「植松」から10年経ってなお未熟、停滞の象徴は「雇用率」と「流行語」にあり。

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Photo by V T on Unsplash

7月26日は相模原障害者施設殺傷事件の日、津久井やまゆり園事件の日です。しかも今年は10年の節目となる大切な日。となれば、ここ10年の状況を振り返らずにはいられません。

しかし、振り返ってみても面白い変化というものは見られませんでした。10年という期間を考えると、大衆意識の向上や成長といったものに著しい遅れがあったと認めざるを得ません。努力なしに成長するなどと甘すぎる見立てまではしていなかったつもりですが、それを差し引いても「10年間何をやってきたんだろうか」と首をひねり考え込んでしまいます。

社会や大衆は総合的に頑張ってこなかったと言える証拠は枚挙に暇がないのですが、強いてピックアップするならばやはり「雇用率」と「流行語」でしょう。雇用率とは「公」、流行語とは「私」、双方が同時に停滞しており、その停滞の象徴は非常に分かりやすい形で横たわっています。

なお、よりによって節目の日にアニメ化を告知してしまった例の件については本稿では扱わないことにします。あのムーブはノンデリだなとは思いますけどもね。

身体障害者(はくばのおうじさま)を待ち続ける

まず障害者雇用ですが、ハッキリ言って酷いです。昔も今も変わらず身体障害者が求められ続ける状況。凡百の企業は法定雇用率が2.7%まで上がろうが、その中に知的や精神も必ず入れるよう言われようが、昔と何も変わることなく「白馬の王子様を待ち続けている」のを成長と呼べますか。

「ワークリア」を運営するレバレジーズ株式会社が今年とった2度の調査が、採用担当者の本音を暴く形でこの意識を裏付けています。

1月の調査(n=143)
・回答者のおよそ3分の2が雇用目標達成の見込み以上にある。この傾向は4月の調査でもほぼ一緒。
・実際の雇用が身体83.2%に対し、発達は37.8%と半分以下。
・積極的に採用する障害種は身体が5割と最多。次に多いのは2割の「無回答」。これも4月の調査でも変わらず。
・身体を採用する理由は「コミュニケーション」が多く、他を採用する理由は「身体の応募が無いから」が多い。
・7割が精神の雇用を難しいと実感、知的と発達も6割が難しさを感じる。理由は「適した業務が見つからない」が多い。
・なお身体の雇用を難しいと感じる理由は「応募が少ない」から。

4月の調査(n=555)
・回答者の2割弱が今年度中の雇用率達成すら困難と回答。
・回答者のおよそ3分の2が「DEI疲れ」を感じる。理由は現場や業務のバランス、数的目標が多い。
・約4割弱が「身体障害者のみ」の雇用に留まる。
・身体は採用に課題を感じ、他は定着に課題を感じやすい傾向。
・達成企業は社内研修や啓発に尽力、見込み企業は他の障害種も積極採用、困難企業は地盤固めすらしていないという準備格差。
・達成企業は制度や外部支援やAIを活用している傾向。

努力しているところはちゃんと努力していますが、それはほんの数社が頑張っているミクロの話。マクロ的に言えばやはり「採用するなら身体。楽だもん」という甘えが蔓延っていると見做すのが妥当でしょう。すでに身体障害の求職者数そのものが底をついている中、未だに知的ヤダ精神ヤダ発達ヤダで寝そべっているのが愚鈍でなければ何ですか。来もしない身体障害者を今なお待ち続ける愚鈍な存在が未だ5社に1社の割合で残っていることが、そしてその「生きづらさ」を反障害者系ネット民にヨシヨシされていることが「公」の停滞を象徴しています。

成長の兆しはあった。だが皆は「チー牛」を選び愛した

次に挙げるのが「チー牛」の広まりです。大衆意識の成長を阻害した原因とまではいかずとも、10年かけても何も学ばず成長してこなかった大衆の象徴として、「チー牛」が人口に膾炙し多数の愛顧を受けた現状は無視できません。

私は「チー牛」について「愛した」「愛された」などといった言葉を敢えて使っています。何故ならば「チー牛」を刃物や銃火器のようなものとして捉えており、そういう武器を安直に振りかざしている者らを「『チー牛』を(武器として)愛顧し、常用し、依存している」と形容しているつもりだからです。「チー牛を愛した」という誤解を招きかねない表現も、わざとそのまま。「チー牛」という武器を嬉々として振り回し他人に投げつけまくるのを「チー牛を愛している」「チー牛なしでは生きられない」と形容して何が間違っているというのでしょう。

