当事者と「きょうだい」それぞれの悩み~発達障害当事者であり「きょうだい」であることの苦悩

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出典:Photo by Caroline Hernandez on Unsplash

自閉症スペクトラム障害を持つ私には12歳半年上の姉がいます。姉は17歳で統合失調症を発症しました。ふたりとも「当事者であり、きょうだい」と同じ境遇ではありましたが、姉は「愛情格差と劣等感」私は「きょうだいであること」という別の悩みを抱えていました。

現在、私の姉は精神科病院に長期入院中です。このコラムでは、私と姉が一緒に生活していた中で「きょうだい」としての立場で感じていたことについてお話したい思います。

「きょうだい」とは

障害者(児)の兄妹姉妹のことを「きょうだい(児)」といいます。きょうだいには、「障害のある兄弟に手がかかるため親に甘えられない」「兄弟のことでいじめられる」「幼いころから兄弟のサポートやケアをしなくてはならない」「兄弟の特性によるいざこざに対する我慢を強いられる」など、障害当事者とはとは違った独特の悩みを持っています。

私から見た「統合失調症を持つ」姉のすがた

姉は統合失調症の主要症状である「幻覚・妄想」から「自分の悪口が聞こえた」と、壁を蹴ったり叫んだり、大きな音を立てて騒ぐことがありました。

また、自分の欲求が通るまでしつこく主張し続ける、夜中でも部屋のドアを勢いよく開け閉めする、自分が話したいことがあれば就寝時間を過ぎていても家族の部屋に押しかけて、気が済むまで話しつづけるなどといったこともありました。一見、自分本位ですが、これは「相手の気持ちがうまく考えられない」ことを起因とする障害特性であったと思います。

私は統合失調症当事者ではありませんが、姉は統合失調症症状として「幻覚・妄想」「無気力」「思考力の低下」などの困難を持っていたようです。その症状に付随して「他者の気持ちが分かりにくく、自制や感情のコントロールが苦手になる」といった症状がありました。

障害特性の摩擦と「きょうだい」であることの苦悩

前章で述べた姉の特性のうち初めの物は「仕方のないこと」と思えても、後の特性は私がプライベートな時間もリラックスできない環境の要因となっていました。

私には対人関係の苦手さと過敏さの特性があります。具体的には「自分の世界に入られたくない」「大きな音が苦手」「空気を読んで必要以上に我慢しすぎることで、ストレスをためてしまう」といったところが姉の特性と摩擦を起こしてしまっていました。

私自身が距離を置いても姉はお構いなしに関わるので、一緒にいることのストレスは大きかったです。もちろん「ゆっくりできる時間が持てないことが辛い」ことは親に伝えてはいました。しかし、具体的な対策は取られず「お姉ちゃんにはいっても、どうにもならないから我慢して」といわれるだけでした。

姉の障害特性に対応する家族の大変さにも見かねて、自分の思いを押し殺さざるをえず、常に「きょうだい」であることならではの孤独感を感じていました。そのため、私は心に余裕がなく、姉に対して「キツく当たってしまう」「返答や必要なこと以外は喋らない」など関係上好ましくない行動をくり返してしまっていました。そして、そのたびに自己嫌悪に陥っていたのです。

けれど、姉妹の関係性に悩みを感じていたのは私だけではありませんでした。

姉と妹~お互いの苦悩

「姉妹なのに、妹は何でもできて、家族から愛されている」「自分は統合失調症になって高校を中退しているのに、妹の学歴は大卒である」「それに、妹が成長していくのを見ていると、自分が取り残されていくのが怖い」「妹ばかり恵まれていてズルい……」などという気持ちから、姉は劣等感と焦燥感に苛まれていました。

けれど、私は姉が羨ましくてたまらなかったです。「私は学校でいじめられていても、休むことを許してはもらえず、登校せざるをえないのに……」「姉は家で好きなだけ寝ていて、ゲームで遊べていいなぁ!」「ズルい!」と思っていました。

しかし成長していく中で、人にはそれぞれ違う大変さがあることを知りました。辛くても学校に通い、集団活動の場に所属することで、自分をより成長させることができるのは「幸せなこと」でもあると気づかされました。また、姉と共に過ごす中で、姉の焦ってしまう気持ちをひしひしと感じ取っていました。

