60年前の常識が現在の非常識、「老人ことば」って実際どうなの
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「お前たち!よくもあんなキチガイレコードを!」(チャージマン研!第16話)
「映像、台詞の一部に、現在では不適切な表現箇所が有りますが、放送時の社会的背景や製作意図など、作品の歴史的価値を尊重し、作品完成時の原版に手を加えず収録しておりますことをご了承下さい」(ナック公式YouTubeチャンネル同話の概要欄より)
「チャー研」の放映が52年前なので、当時のキッズ世代は若く見積もっても60歳手前、社会人世代なら70代以上になるでしょうか。一般的に高齢者と呼んで差し支えない年代である彼/彼女らの幼い頃は、「キチガイ」「めくら」「つんぼ」「かたわ」「精神薄弱」「精神分裂」といったものが普通の言葉として存在を許され、一部は行政さえも使っていました。
これらは、最初は単に状態を表すだけの普通の言葉として生まれたのでしょう。しかし時代が流れていく中で、「いまの価値観にそぐわない」「侮辱表現として使われだした」「嫌がっている人もいる」といった理由で存在を許されなくなり、「差別語」「侮蔑語」にまで転落しています。
こうした「老人ことば」への扱いはしばしば不当ではないかと問われています。「なぜ不適切か説明も出来ないくせに禁止だけするな」「嫌がられているという証拠はあるのか」「目先の言葉を消したところで、別の言葉に代わるだけだ」というのが主な反感。中には「昔の常識を急に非常識だと言い張るのは高齢者への虐待である」とまで言い張る者までいました。
そんな者らだからこそ簡単に理解できるように説明しましょう。なぜキチガイや精神薄弱といった「老人ことば」を使ってはいけないのか?それは、正しさ(コレクトネス)を証明できなかった負け組だからです。自然淘汰の結果です。不適切とされた方にも悪い所があったんです。単語・用語の世界において弱肉強食の掟が適用されただけです。言葉として救いたくなる形をしていなかったせいであるとも言えます。「老人ことば」の罪とは「救いたくなる形を得られず、弱肉強食の掟に敗れ、自然淘汰を受け、負け組となったから」です。
こんな言い回しで通じるのかといえば、通じます。日々の偏見や差別意識を恥と思わずひけらかす者らの価値観にこそ沁みる言い回しを選んだつもりなので、きっと通じます。どうせ不適切である理由を説明したところで理解や納得が得られるとは思えないので、彼/彼女らの好きそうな言葉で説明してあげました。だから通じます。
幸か不幸か、常識の境界線はゆっくりと確実に変わり続けています。長年チェルノブイリと呼ばれていた原発が、ロシアのウクライナ侵攻を機に「チェルノブイリ(ロシア読み)は不適切!チョルノービリ(ウクライナ読み)と呼べ!」と急激に転換させられたのは記憶に新しいでしょう。「障害」と「障がい」は今もなお互いの正しさ(コレクトネス)を主張し合う勢力争いの真っ最中です。自分の推す側が敗者として淘汰されるのはどこかで覚悟すべきかもしれません。
ところで、「ガイジ」「チー牛」といった最初から侮蔑語として生み出されたものが何故駆逐されないのかもまた説明がつきます。一部の界隈にとっては救うべき形に見えており自然淘汰から保全されているせいで、今も現役ヅラして残っていられるんです。言葉の生き死にを決めるのは理論や当事者意識ではなく、ノリと感情なのかもしれません。