「チー牛」は2018年になんJで、例の画像と共に「就労移行支援に行ってみたら揃いも揃ってこんな顔」と書き込まれたのが発端です。就労移行支援の感想という、障害とは無関係どころか完全に結びついている間柄というか出生背景なのですが、そういう歴史をいちいち説明しないと思い出してもらえないレベルにまでロンダリングは進んでしまいました。

逆に、前年の2017年には大衆意識の成長を予感させる良い流行語が生まれていました。「へーきへーき、フレンズによって得意なこと違うから!」「でも幸せならOKです!」がネット流行語として広まり激賞された年。のびのびとした寛容さあふれる名言がバズったのですから、世論の動きに期待しない方が難しいというものでしょう。

それを糠喜びで終わらせてくれたのが「チー牛」です。己の手首を切っていたナイフは瞬く間に他人へ向けられ、2020年の巣ごもり需要によってそれは便利で有用な武器としての認知と共に広がっていきました。今もなお対人武器として性能も需要もずば抜けており、既に刃こぼれしてしまった「おたく」「陰キャ」とは圧倒的な格の差を誇示し続けています。

のびのびと寛容に見守り合うよりも、手軽な武器で確実に刺し合うほうが圧倒的に支持されたこと。他人の尊厳などくそくらえと言わんばかりな、「私」の停滞がそこにあります。

反障害者界隈は小賢しくなった

偶に障害者関連のニュースやポストに張り付いては「植松尊師のお言葉」「聖典たる旧優生保護法への思慕」などを語っていく連中が観測されますが、こういう存在もまた10年間の成長不足を実感させてくれます。しかし、反障害者界隈にも一応の変化はありました。それは「小賢しくなった」ことです。

事件が起きて間もない頃に「職場の世間話でやまゆり園の話になって『まあ遺族もこれで良かっただろ』と言い出す人が居ました。悪びれもなく堂々と言っていて怖かったです」という体験談がありました。

事件報道によって当事者や福祉業界が慄いていたのを尻目に、白昼堂々と人前で植松の行為に理解を示し称賛することは「恥」とされず罷り通っていた訳です。「障害者家族は不幸の中にあり、その悪の根源は障害者に他ならない。ゆえに理由が何であれ『根本的解決』が為されれば家族は幸福に立ち返れる」という世界観は既に蔓延しきっていました。

植松に共感と理解を示し礼賛する「モンスター」たちは、年を追うごとにリアルでは見かけなくなったと思います。ではモンスターたちは真っ当に学んで人間になれたのでしょうか?答えは断然、否です。リアルで喋ったら怒られると分かって人目につかない場所を選んだだけ。本人は何一つ変わらず当初のモンスターのままです。

Xやまとめサイトといった匿名フィールドでモンスターたちは何一つ変わらずにくだを巻いています。なんなら同好の士で集まっては承認と所属の欲求を満たし合っています。そして、故意かどうかはともかく「植松尊師のご遺志」がはみ出して一般の目に触れることで騒ぎにもなります。

ネットで繋がる同好の士には、実際に集合する「オフ会」の文化が20年以上も前からあります。障害者への反感を拗らせているのなら、ネット弁慶で済ませてないで実際に集まって反障害者デモをするなり植松の収監先へ礼拝をするなりやってみれば連帯感も得られるし思い出作りにもなるのではと思うのですが、不思議なことに彼/彼女らはリアルで集会しようとしないんですよね。精々施設コンフリクトで近隣住民レベルのしょぼい集まりなら怒るのでしょうけれども。

SNSなどでヘイトを吐き出す時点で人格も価値観も最低だと分かっているというのに、なぜリアルで行動に移すとなると恥ずかしがるのでしょうか。自認ではちゃんと人間としてやれているつもりなのでしょうか。その程度で己が分別のつく大人だと本気で信じているのでしょうか。申し訳ありませんが、植松の狂信者であることをアピールしている時点で笑い者にされる資質しかないので、いっそリアルで同行の士を集めて反障害者のデモ行進なり何なりすればいいと思いますよ。

参考サイト

レバレジーズ株式会社1月の調査
https://prtimes.jp

レバレジーズ株式会社4月の調査
https://prtimes.jp

https://prtimes.jp


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遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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