自分自身に発達の遅れがあったことから「自分は周りよりも劣っている」という思いを抱きながら生きることは、とても辛いことであるのはよくわかります。けれど、幸せの形は人によって異なります。そのため、いつも姉から一方的に「対抗心」や「僻み」の感情を抱かれてしまう関わりにくさも感じていました。

このわだかまりは姉と私だけの問題ではなく、その根底には家庭内での愛情の格差があったのです。

家族間での愛情の格差

私の家ではたしかに、家族からの愛に偏りと歪みはあったと思います。姉は障害が重いこと、知的障害をともなっていることから、家族から将来をあきらめられています。それに対し、私は「姉の分まで頑張れ!」と多大な期待を背負わされていました。そのため、背負う期待に比例するように姉よりも習いごとや教育にかけるお金や物品は優遇されていた自覚はあります。

しかし、姉は性格面で主張が激しく、人好きでわがままをいうことはあっても素直に人に甘えることができるので「可愛げがある」といわれて、家族からチヤホヤされていました。それに対して、私は自分の世界に引きこもり、わがままをいわなければ甘えることもないので「可愛くない子」だといわれて続けていました。

その結果、姉は「自分が見捨てられてしまう」不安からの焦燥感と孤独感に苦しんでいました。そして私は「いい子」でいないといけないこと、将来姉を支えなくてはいけないことに対する不安と、家族からの期待に応えなくてはいけないプレッシャーに押しつぶされていました。

家族各々の接し方による格差が「寂しさ」でもありました。今振り返ってみると、私の家は子供に対して無償の愛が注がれているというよりも、家庭内に実力主義の社会があるような感じでした。

私から見た「人物」としての姉のすがた

姉との関係性に悩むことはありましたが「お姉ちゃん」としては立派な姉の姿をしていました。姉は就労継続支援事業所(B型作業所)に所属していたものの、障害の程度が重いことから疲れやすく、月1回くらいしか通えませんでした。けれども工賃が出ると必ず、私のために雑貨やお菓子を買ってくれました。

私の障害特性について理解することは難しそう(自分がきょうだいであることを自覚していません)でしたが、私が学校で嫌な目に遭うと、私以上に腹を立ててくれるほどの妹思いです。また、マイペースで「嫌なことは別にやらなくていいじゃん。私は嫌なことはやらないよ」と、せかせかせずに常に自分に対しても他人に対しても甘くて明るい、そんな人です。

もしも、私が姉の立場だったとしたら、劣等感をくすぐる存在の妹とは距離を置くと思います。それでも妹に優しく接することができる姉は「自分は妹よりも劣っている」ということは全く無く、姉には姉のよさがあることを私は知っています。

ぶつかり合うこともありますが、姉と過ごすことで、私は「統合失調症の人は怖い」とも「障害を持つ姉がいることを恥ずかしい」とも思ったことは1度もありません。

大人になった今振り返ると「きょうだい」の問題について、家庭内の関与だけに限らず、早期に支援機関と繋がることで、私たち姉妹の関係性はもう少し上手くいく手立てがあったのではないかと感じます。

「きょうだい」であることは幸せか否か

私たちは「仲良し姉妹」なのかどうかは今でもよくわかりません。けれど現在、姉が入院をしていることで物理的な距離感が取れるようになり、私は姉のことをより大切に思えるようになりました。離れていても相手のことを気にかけることができたり、つき合いのストレスを感じないのであれば、それはそれでいいのではないかと私は思います。

特性同士がぶつかってしまうため、将来は姉妹で一緒に暮らすことはおそらく難しいでしょう。けれど、ずっと側にいるよりも繋がり続けるかたちで、これからもずっと姉妹でいたいと思います。

最後に障害を持つお子さんとその「きょうだい」を育てている親御さんへ、どうかお子さんへの期待と我慢は偏らせないでください。「きょうだい」である寂しさよりも愛情の格差は、兄弟姉妹の双方の関係性に悪影響をおよぼすことがあります。どうか、その子自身のよさや課題を見つけて、寄り添ってあげてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

「みかん。」と「もも。」

「みかん。」と「もも。」

自閉症スペクトラム障害を持つ24歳。大学卒業後、就労継続支援b型事業所にて実務訓練の後、現在は就労移行支援事業所に通っています。ちょっと前から黄色いセキセイインコを飼い始めました。

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