知的障がいがあること人に話せますか?
知的障害
出典:Photo by Towfiqu barbhuiya on Unsplash
私は軽度の知的障がいがあります。近年では「発達障がい」などが世間に認知されるようになり、多様性が尊重しようとする時代になりましたが「知的障がい者」はその枠組みからいまだに、外れています。
知的障がいは恥ずかしい
私は自分の障がいは家族以外には、ずっと隠して生きてきました。
悪いことをしているわけではないので、堂々としていればいいと、思うでしょう。ですが「障がい者は恥ずかしい」というプライドと社会的弱者に対する、世間の風当りを子どものころから感じていました。
社会に出てからは、隠し通すことが困難になり「養護学級」とからかわれるようになりました。大勢の前でいわれることもあり、そのときは恥ずかしくて、その場から消えてしまいたかったです。誰にも相談することもできず、ただただ自分が「救いようのないバカ」だという考えに打ちひしがれていたのです。
高校デビューも叶わず……
高校はいじめがエスカレートしたので、幼馴染の通っている学校に転校しました。友達も一緒なので「私の高校生活は充実したものになるだろう」と期待に胸を膨らませていました。
しかし、転校先でもなかなかクラスの輪にはいれず、休憩時間は寝たふりをして過ごしていました。
そのとき私は、幼馴染に対して、強い嫌悪感を持ってしまいました。「友達だから助けるのが当然」とどこかで甘えていたのだと思います。今考えれば、私の子どもっぽい特性が前面に出てしまっていて、反省しています。
自分をさらけ出せる居場所求めて……
不謹慎ですが「発達障がい」の人を羨ましいと思うことがよくあります。私もそちら側の人間だったら、もっと社会に受け入れてもらえる可能性が、広がるのではないかと思ってしまいます。
仕事がダメなら「趣味を充実させよう」と障がい者卓球に挑戦してみましたが、そこでも「普通の人とはプレイできないね」といわれてしまいました。
車いすダンスでは、ダンスの動きを理解し覚え、さらにペアの相手とコミュニケーションを取りながら、相手に怪我や怖い思いをさせないように、車いすを動かすという行為が私にはとても難しかったです。
遊びに関しては、友人と食事や買い物ぐらいならうまくごまかせますが、イベントなどのシステムは理解することが難しく、臨機応変に動くこともできません。また、友人と旅行の際にも「頭が弱い」「何回も道案内したのに話聞いてた?」と相手を怒らせてしまいました。
このようにどんなに頑張っても人並以下、趣味や遊びでさえ必死に取り組まないと変人扱いされ、周りにも多大な迷惑をかけることになりかねません。
理想と現実
高校を卒業し大学生になってからは、いつも遊んでいた友達に彼氏ができ、頻繁に約束をドタキャンされるようになりました。これからも変わらず仲良くしていくものだと、当たり前のように思っていたので、寂しい気持ちになりました。
私は精神年齢が低いので、友人関係に夢を見がちで、ドラマや映画で観たような「友情」を無意識に求めていたのです。そして1度仲良くなった人に依存して、人との適度な距離感が掴めずにいました。
また、興味や関心の幅や世間も狭いので、人に共感できず友達の気持ちが分からなかったのだと思います。
わがままなりの苦悩
知的障がい者といえば、わがままで幼いイメージを持たれる方も多く、たしかにその通りだと私も思います。ですが、自分の気持ちを人に伝えるのが苦手なので、クラスメイトや会社で嫌味をいわれても、空気を読んで笑ってやり過ごしてしまい、周りからいじめのターゲットにされやすいのです。
内心ストレスを溜めている知的障がい者は、たくさん存在します。
ですがこんな私だからこそ、孤独な人や社会からはみ出た人の気持ちに寄り添えると思っています。自分の家族や友達にツラいことがあったら助けることは難しいですが、話を聞くことはできます。
どうか知的障がいの人は「わがまま」ではなく少し「不器用」なところがあると知ってもらえたらうれしいです。
知的障害