、とにかく桜庭はスポーツライター「鬼山豊」のペンネームでデビューしたのです。この時桜庭は33歳で、収入は同年代に比べて圧倒的に高く、まさに栄転でした。

しかし裕福な暮らしも長続きしませんでした。老母の今後について妹一家と言い争いになった桜庭は、暴れ出したせいで器物損壊の現行犯逮捕を受けてしまいます。1964年3月、桜庭章司35歳の頃でした。そして、この逮捕が桜庭と藤井を引き合わせる「凶兆」となったのです。

望まぬ医療介入

三度目の逮捕となった桜庭は、度重なる前科もあって精神鑑定を受け、やがて多摩市の精神病院へ措置入院させられる羽目になりました。原稿を病院まで取ってきてもらう形でスポーツライターの執筆そのものは続けていましたが、そんな外界との繋がりを持つ桜庭でさえ「刑務所より酷かった」と後年語るほどの空間だったそうです。

桜庭は「外科手術」に恐れと憤りを抱いていました。病室内で知り合った患者仲間が、「外科手術」によって人格が急変し自殺までしたからです。担当の藤井医師は手術の成功を吹聴していましたが、その「外科手術」こそロボトミー手術であり、(今の基準では)成功や失敗を語る次元ですらありません。

とはいえ、「外科手術」に対して明確な拒否の意思を示していますし、手術には保護者である母親の承諾が必要です。道理を曲げてまで強行する筈がないだろうと、桜庭は高を括っていました。しかし、藤井は簡単に道理を曲げる男でした。言葉巧みに誘導したのか、あるいは無知に付け込んだのか、藤井は桜庭の母親に承諾書のサインを書かせることが出来たのです。

そして入院から8か月後、藤井は桜庭への「外科手術」を強行します。肝臓検査と偽って全身麻酔を打ち、執刀医の加藤雄司医師にチングレクトミーというロボトミー手術の一種を実行させました。おまけに、加藤の手術は止血用の金属クリップを脳に残したまま(しかも判明したのは15年後の第一審)という杜撰なものでした。

桜庭が出した手術前最後の原稿は、プロレス界の至宝ブルーノ・サンマルチノの記事でした。手術前年に世界ヘビー級王者となったサンマルチノについて「貧しかった労働少年がついに栄光を掴んだ」というサブタイトルが打たれており、自身と重なる部分が幾つかあったのかもしれません。

さて、だまし討ちの形でロボトミー手術を強行された桜庭は、後付けの同意書を書かされるという条件付きで1年ぶりの退院を果たします。しかし、手術の影響で意欲や感受性が鈍くなった桜庭は執筆どころではなくなり、スポーツライターの引退を余儀なくされました。退院は叶ったものの、余計な医療介入のせいで社会復帰どころではなくなります。

桜庭は職を転々としながら、新たに大型特殊免許を取ったり、てんかん発作(ロボトミーの後遺症)が起こったり、強盗未遂で服役したりと七転八倒の人生を歩みます。1976年、47歳になった桜庭は、弟のコネと英語スキルによってフィリピンのマニラで働き始めるのですが、そこで見た「あるもの」が彼の運命を決定づけました。

無感動な自分に気付く

フィリピンで働き始めてから2年が経ったある日、桜庭はマニラ湾で夕日を眺めていました。マニラ湾は、釧路港やバリ島と共に「世界三大夕日」に数えられる世界的な絶景スポットとして当時から知られています。そんな絶景を見て桜庭は、あまりにも無感動な自分とその原因に気付いてしまいました。

「世界に名高いマニラ湾の夕日を見ているのに、俺の心には何の感動も湧いてこない。もはや俺は人間ではないし生きている資格もないのだ。元はと言えば…藤井がロボトミー手術をしてきたからこうなったんじゃないか。どうせ死ぬなら藤井も殺してやろう」

日本へ帰って来た桜庭は、憎き藤井と無理心中する計画を立て始めます。チングレクトミーは「動機付け」に影響するそうですが、憎悪の炎がそれに勝っているのでしょうか。手術から15年が経とうとしていた1979年9月26日、50歳となった桜庭は藤井への殺害計画を実行に移します。

デパートの配達員を装った桜庭は藤井の自宅に押し入り、藤井の義母と妻を拘束して標的の帰りを待ちました。しかし標的の藤井はいつまで経っても帰って来ません。しびれを切らした桜庭は拘束していた2人を殺害し、強盗目的に見せかけるため預金通帳と現金を奪って逃走しました。藤井が帰って来なかったのは同僚の送別会が長引いたからでした。

その後、自殺のため犯行前に飲んでいた睡眠薬の影響で挙動不審となった桜庭は、職務質問の末に銃刀法違反(のち殺人容疑に切り替え)で現行犯逮捕されました。藤井自身は助かったものの、罪のない家族が2人も犠牲となる形で、約5時間の復讐劇は幕を閉じます。

後に桜庭は、東京高裁へ控訴するときにこう言いました。「ロボトミーが人間性を奪うと認めて死刑にするか、ロボトミーが悪いと認めて無罪にするか、判決はどちらかにしてくれ。中途半端な判決は、ロボトミーの問題性をまるで理解していない」

ロボトミーの害が知れ渡って久しい1996年、桜庭への量刑は無期懲役で確定しました。事件から17年、手術から32年が経過しており、桜庭は67歳となっていました。

ロボトミーの凋落

桜庭が同意なきロボトミー手術を受けてから、その復讐を実行するまで15年の間に、ロボトミー手術を取り巻く環境そのものを変える出来事がありました。国内でロボトミーに対する訴訟が起こり、1975年に日本精神神経学会が「精神外科を否定する決議」を可決し、日本におけるロボトミーの地位が失墜したのです。

日本でロボトミー手術を受けた患者は桜庭以外にも数多く居ましたが、死亡などで訴訟する能力を失ったり、家族の医者信仰が強かったり、支援してくれる弁護士や医師が集まらなかったりと、訴訟は茨の道でした。そのため、原告として残った患者はわずか5人しかいなかったそうです。

この訴訟をきっかけにロボトミーの新たな犠牲者は出なくなりましたが、過去に実行したロボトミーを手術前へ戻すことは出来ません。1975年の決議が桜庭に伝わったかどうかは分かりませんが、仮に伝わっていたとしても彼の憎悪を和らげることは出来なかったでしょう。

この救いなき復讐劇は、騒音問題におけるピアノ騒音殺人事件のような位置づけにもなれなかったと思います。決議は桜庭が凶行に至る4年前のことですし、現在はロボトミーがトンデモ療法であり間違いであったと伝わっていますので。


参考サイト

ロボトミー殺人事件
http://www.maroon.dti.ne.jp


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遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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